第48話 時来たる




 それからの数日は、生前と変わらぬほどの忙しさだった。



「……んじゃ、やるっぺよ。エッドさん、覚悟はいいっぺか?」

「ああ、大丈夫だ。やってくれ」

「よーし! いち、にぃーの――」

「あー、いや! ちょっと待った! やっぱり、もう一度心の整理を」

「さーんっ! だっぺ」

「あああああああ」



 とある亡者の叫びが村に響き渡る時もあれば、重大な試験を前に頭を抱える学院生のような呻き声が聞こえてくる日もあった。



「――以上が、術の発動に至る理論です。ですから頭に描く象徴は“霧がかる月”、人差し指は“血の蜜蝋”となります。小指には“蛇の輪”を展開すれば十分でしょう」

「はい、質問です! お師匠さま!」

「何でしょう」

「まったくついていけない次元の話をされても、さっぱり分かりませんっ!」

「……」



 いつの間にか村中にエッドたちの救出作戦は広まり、家には助力を申し出る村人たちの来訪が絶えなかった。


 その案内を担ってくれたのはポロクで、上手い具合に家の外へ村人たちを送り返してくれた――もちろん、心のこもった差し入れはしっかりと受け取るのも忘れない。


『まあ、なんて美味しいクッキーでしょう。たまには、外界も悪くないですわ』

「そりゃ良かった……長旅になるから、君も十分に備えていてくれ」

『いつでも準備は良くってよ。アナタこそ、大丈夫ですの? 今日は、そこに横になっているだけではなくて』

「まだうまく“馴染んで”ないもんでな。それに、今日は休息日にしたんだ……。ログたちも、連日の特訓で疲れてそうだしな」

『難儀ですのね。ヒトは』

「まあな」


 長椅子に寝転がったままのエッドは、窓辺で日光を浴びている妖精に微笑んだ。

 彼女は大きなクッキーを上品にかじりながらも、外に目を配ることを忘れていない。その淡い緑の光を見ていると、エッドの精神も癒されていく気がした。


「エッド! きいてきいて!」

「どうしたんだ? 嬉しそうだな」


 騒々しく居間に飛び込んできたアレイアに、エッドは首だけを向けて訊いた。


「できたんだよ、例の術! 完璧じゃないけど」

「おお! それは良かったな」

「うんっ! これで、ログレスに睨まれずに済むよ」

「……睨んだ覚えはありませんが」

「っひゃ!?」


 背後から上がった低い声に、少女は飛び上がった。友が自室から降りてくる音をすでに拾っていたエッドは驚かなかったが、若き闇術師は悪戯が露見した子供のようにぎこちなく振り向く。


「ろ、ログレス……。部屋で休んでたんじゃ?」

「貴女にも休息を言い渡したはずですが。昨日の特訓で、魔力はかなり消耗したでしょう」

「あたしヒトより回復は早いから、大丈夫だもん」


 腕輪を鳴らして力こぶを作ってみせる弟子に、師は頭を振った。


「術を安定させるには、精神上の衛生も重要です。頭を空にして休みなさいと言ったでしょう」

「だって、そんなのムリだよ! 今までにないくらい勉強して、頭いっぱいだし。それにちゃんと本番で出来るかって考えると、不安で……」

「形にはなっているのですから、あとは過度な心配をしないことです」

「“揺るがぬ意志こそ、礎なり”でしょ。わかってるけどさあ……でも二人の足、引っ張りたくないし」


 落ち着きなく指先を弄る少女は、ちらとエッドを見る。

 エッドは重い身体を引き上げて長椅子に座りなおすと、牙を見せて笑んだ。


「ありがとう、アレイア。けど、ログの言う通り疲労ってのは怖いぞ? それが油断を招いて、うっかり身体が真っ二つになった勇者もいるくらいだ」

「うぅ……はい。ごめんなさい」


 肩を落とした若者は、大人しく部屋を後にした。しかし向かったのは間借りしているメリエールの部屋ではなく、調理場のようである。安眠のためにお茶でも淹れるのかもしれない。


