第36話 ぬめぬめしたやつ―1
「ただいまーっ! ログレス、寂しかった? うわ、ここ暗っ!」
「戻ったぞ。また村長の奥さんに、たくさん服を貰ったよ。アレイアは似合う色が異なるからってさ」
賑やかな声と足音が、やけに薄暗い部屋に転がり込む。
エッドは積み上げられた本や肘掛け椅子に深く沈み込んだ男を見、すぐに状況を理解した。
しかし飛び込むように入室した少女は、しばらく進んだのち派手に転倒する。
「うわっ、ぷ! ごっ、ごめん! なんか踏んだかも!」
「……エッド。明かりを」
夜目が利くエッドにはすでに、すべての状況が見えていた。
壁際にある明かりを難なく灯しつつ友人たちに注意を促すが、それでも声が可笑しさに震えてしまう。
「ちょっと待ってろ。二人とも、動くなよ……危ないからな」
親しげな光に部屋が包まれると、響いたのはアレイアの恨めしそうな声だ。
「あいたた。もう、なんでこんな暗い部屋で……って、ん?」
その声は、すぐに戸惑いへと変わる。
少女はまず、自分の顎の下にある分厚い本を見た。次に小麦色の頭は、その書物を支えている黒い胴衣の膝――そして彼女を見下ろしている不機嫌そうな顔を、ぎこちなく見上げる。
「……大事ないのでしたら、退いていただけますか」
「へっ!? あ、うん。あたしは大丈夫だけど――おぅっ!?」
どぎまぎしている少女にかまわず、ログレスは本を両手で引き抜いて言った。
「項にシワが寄っては困ります。貴重な文献なのですから」
「一応訊くが、“それ”は困らないのか?」
古書を入念に調べている友に、エッドは面白がるような声をかける。想い人の膝に頬をすり寄せ、少女が猫のように喉を鳴らしていた。
「うーん……暗い部屋で読書ってのも、案外悪くないかもね……」
「……僕は今後、気をつけるようにしましょう」
少女の襟首を掴んで引き剥がしながら、ログレスはため息まじりに言う。
「!」
仲間たちを観察していたエッドだったが、視界の隅にうごめく物体を見とめてぎょっと身構える。
「ああ、なんだ……ただの“
詰め物をしすぎた枕のような生き物だ。
半分透けている不思議な色の身体は、明かりを反射してぬめぬめと妖しく光っている。飛び出した目が、のんびりと左右に揺れていた。
「えっ――ええ!? なんだ、じゃないよ! 魔物じゃん!」
「俺も魔物なんだけど」
エッドの声を無視したアレイアは、腰に差していた短杖を引き抜く。さっと立ち上がって臨戦の構えをとり、挑戦的に言った。
「そういや、あたしの実力をまだお披露目してなかったね。見ててよ、これでも勇者パーティー随一の闇術師だったんだから!」
集中する少女のうしろで、文献を閉じた大闇術師が音もなく黒い愛杖をかかげる。
「……大変遺憾ながら、その腕前はまた次回拝見することにしましょう」
「え」
『“
「あっ、わわっ!?」
すぽんと手から飛びだした杖に、アレイアは素っ頓狂な声を上げる。
釣り糸を引っ掛けたのかと思えるほどの正確さで友の手中に収まった杖を見、エッドは拍手がわりに口笛を吹いた。
「お見事。その術が剣の類にも使えるとしたら、便利なんだけどな」
「それは術名の通りですよ。術師同士が戦う際に、かけ合う技ですから」
「いっ、今はあたしと戦ってるんじゃないでしょ!? どうすんのさ、あれ!」
アレイアが指さした先では、動く気配のない巨大ナメクジがどっしりと構えている。
その巨体の下に、古びた敷物が埋もれていることにエッドは気づいた。
後輩の杖を検分しているログレスに、亡者は呆れた声を投げる。
「ログ。説明しないと、アレイアが怖がってるぞ」
「こ、怖くなんかないよ! その……そういう、ぬめぬめしたヤツがちょっと苦手なだけだし」
