幕間 眠る亡者のかたわらにて



 静まり返った寝室に、はっきりとした声が響く。


「ほんとにこいつ、魔物なんだね」


 声の主――アレイアは、ベッドの上に横たわる人物を見下ろした。


 褪せた赤い髪に、まだ若い――と言っても、自分よりは十ほども上に見えるが――顔。顔だけでなくその肌のすべてが正気のない灰色をしており、指先には鋭利な黒々とした爪を有している。


「元勇者、エッド・アーテル。公式には、一年も前に戦死したはずの英雄」


 事前に聖堂経由で情報は手にしていたものの、実際に目にしてみるとやはり驚くべき存在である。


 森では現場の荒事に巻き込まれないよう遠目から観察していた少女だったが、男の生き生きとした表情や話し方は生者のそれと同じだった。


「んで、あんたは元パーティー仲間の闇術師――ログレス・レザーフォルト。あたしでも噂を耳にしたことがあるくらいの、大闇術師さま! 会えて光栄だよ」

「……それはどうも」


 ベッド脇の椅子に腰かけている黒ずくめの男は、やっと聞き取れる程度の声で素っ気なく答える。アレイアは広々とした部屋を見回して言った。


「あんたたちの拠点に迎え入れてもらえたってことは、あたしは一応の猶予を得たって解釈でいい?」

「……ご自由に。この亡者を運ぶのを手伝うと申し出てきたので、利用させて頂いたまでです」

「こんなに自由にさせといて、いいの? あたし身軽だし、逃げちゃうかもよ」

「……」


 ログレスは横たわる友を見つめたまま答えない。まるで石像のように身動きひとつしない男を、アレイアは好機だとばかりにじっくりと観察した。


「ふーん……」


 すず色の短髪に、優れた闇術師の証である紅き瞳。その涼しげな目元や通った鼻筋を総合すれば、文句なく美男の類に入るだろう。背も高く、自分と比べればまるで大人と子供ほどの差がある。


 美男といえば、さきほどまで一緒だった“連れ”もそうであった。ルテビアという大都会で一目置かれている彼ですら、毎日の仕事を共にしていればもう見飽きたと言ってもいい。


