第47話 お医者様はいらっしゃいませんか―1



「はあぁ!? なんだいそれ! 絶対、あたしゃ嫌だね!」



 さきほどまで調子よく進んでいた計画は、その悲鳴に近い声によりついに足止めを食うことになった。

 予想していた反応とはいえ、エッドはさすがに笑顔を強張らせる。


「そこをなんとか頼むよ、ニルヤ」

「なんとかって……あんた、自分がなに言ってんのかわかってんのかい?」


 肉付きの良い腕を腰に当て、ニルヤはエッドを遠慮なく睨みつけた。

 驚いて落としてしまった野菜クズを狙い、鶏たちが慌ただしく集まってくる。


「ちょっと先生、なんとか言ってやっておくれよ! そこの妹さんも」

「……皆なにか勘違いしているようですが、僕はこの亡者の保護者ではありません」

「そうだよ! 保護者じゃなくって、あたしのだん――」

「不敬なことをお願いしてるのはわかっているつもりだ」


 アレイアには悪いが、ここは真面目な場として仕切りたいエッドは急いで口を挟んだ。


「けど、あの晩に見せてくれた君の“素敵な腕”にしかできない仕事なんだ。頼む」

「所詮、あんなの道具に過ぎないよ。大事なのは、使う本人の心もちだ。頼ってくれたとこ悪いけど、あたしは……あたしにゃ、とても……」


 戸惑いと慄きの色を隠せない女を、エッドは鶏に囲まれたまま見守った。

 野菜クズと間違って何度かつつかれたのち、のんびりとした声が背後であがる。


「こんにちはぁ、ニルヤ。どうしたの、青い顔して?」

「ああ、ロゼナ! それに、村長も」


 整えられた庭の小道に立っているのは、村長夫妻であった。


 青い鱗の一片もまとっていない人間姿のモルズドと、服作りが得意な妻のロゼナだ。

 ほっそりとして儚い印象を受ける一方、服飾のことになると驚くほど熱い女というのがエッドの認識だった。


「良いところに来てくれたよ。こちらの勇亡者さんが、とんでもない頼みごとをしにきてね。“岩蜘蛛ロックスパイダー”みたいに動かなくて、困ってんだ」

「あらあらあら。それは大変ねえ」


 夫と瓜二つの垂れ目を瞬かせ、ロゼナは小首を傾げた。

 困ったように夫を見上げ、少女を思わせる無邪気な声で訊く。


「ニルヤが引き受けてくれないとなると、誰に頼んだものかしら?」

「君がやってみたらどうだい。たまには、針と糸以外の道具に触れるのも悪くない」

「まあまあまあ! 私はたしかに王都で癒術師をしておりましたけど、“治すほう”しか経験がありませんのよ。“その逆”から、というのはどうかしら」

「んなっ――!」


 夫妻の会話を聞いたニルヤは口をあんぐりと開け、額に手を当てた。


「ああもう、あんたらもグルってわけかい……!」

「村人を巻きこむ話だ。まず村長に話を通すのが筋だろ?」

「それで夫妻の散歩道に“たまたま”悩んでるあたしがいたってのかい? まったく、亡者ってのは欲深いんだから」


 エッドは女の小言に苦笑で返し、罪を認める。

 ゆっくりと立ち上がると、鶏たちはついに残念そうに散開していった。


「ニル、お願いよ。ご近所さんが困っていたら、助けてあげなくちゃ」

「あたしだってそうしたいけどね、ロジー。今回ばかりは、むずかしいよ」

「じゃあ、やっぱり私が志願してみようかしら? 何事も経験ですし」

「じょ、冗談じゃないよ! あんた、いまだにモルズドの魚を綺麗に三枚におろせたこともないってのに」


 青ざめた顔で村長夫人を止めたニルヤは、自分をとり囲む視線に気づいてうめいた。


「なるほど。もう、勝負はついてるってわけかい」

「いや、無理にお願いするつもりはないんだ。最悪、自分でもなんとかできるかもしれないし――」

「馬鹿言うんじゃないよ。そんなの、誰だってうまくできっこない」


 丸々とした自身の手をぎゅっと掴み、ニルヤは観念したように言い捨てた。


「……あたし以外は、ね」

「ニルヤ! ありがとう!」

「けど、十分練習させておくれ。しくじったら、あんたが辛いんだから」


 不安そうに言い含めてくる女に、エッドは何度もうなずいた。


「もちろんだ。君の気持ちが決まってからでかまわない」

「……メリエールさんから貸してもらった小説ほんに、それとおんなじ台詞がでてきたけどねえ。もっと素敵な場面で使われてたよ」


 呆れたように言い、ニルヤは雲ひとつない空を見上げた。


「――あの娘はなにを読んでも、感受性が豊かでねえ」


 この豪快な女と物静かな彼女に、そんな接点があったとは意外である。エッドは、互いのお気に入り本を交換する女性たちを想像した。


「悲恋には胸を裂かれ、冒険譚には心躍らし……ありきたりなどんでん返しにも、いつも素直に驚いてさ。あたしの本棚で眠っていた本たちも、久々に熱心な読者に会えて嬉しかっただろうよ」


 遠くへと馳せていた視線を戻し、ニルヤはエッドを見据える。

 その瞳が、まぎれもない金色に輝いた。


「まだ感想を聞いてない本がいくつかあるし、あたしも返さなきゃならない本がある。かならず、無事に連れてきておくれ」

「ああ。約束する」


 迷うことなく答えたエッドに、女は人差し指を立てて忠告する。


「あんたもだよ、エッド。ログレス先生も、隣の“きれいな瞳”をしたお嬢さんも。みんな、無事に帰ってくること。それが、あたしからの条件だ」

「……。なかなか難関だな」

「おや。できないってのかい、勇亡者さま?」


 腕組みをして返答を待つ依頼人に、エッドは牙を見せて微笑んだ。



「言ったろ? やるだけ、やってみるさ」



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