第36話 ぬめぬめしたやつ―2
「えっ、なになに!?」
突然の絶叫に驚く少女にもかまわず、エッドは友をふり返る。
「ろ、ログレスお前――これ、“モリブルッドの花”じゃないか!?」
「毎日持ち歩いていたわりに、気づくのが遅いですね」
「今日は、魔力を充填する日だから預かるって……」
「な、なに、その花? 大事なもんなの」
きょとんとしているアレイアに、ログレスは涼しい顔で淡々と説明した。
「妖精から賜った、貴重な魔力貯蔵の花です。僕の魔力を閉じ込めており、普段はエッドが所持して制御の要としています」
「その制御って? さっきも言ってたけど」
「彼は、これでも歴とした魔物ですので。感情のたかぶりによって、亡者の魔力に自我を呑まれる可能性があります。……それをおさえ込むため、“カンネルの複合式理論”を用いて――」
エッドは水晶ナメクジの上部を両手でつかみ、するどく言った。
「講義はあとにしてくれ!」
激しく明滅しはじめた“シマ三号”は、ねばねばとした粘膜を分泌してエッドに抵抗する。アレイアが、術師とは思えない動きで飛び退いた。
「刺激しないほうが良いですよ」
「なに悠長に言ってんだ! そもそも、なんで食わせたんだよ!?」
「心配せずとも、貴方に返します」
「え……」
見ると、ログレスは指で黒い胴衣の胸を叩く。
背後でアレイアが、はっと息を呑む音が聞こえた。
「そっか! 結晶化して、エッドの胸の穴を塞ぐんだね?」
「ご名答です。現在の押し花状よりも格段に強度が上がりますし、心臓の位置にはめ込めば、魔力の循環をより促進させられます」
「すごい。超かっこいいじゃん!」
術師同士のうなずきを交わす二人に、エッドは不機嫌な声で割り込んで言った。
「ああ、なるほどな。魔力の塊が胸に入るなら、俺としても文句はないよ。けどそれってつまり、こいつのウ――」
「排出物、と言ったはずです」
「急いでさえぎるあたり、お前もちょっとはそう思ってんだろ!?」
エッドの哀れな嘆きを聞き、友は妖しく微笑んだ。
この男の笑みの理由は、いつも周りの期待を打ち崩すものばかりである。
「水晶ナメクジは、とり込んだ物質同士を体内で混ぜることはありません。しかもその結晶化技術は、王都の宝飾師でさえ到達していないほどの腕前です」
「そりゃ王都じゃ、ちょっと“珍しいやり方”だろうしな」
「不純物を含まない、純然たる魔力の結晶。現時点では、これ以上の素材はないでしょう?」
自信たっぷりにそう説明されると、エッドとしても言い返せない。たしかに、土や鉄を詰められるよりも効果的だろう。
敷物の上に戻った“シマ三号”が、ふたたびのろのろと作業を再開したのを見つめ、エッドは遠い目をした。
「さて。結晶が貴方の胸にきちんと嵌るよう、液状のうちにこの容器に流し込んでもらいましょう。排出された後、きれいな棒状になるはずです」
黒い金属の筒を遠慮なく魔物の口に押し込むログレスを見、エッドは半歩下がった。
服の下に空いた穴をさすりながら、恐々と尋ねる。
「お前、それ……」
「この魔物には溶解できない素材で作った筒ですので、ご安心を」
「いや、そうじゃなくて……つまりその筒、俺の心臓の穴にぴったりってことか?」
いつになく横に広がった友の口元が、すべての答えを物語っていた。
*
「さて。貴方の新たな“心臓”を作っている間に、話しておきたいことがあります」
湯気の立つカップから口を離し、ログレスは静かに切り出した。
エッドは羨ましそうに、肘掛け椅子で寛いでいる友を見る。
「……いいなあ」
「この薄いハーブティーがですか?」
「わ、悪かったね! まだ、ここの茶器に慣れてないだけだもん」
向かいの長椅子におさまっている作り手の少女は、不躾な感想にぷいとそっぽを向く。
エッドは長椅子の縁に腰かけ、苦笑した。