 しかし物憂げなその横顔は、少女の心をどこか沸き立たせる。


「……っ!」


 その理由を思い出し、アレイアはひとり赤面する。


 まだ舌の上にくすぶる熱と、呪印が残した鈍い痛み――。


「あ、あのさ。そいつ、あんたとどんな関係なの? 友達?」

「……」


 ぼんやりとしているようにも見える横顔に、思い切って名をぶつけてみる。


「ろっ――ログレスってば!」

「……何です。“アレイア”」

「!」


 低い声で名を呼び返され、少女は飛びあがった。

 たしかに帰り道すがら名乗ってはいたが、覚えていてくれたとは。


「この亡者とは……ただの、幼馴染です」

「へえ、そうだったんだ。親が仲よかったとか?」

「向かいの家同士です。僕は一人暮らしでしたが、彼の家族はみな“世話焼き”で――」


 とつとつと話していた闇術師は、ハッと紅い目を瞬かせた。みずからが過去を語っていることに驚いたようである。


「……」


 じろりとアレイアを睨んだ後、またベッドに目を落として黙り込んでしまった。


 居心地悪く指を擦りあわせ、アレイアは蚊の鳴くような声で言った。


「心配、だよね……。ごめん」

「……。なぜ貴女が謝るのです」

「だ、だって――あたしも、あのバカに手を貸してたわけだし。だから、あんたの親友が“そんなこと”になっちゃったんだし……」


 エッドを覆う薄い毛布には、不自然に陥没している箇所があった――身体の中央と、右肘から先である。


「その言い草からするに、貴女は己の行いを悔いているのですか?」

「あ、当たり前じゃん! あいつがやったのは、ただの脅迫と拉致だもん」


 聖堂の話では、聖術師メリエールは洗脳されているか囚われている可能性が高いとのことだった。

 しかしあの二人を目にしてすぐの自分でさえ、両者に良好な絆が結ばれていることぐらい分かる。


 ライルベルは無害な二人を、私欲のために引き裂いたのだ。


「“呪戒律”があったとはいえ、あたしもその行為に加担した……。反省してる」

「その反省を体現したものが、あの“処置”というわけですね」


 平坦な声に、アレイアは身じろぎする。ログレスが言っているのは、自分が忌々しき呪いから解放されたあとの話だろう。

 “聖宝”の聖気に侵されて苦しむ亡者エッド。彼に施した闇術の数々を思い出し、アレイアは急いで言った。


「い、いいじゃん! 結果的に、あんたの友達は助かったんだから」

「ええ。それは、僕からも礼を言わねばなりません」

「へっ?」


 予想外の申し出に、若き闇術師は蜂蜜色の目を瞬かせた。


「貴女の意外な“閃き”のおかげで、友は救われました。……僕もあの場では少々、上手く考えが巡らなかったもので」

「ログレス……」


 胸の奥でその言葉を噛みしめるアレイアにうなずき、闇術師は続けた。


「それに……身体の破損を最小限に抑えつつ闇術を打ち込むというのも、なかなか骨の折れる作業でした」

「え」

「僕の術だと、少しでも加減を間違えば大惨事となります。貴女程度の魔力で繰り出す術が、あの場では最適だったのでしょう」

「ねえあんた、褒めるのヘタだってよく言われない?」


 肩を落とす少女に、ログレスは小さく首を傾げる。

 大闇術師とはいえ、他人とのやり取りは不得手らしい。


「……ひとつ、僕からも個人的な質問があるのですが」

「え、なに? 親愛の証に、ちゃんと答えるよ。なんでもどーぞっ!」


 個人として興味を持たれたのが嬉しく、アレイアは日焼けした腕を広げて愛想よく笑む。

 相変わらず無表情のまま、質問者はうなずいた。


「貴女があの森に張り巡らせた、転移の妨害術についてです」

「ふふーん。なかなかのモンだったでしょ? 準備、大変だったんだから」


 聖堂の司祭も侮れないもので、優秀な私兵に日夜標的を捜索させていたのである。

 しかし似たような男女を見かけても、なぜかいつもあの森のあたりで“見失って”しまう――そんな情報を得たリーダーは、地味な仕事を躊躇なくアレイアに言いつけた。


“次に彼女たちが現れるまでに、結界を張れ。むこうには、お前よりもずっと強力な闇術師がいる。絶対に飛んでこさせるんじゃないぞ”


 慣れない森の中、いくつもの魔道具の補助を借りて“転移術妨害”の結界を張ったのだった。エッドたちと遭遇した位置も良かったので、効果は抜群だったはずである。


「あれは設置が面倒な分、発動後に破るのは僕でも至難の技です」

「そうでしょ。……あれ? でも、あんた飛んできたよね」


 薄い胸を張ったアレイアだったが、自分で疑問を呈してみせる。

 ログレスは不可解だと言いたげな表情を浮かべた。


「ですから、その理由に心当たりがあれば伺おうかと。転移が妨害されているのは感じましたが――しばらくして一瞬、結界が揺らいだのです」

「その瞬間を、あんたは逃さなかったってわけね。でも、うーん……理由はなんだろ? あたし、ちゃんと気は張ってたんだけどなあ」

「何かきっかけがありませんでしたか? 貴女の集中を乱すような」



“……もも、いろ……”

“どっ――どこ見てんの!? こンのくそ亡者ッ!!”



 まぎれもない“きっかけ”を思い出し、アレイアは顔を真っ赤に染めて叫んだ。


「なっ、ない! あんなの、べつにどうってことないしっ!!」

「あると言っているようなものですよ。何があったのです? ぜひ、今後の修練に役立てたく――」

「役立てるなあーっ!!」


 泣き出しそうな顔をしている自分を見て諦めたのか、ログレスは小さく肩をすくめた。


「とにかく……もう貴女は、今や自由の身と言って良いでしょう」

「え……」


 どき、と心臓が跳ねる。どこかで自分がその言葉を恐れていたことに気づき、アレイアは半歩退がった。

 そんな心中を知らない男は、ひとり淡々と話を進めていく。


「東に行けば王都ディナセルがありますし、街道へ出れば港へ向かう辻馬車も拾うことができます。村で出立の準備をするなら、少しは支援を――」

「あ、あのっ!」

「?」


 丁寧な案内を遮り、アレイアは身を乗り出す。


「あたし、その……ここにいちゃ、ダメかな?」

「……我々に味方するということですか?」

「うん、そう!」


 恥知らずと笑われるだろうか。それでもアレイアは汗ばむ拳を握り、漆黒の男にずいと詰め寄った。


「役に立つよ、あたし! あんた達がライルベルを追うなら拠点まで案内もするし、あいつの情報もあげる。闇術はあんたに敵わないだろうけど、料理番でも雑用でも、なんでも――!」

「……貴女はまだ若いようですが、ウェルスに家族は?」


 自分の若々しい外見を加味すれば、当然の質問だろう。

 しかし彼が予想しているであろう答えを、アレイアは示すことができない。


「いないよ。ずっと、ひとりだもん」

「……」


 表情に乏しい闇術師の顔が、少しだけ人間味を帯びたような気がした。


「あ――で、でも、やっぱりあんたの友達が嫌がるよね。自分を刺したり斬ったりしたヤツの、元仲間なんて」

「……この男は、そのような諸問題は気にしません。あの森で貴女を血の海から救うように命じたのも、彼なのですから」


 そう言い切って友を見下ろすログレスは、またアレイアがはじめて目にする表情を浮かべている。少女の心がふたたび躍った。


 見てみたい。

 彼が、ほかにどんな顔を持っているのか――。


「……それで。どうなるの? あたしの処遇は」

「ご自由に、と最初に言ったはずです。僕は、貴女の保護者ではないのですし」

「なら、あたしも勝手にする。とりあえず、魔力使って疲れたでしょ。美味しいご飯作るよ――妻としてね!」

「……はい?」


 今までで一番遅い反応を示した大闇術師に、アレイアは指を立てて宣言する。


「あたし、命の恩人に――あんたに、必要とされる女になるよ! 決めたんだ」

「待ちなさい。自由にとは言いましたが――」

「術師たる者、“言葉”には責任を持たなくっちゃね」



 八重歯を見せて向日葵のように笑い、若き闇術師は炊事場へと駆けていった。


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