第49話 天馬に乗った亡者さま



「ついに、この時が来たのですな」

「本当に世話になったよ、村長」


 村の入口に集まった人だかり――ほとんど、ヒトではない珍しい一団だが――の中心で、エッドは心からの感謝を述べた。


「けど、いいのか? この馬たち、貴重なんだろ」


 褪せた赤毛の先をやさしくんでくる馬の鼻面を撫で、エッドは訊いた。


「なんの。皆の総意です」


 出立することを伝えた際、村長が用意してくれた三頭の馬。それぞれ銀がかった不思議な毛並みをしており、長いまつ毛の下にある瞳は揃って金色だった。


「“天馬ペガサス”の血を引く馬ですが、もともと野良でしてね。南の大陸あたりから、数年前にふらっとこの村にやって来たのですよ。気まぐれにいなくなる時期もありますから、幸運でしたな」

「へえー。お前、一緒に行きたい? ウェルスは暑いよ」


 高い知性を備えているらしく、馬は質問者であるアレイアをきちんと見据えて長い首を差し出した。もう一頭も、ログレスの黒いフードを引っ張って楽しそうな様子だ。


「止しなさい……。しかし“天馬”にしては、翼も見られませんね。空の飛び方は忘れてしまったのですか?」

「魔物も時代に合わせて進化するもんさ、ログレス先生。馬の足元を見てくんな」


 どこか得意げなニルヤの言葉に導かれ、一同は馬のたくましい脚を見る。

 馬は注目に応え、嬉しそうにヒヅメで地面を掻いた――しかし、その跡はどこにも見られない。


 その理由に気づき、エッドは驚いて言った。


「う、浮いてるのか!?」

「そうさ。この子たちが村に来た時は、まだぼろぼろの大層な翼をつけてたけどね。長旅で学んだんだろうよ――目立つ翼を広げるほかにも、飛行手段はあるだろうってさ。いつのまにか、翼は朽ち落ちてたよ」

「はー。賢いなあ」


 エッドが素直に称賛を送ると、馬は得意げにたてがみを震わせた。


「この子たちも、メリエールさんのことをえらく気に入ってたからね。たまに背に乗せて、花束の谷まで連れて行ってくれたらしいし」

「……彼女がいなくて、寂しいのか?」


 エッドがそう尋ねると、馬は鼻先をすり寄せて小さくいななく。

 その落ち込んだ様子を答えと受けとったエッドは、滑らかな毛並みを静かに撫でた。


「俺もだ。俺の仲間も――村の皆もさ」


 見守るような眼差しを浮かべた村長が、馬の鞍を点検しながら言い添える。


「移動手段の中では、もっとも速いでしょうな。海も、問題なく渡れるはずです。むこうに着いたら、放しておいてもらって構いませんぞ」

「え、大丈夫なの?」

「ええ。人間や低級の魔物に捕まるような生き物ではありませんからな。安全な場所で待機し、皆さんの帰還には駆けつけるでしょう」


 馬に乗って水面を渡る想像はむずかしかったが、贅沢を言っている暇はない。

 高い袖の下を渡し、訳ありの自分達を乗せてくれる船頭を探そうと思っていたエッドにとっては、この上ない朗報である。


「ありがたく借り受けるよ。今度は、彼女も乗せて帰ってくる」

「やっぱ、勇者さまには“天馬”がお似合いだべな! 絵になんべ」


 熊のような八百屋の店主、ディシュはそう言って感激した。

 となりでその太い腕を優しく叩き、妻のポーラが形のよい眉を寄せる。


「まあ、またトマトみたいに赤くなって。当たり前じゃないの、あなた。エッドさんならきっと、無事にあの娘をとり返してくださるわ。ねえ?」

「……約束するよ」


 どこかするどい微笑みを浮かべている夫人を、エッドはまっすぐに見つめ返す。

 その間に飛び込んできたのは、黒いツヤを煌めかせた球体だ。


「メルちゃんを頼むっぺよ、ご一同! そんで帰ってきたら、オラの“自信作”の出来についても教えてくんな!」

「任せてよ、ペッゴさん。不具合がないか、毎日ちゃんと点検しとくからね」

「おう、それは助かるっぺよアレイアちゃん。でも、あんたも気をつけんだよ。まだまだ、手伝ってもらいたい作業があんだからなあ」

「……うん!」


 尊敬する道具屋の激励に、少女は嬉しそうに三つ編みを跳ねさせた。


 後方では、羽毛に覆われた腕をもつ子供達がぐるぐると輪になって走り回っている。うずまく砂埃の中心で立ち尽くしているのは、漆黒の男だ。


「ログレスせんせー、いってらっしゃーいっ!」

「きぃつけてねー! あたしたちがお空を飛べたら、つれてってあげるのにねえ」

「……それは非常に“残念”ですね」

「こら、お前たちいつの間にっ! すまねえ、ログ先生。泣くだろうと思って、家に置いてきたつもりだったんだが」


 筋骨隆々の農民、ドルンは太い声でそう言って頭を掻いた。

 祖父の声に、孫たちは鉤爪が光る足をぴたりと止める。


「なかないもん! せんせーは、ぜったい帰ってくるっていったんだ」

「帰ってきたら、まほうおしえてもらうのっ!」

「……前にも言いましたが、僕が行使するのは“魔術”で――」

「ほー、そうなのか? そりゃ、楽しみにしとかなきゃな。うちの孫たちが、村ではじめての術師さまになるかもしんねえとは! 先生、よろしく頼むぜ」

「……。熟考しておきましょう」


 揃って白い歯を見せる家族の前では、友の毒舌も鳴りを潜めるらしい。

 微笑ましい光景を眺めていたエッドだったが、馬の手綱を取ると宣言した。


「じゃあ、名残惜しいが――出発するか」

「ええ」

「はいっ!」


 質量を感じさせない動きでひらりと騎乗してみせると、エッドたちを囲んでいた人垣が割れた。

 その中から代表として進み出てきたのは、もちろん村長夫妻である。


「勇亡者さま御一行の旅路に、幸いの光が降りますよう! ……いや、それでは“我々”には眩しすぎますかな?」

「まあまあまあ。ちゃんとお考えになっていなかったんですの」


 真剣な顔をして悩んでいる夫の横に立ち、妻のロゼナはいつもののんびりとした笑顔でエッドを見上げた。


「エッドさん。慣れないお身体で、道中大変かもしれませんけれど――大切なのはいかなる時も、自分自身できちんと地面に立つことですわ」


 飾らないその言葉は、エッドの心に静かに染み込んでいった。


 困難だっただろう村の設立を支えてきた女の助言には、言い知れぬ力がある。


「……それでも、厳しい風が吹きつける時はどうするんだ?」

「そうねえ」


 ロゼナは背の高い夫を見上げてくすりと笑い、人間らしい温かなハシバミ色の瞳を細めて答えた。



「いっそ、その風に乗って――舞い上がってしまえばいいんじゃないかしら?」


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