「おや……それは失敬」
粟立った腕をさすりながら身を引いたアレイアを見、ログレスはやっと腰を浮かす。
その顔にはどこか企みめいた笑みが浮かんでいたものの、一瞬でいつもの無表情にもどって答えた。
「この魔物は現在、僕が使役しています。よって、排除は無用です」
「し――使役!?」
「ちなみに個体名は、“シマ三号”としています」
「いや聞いてないし。てか一号と二号どうしちゃったの?」
少女の的確な指摘に、魔物は豊かな肉をぶるぶると震わした。なんらかの感情の現れなのか、淡い光の筋が縞模様として浮き出ている――友の安直な名付けは、いつものことだ。
エッドは、圧倒的に不足している説明を捕捉した。
「アレイア。ログレスは、魔物を使役する術が使えるんだよ。俺も“ある物”が手に入るまでは、魔力を制御するのに力を貸してもらっていたんだ」
「う……嘘でしょ? だって冥府から使者を召喚するならともかく、現世における使役術なんて……」
「とうの昔に、諦められている――ですか? 果てなき知を探求することこそ、闇術師の本分ですよ」
ログレスの堂々たる主張に、少女は頬を赤くしてうつむく。
使役術が無駄な研究分野として放棄されたというのはエッドも知っていたが、ほかの大陸でも扱いは変わらないようだ。
しばらくして、アレイアは小さく口を尖らせて呟いた。
「……操って、なにさせんの?」
「色々ですよ。主に、その魔物しか持ち得ない能力を借ります」
「てことは、こいつもなにかできるのか?」
粘膜に覆われた身体の模様を観察しながら、エッドは訊いた。
どうも魔物が自分の視線から逃げているように見えるのは、気のせいだと思いたい。
「“水晶ナメクジ”は、とり込んだ物体を結晶化して排出する特性があります。とくに魔力の強い結晶は巣穴にもち帰り、溜めこんでおいて後の活力源にします」
「へえ。鈍臭そうなのに、けっこう合理的なんだな」
「……見た目では判断できない、優れた能力をもっている魔物は多いのですよ」
友の紅い目がなぜか自分に向けられているのをエッドは感じたが、無視することにした。実験台にされてはかなわない。
「身体の中央部を見てください。丁度、結晶を生成している最中です」
「おお、どれどれ。おーい、なにを食べてるんだー?」
もちろん返答はなかった。“シマ三号”はエッドの親しげな声など聞こえていないかのように、黙々と巨体を揺すっている。
エッドは屈みこみ、濁った身体の奥に目を凝らした。
ぼんやりとだが、暗褐色の物体がゆっくりと渦巻いているのが見える。
「うえ……。あまり美味そうじゃないな」
「貴重な場面ですから、術師として貴女もよく見ておくと良いでしょう」
「ちょ、押さないでよ! あんたわざとやってるでしょ!」
先輩に背中を小突かれたアレイアは吠えたが、しぶしぶエッドの隣に屈む。
明らかな嫌悪を浮かべた顔が、魔物の咀嚼行為を眼前にしてさらに渋くなった。
「うう……うにょうにょしてる……。とり込んでるものは、薄いね。花びら、かな?」
「ああ、言われてみれば。花を食べるなんて、可愛いじゃないか」
「えー、やだよぉ。水やりしてて花壇にこんなのがいたら、“
それでは花壇がいくつあっても足りないだろうとエッドは笑う。
もう一度観察してみると、たしかに少女の言うとおり花びらが舞っているように見えた。
「……ん?」
暗褐色の、地味な花弁。
毎日のように、どこかで見たような――。
「あああああ!?」
亡者の叫びに、ナメクジの縞模様だけがのんびりと明滅を返した。
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