第5章 荒野の決戦

第50話 再会は潮風とともに



「エッドの兄貴ーっ! こっちだよ!」


 賑やかな港町の人混みから、こちらに向かってぶんぶんと手をふる少年。

 その快活な懐かしい声に向かって、エッドは嬉々として石畳を駆けた。


「セプトール! 久しぶりだな、元気そうでよかった」

「兄貴も、元気そうで――まあ“普通”の人間よりは、ちょっとばかし顔が青いけど――なによりだよ。全然、変わってないね」


 エッドは日除け用フードの下で微笑み、感慨深く恩人を見下ろした。


「はは、お前は変わったな。いい男になった」


 異国の地でたくましい色に焼けた肌に、軽装からしなやかに伸びる若い手足。まだあどけなさは残しているものの、一座にいたあのませた少年の面影はいく分か薄まっていた。


 すっきりと刈り上げた栗色の頭を掻き、セプトールは照れ臭そうに笑う。


「そうかい? ひとり旅をはじめた途端、こんなに背が伸びちまってさ。服代がかさんで仕方ないんだよ」

「悪かったな、こんなに遠くまで。経費は払うから、遠慮なく請求してくれ」

「もちろん、ぜんぶ記帳させていただいてますとも。お客さん」


 日除け着の胸元から帳面らしき紙束を覗かせ、少年はにやりと笑う。

 相変わらずの抜け目のなさに舌を巻いたエッドの背後で、重々しい声が響いた。


「……とりあえず、どこか店に入りませんか。雑踏で報告を聞くのは、感心できません」

「大丈夫かい、ログレスの旦那? そんな分厚い胴衣じゃ、この先辛いよ」


 亡者に負けず劣らず、闇術師ログレスは青い顔をしている。頑として脱がなかった黒い胴衣のフードで隠しているのは、顔色か頬を滴る汗か。


 心配そうにその暗がりを見上げ、小さな手ぬぐいを差し出したのは弟子のアレイアだ。


「ほら。だから言ったじゃん、めちゃくちゃ暑いよって」

「……日差しが、身体を刺し貫くようです……」

「でしょ。でも湿気がないぶん、ディナスより過ごしやすくなるはずだよ。まあ、すぐ慣れるって!」


 からりとした声で笑い、少女はばんばんと師の背を叩いた。不安定に揺れた漆黒の友を見、エッドは苦笑して助け舟を出す。


「海の旅はなかなか素敵だったが、二人とも疲れただろ。昼食もまだだし、涼しい店に入ろうか」

「そう来ると思って、馴染みになった店に席をとっておいたよ。地元民には人気の店なんだ」

「助かるよ、セプ」


 どこまでも気の利くところも変わらない。

 若木のように縦に伸びた背を追って歩き出しながら、エッドの脳裏をふとある考えがよぎる。


 自分は――どこか変わったのだろうか。


 少年に指摘された外見と同じく、聖堂に忍び込んだあの夜から、本当になにひとつ変わっていないのだろうか?


「冷たい飲み物でも貰おうよ。この町、モモブリェス・ソーダが名産なんだ」

「……その奇異な名の飲料に、賭けてみることにしましょう……」


 自然と連れ立って歩く、かつては敵同士だった男女をちらと見る。

 その間にも、エッドの左右を大勢の人々が通り過ぎていった。


「あ、あの店入りたーいっ! いいでしょ、お父さぁん」

「まったく、寄り道ばかり。時間は限られておるんだぞ」

「さっきの露店の腕輪、買っちゃおうかなー」

「いーじゃん、買っちゃいなよお。また来れるか、わかんないだしさ」


 見知らぬ人々だが、皆一様に前だけを見て歩いている。

 ひとつの流れになって、いずれ訪れる“終わり”まで進み続けるのだ。

 

 むせ返るような花の香りと共に、長の静かな声が蘇る。



 “貴様は、その流れから外れたのだ”



「……」

 

 これから先――誰もが、自分を置いて去っていくのだろうか?

 