 陶器の触れ合う心地よい音を聞きながら、エッドは向かいに腰掛けた友を見た。


「どうだ、お師匠さま? たまには、他人に教えるってのも悪くないだろ」

「上級術式より、難儀ですよ……」

「お疲れ。お前も休んだほうがいいぞ。結局、部屋でもなんか作業してたんだろ?」

「ええ。これの調整を行なっていました」


 自身が休息を取らなかったことについて悪びれる様子もない闇術師は、エッドに丁寧に包んだ物体を渡した。

 布を開いてみると、棒状の水晶が午後の光に煌めく。


「おお! 良かった、間に合ったんだな」

「間に合わせたのですよ。まだ本格的な負荷実験はしていません」


 薄紫の水晶の奥には、見慣れた暗褐色の花びらの姿が見える。風に舞ったまま時が止まっているかのようだ。閉じ込めてある魔力は覚えがあるもので、水晶に触れている指に心地よい。


「うん、良さそうだな」

「くれぐれも、無理のないように。破損させ代わりを求めるとなると、妖精たちに村中の食料を渡さねばならないことになりますよ」

「それは勘弁だな……ん?」


 騒々しい足音がエッドの耳に届くと同時に、アレイアが再び部屋に飛び込んでくる。


 先ほどと違うのは、慌てふためいた表情だ。


「二人とも! 今、セプ君から連絡が来たんだけど」

「どうした?」


 少女の困ったような顔に、エッドは思わず腰を浮かす。

 アレイアは持ち前の身軽さで素早くテーブルの前に屈み込み、薄青色の紙片――魔紙便を中央に広げた。


「見て。ついに、状況が動いたみたい」

「――“対象者たちは港町を主発。クーザン荒野にて野営のもよう”』


 インク滲みひとつない不思議な走り書きを読み上げ、エッドは首を傾げた。


「次の街まで移動せずに、道中で野営を? 港町で、資金を使い果たしたのか」

「ううん。たぶんあんな町じゃ使い切れないくらいは持ってるよ。けど、問題はそこじゃない。ルテビアに向かうなら、今どきクーザン荒野なんて通らないってこと」


 そう言い切ったものの、アレイアは眉をひそめた。

 意図が分からないという顔をしている。


「野営しやすい場所なら他にいくらでもあるのに、何でだろ。あの荒野には、枯れ草と魔物しかいないよ」

「……続きが送られてきたようですよ」


 ログレスの言葉に、エッドも少女も再び紙片に目を落とした。


 いつの間にか先ほどの文面は消え去っており、水面から浮かび上がる葉のように次の文字が現れる。



“魔物を狩り続けている。危険”



 不穏な通達に、一同は顔を見合わせた。


「危険だって?」

「なにがだろ。クーザン荒野の魔物なんて野生動物とあんま変わらないし、あいつなら一人でも訳ないと思うけど」

「……危険なのは、その“彼”のほうなのでは?」


 友が立てた推測に、エッドの胸を言い知れぬ不安がよぎる。


「聖宝の侵食によって、手当たりに次第魔物をほふり続けているのだとしたら、まさに“危険”な兆候です」

「……」

「セプトールの報告は、いつも仔細まで抜かりない。それがこの短文であるのを見るに、筆舌に尽くしがたい状況なのやもしれません」


 まさに走り書きといった流れるような文字を見、エッドは顎に手を当てた。


「そうだな。密偵は頼んでも、あの子を荒事にまで巻き込むつもりはない。安全な位置まで十分に距離を取り、それでも危険を感じるなら即刻退いてくれて構わないと伝えてくれるか?」

「ええ。心得ました」


 返事を送るべく魔紙を引き寄せたログレスにかわり、身を乗り出したのはアレイアである。興奮したように蜂蜜色の瞳をきらりと輝かせて言った。



「エッド、どうすんの?」

「ああ。こちらも“時来たる”だ――出立する」



 エッドの宣言に、仲間たちは迷いなく頷いた。



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