「いや、飲み物を楽しめること自体がさ。飢餓感はないけど、気持ち的にな」
「そっかぁ……大変だね。あ、そうだ! ちょっと待ってて」
行き先を尋ねる暇もなく、少女は風のように部屋から駆け出していく。
ほどなくして、となりにある調理場からなにやら賑やかな音が聞こえてきた。
「……注文とは贅沢ですね、亡者。僕が出した食事に手をつけているのを見た記憶がありませんが?」
「そもそも“食事”が出てきた覚えがないんだが? それとログ、食事は作り手の気持ちをいただくもんだ。どんな味でも、ちゃんと礼は言わないとな」
カップを視線で示しながら、エッドは不器用な友に助言する。
「しかし真実を伝えたほうが、のちの上達に繋がるのではありませんか?」
「まあ、そういう場合もあるけど。単純に、作ったら“美味い”って言ってほしいんだよ」
「ふむ……」
眉を寄せ、ログレスは真剣に言葉の意味を探求しはじめる。
「お待たせー! あたし特製、スペシャル亡者ブレンドだよっ!」
かちゃかちゃと楽しげな音を響かせ、アレイアが盆を手に戻ってきた。
小腹も減ったらしく、ちゃっかりとパンのカゴを腕に引っ掛けている。本の山を退かし、てきぱきと茶器を揃えた。
丸々とした白磁のポットから若草色の液体が落ちると、エッドの鼻腔が反応を示した。
「お? いい匂いだな」
「でしょでしょ。さっき村長さんの庭で見かけて、ちょっと譲ってもらったんだ」
「ほう。カエルの干物かなにかですか?」
「失礼だな、ただのビーガラモガラだよ!」
「……僕の記憶違いでなければ、毒草のはずですが」
カップに近づけていた鼻を慌てて引っ込め、エッドは作り手を睨んだ。
「安心して。燃やして虫除けにも使えるけど、あたしの故郷じゃすり潰してレモンと一緒に飲み物に入れるんだ。クセがすごいけど強い魔力を含んだ草だから、あんたにもどうかなって」
「へ、へえ……」
「ログレスはこっちね。さっきと配合変えてみたから、どーぞ!」
カップをそれぞれに押しやり、アレイアは腕組みをした。口をつけないという選択は許さないという顔である。
ちらと友に視線を送ると、彼はしぶしぶうなずいた。
「うぉ、うまっ! なんだこれ、すごく美味い!」
「……多少、深淵へと近づいたようですね」
無事に挙がった二つの賞賛を受け、アレイアは薄い胸を張る。
実は緊張していたらしく、一気に肩の力を抜くと言った。
「ん。それなら良かったよ。レシピ、書いて調理場に貼っておくね」
「ああ、ぜひ頼む。……いや、ほんとに嬉しいよ」
頬を緩ませ、エッドはもう一度カップを傾ける。
レモンの爽やかな酸味に、胡椒のような辛味をもった薬草の刺激が舌上で弾ける。食事の喜びを感じたのは久しぶりだ。
「やっぱ、それぞれの好みにあわせて淹れるのが一番だね」
「それはメルも言ってたな。面倒じゃないかって訊くと、もう趣味の域だって」
「あ、わかるわかる! 地味なんだけど、なんか極めたくなっちゃうんだよねー」
明るい笑い声を上げる少女に、エッドはますます好感を持った。
彼女が帰ってきたら、共通の趣味をもつ友人になれるかもしれない。
そう――まずは、“帰って”きてもらわねば。
「では、補給を終えたところで話を戻しましょう」
同じ考えに至ったのだろう。ログレスは合図するようにテーブルにカップを置くと、仲間たちを見回した。
「たしか、話しておきたいことがあるって言ったな」
「ええ」
エッドの確認に、友はまるで夕食の献立を告げるかのような気軽さで答える。
「このままウェルスに渡れば、我々は敗北します」
黙々と生成作業に勤しむ魔物の咀嚼音だけが、静まり返った部屋に響いていた。
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