「どうしたのです、エッド……。急いでくれると、ありがたいのですが」

「そうだよ。ログレスが干物になっちゃう」

「あ……ああ、悪い。今行く」


 きっと強い日差しに、脳が茹だってしまったのだろう。

 血の通っていない腕をさすり、エッドは人間たちの元へ歩き出した。





 案内人の紹介どおり、その店は狭い路地にひっそりと存在していた。


 しかし、外から中の活気は窺い知れないものである。

 潮風に吹きつけられた年季の入った扉を開くと、常連だと思われる地元民がお気に入りの席を陣取り、心地よい賑わいを見せていた。


「おお、セプトール! 今日も、即興の小噺を演ってくれんのかい?」

「ごめんよ。今日は古いお客さんの案内人なんだ。また今度ね」

「セプ君! 予約してくれるなんて感激よぉ。二階のいちばんいい席を空けてるわ」

「ありがとう、マダム・ルビーナ。頬紅の色、変えたんだね。とても素敵だ」

「んまっ、罪な坊や! 将来が怖いったら」


 次々にかかる歓迎の声に、エッドたちは目を丸くしながら店の奥へと進んだ。


「さあ、座って」


 人払いをしているらしいその席は、ひんやりと心地よい冷気に満たされていた。清潔な水差しと人数分のコップが、上品に並べられている。


 上機嫌の女店主に注文を済ませ、エッドはここまでの旅路を簡単に語ってみせた。


「なるほどね――ずいぶん早いとは思ったけど、“天馬”で海を? はああ、相変わらず、ぶっ飛んでるなあ。それ、いつか新しい演目ほんに入れさせてもらっていいかい?」


 帳面とは別の紙束に急いで覚書を走らせ、セプトールは目を輝かせた。


「自分でお芝居を作ってるの? すごいね」


 隅の席でうなだれている師に冷たい飲料を押しやり、アレイアは少年に感心の眼差しを送る。


「いや、まだ発想のかけらを集めてるだけだよ、アレイアの姉さん。もちろん、いつかは自分が座長になってみたいとは思ってるけど」


 夢と理想に輝く瞳。若者が放つ眩い光に目を細め、エッドは水に手を伸ばした。垂らされた果汁がやけに苦い。


「そっちの報告も聞いていいか?」

「もちろんさ。まず、大陸を渡るところまでだね」

「ああ。頼む」

「こほん。えーと……ディナス側の港では、やっこさんは聖堂の人と待ち合わせてたな」


 覚書のページを見返しながら、密偵は続ける。


「きっと、メル姉さんの件を報告したんだろうね。彼女の様子を聖堂側は不審がってたけど、あの“勇者様”がうまく丸め込んだみたいだった」

「どうせ、袖の下でも渡したんでしょ」


 軽蔑するように言うアレイアに、少年はわずかに首を傾げた。


「それにしちゃ、やけに大きい袋だったな。中身を見ると、ほとんど逃げるように使者は去ろうとした。袋を無理やり渡されて、吐きそうな顔してたくらいさ」

「……」


 一行はすばやく視線を交わす。誰もが、その袋の中身を確信していた。


「一瞬、まさか兄貴の身体が……なんて思っちゃったよ。でも、どこもちゃんとついてるみたいで安心した」


 冗談めいた言い方だが、聡い少年はどこか確信に満ちた瞳でエッドをさりげなく見ている。


 自身が魔物であることは親友が説明してくれたらしいが、奪われた腕の件は刺激が強すぎるとして伏せているのだ――砂塵避けのマントを羽織ってきて正解だったと、エッドは心中で胸を撫でおろした。


「それで。聖堂とは、それっきりか?」

「うん。きれいさっぱり、おさらばしたみたいだ。尾行のひとつもなかったよ」

「へえ……。案外、冷たい職場なんだね」


 気の毒そうに眉を下げた弟子のとなりで、冷水で喉を潤したログレスが気怠そうな声で言った。


「あの潔癖な聖堂のことです。“汚点メル”を連れて行ってくれるのであれば、喜んで任務完了とするのでしょう」

「だってメリエールって、すごく聖堂に貢献したんでしょ? なのに……」

「巨大な組織というのは、“枝切り”も栄えある職務のひとつなのですよ」


 皮肉めいた口調で言い捨てたあと、ログレスはふたたび壁に身を預ける。

 そこまで上空を飛んだわけではないのだが、“天馬”との海上の旅は大闇術師にそこそこの打撃を与えたようだ。


「じゃあ、続きだけど。……勇者はもちろん、ウェルス行きの船を探したんだ。シケが来るからって、まともな船頭には断られてたけど」

「でも、乗れたんだな」

「うん。権力と運賃だけで舵を回せる船もあるからね。奴さん、迷いなく乗りこんだよ。まあ――なかなか“愉快”な船旅だったな。オレは慣れてるけど」


 旅路を思い出したのか、セプトールはにやりと悪戯っぽい笑顔を浮かべる。

 エッドは荒波に揉まれる船を想像し、心配そうに訊いた。


「彼女は大丈夫だったのか? あまり、船に乗ったことはないはずだが」

「うーん、たぶんね。というか……なにも感じてないって言ったらいいのかな。船室の中から、ぼんやりと外を見てただけだった。ある意味、幸運だったかもね」


 小さくなっていく故郷の大陸を見ても、彼女はなんの感慨もなかったというのだろうか。

 最後に見た虚ろな瞳を思い出し、エッドはテーブルクロスの下で拳を作った。


「この港町トシアに着くと、すぐさま一番いい宿をとったよ。オレは見張りのために、向かいの安宿に入った」

「……二人は、一緒の部屋にいたのか?」

「ご心配召されるな、兄貴。メルさんを他人に見られたくないのか、自分が別の女の人を招き入れたいからか――ちがう部屋だったよ。ほんと、金持ちだねえ」


 その報告に、エッドは心から安堵して肩の力を抜いた。


「メルさんに食事やタオルを持ってくる女中も、いつも同じ人だった。あれは、なにか光るものを渡してるね。基本的にはずっと、部屋にいたなあ」

「軟禁状態ってこと?」


 不安そうに訊くアレイアにうなずき、密偵の少年は怪訝そうな表情で続ける。


「なんだか、奴さんもイライラしてるみたいだったよ。一度、術師のおじいさんと話し込んでる時もあった」

「術師と?」

「うん。結局解決しなかったみたいで、怒って追い返してたけどね」


 アレイアは腕組みをし、小麦色の三つ編みを揺らす。


「んー……契約書の力が強すぎて、焦ったのかな? お気に入りの人でも、“人形”になってちゃ意味ないし。それとも、聖宝のほうに問題があったのかも」

「なにを話したのか気になるな。その術師は、まだ町にいるのか?」


 エッドが尋ねると、密偵は静かに椅子を引いて立ち上がる。


「なら直接、話を訊いてみるかい?」

「え?」


 優雅に腕をしならせて腰を折り、若き役者は新たな人物の登場を告げる。



「みなさま――どうぞ後方に、ご注目くださいませ」


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