第31話 解呪の秘策―2




 顔を赤くして自問自答を続けるアレイアを置いて、大闇術師はエッドに問う。



「術師にとって最大の危機とは、何だと思いますか」

「いきなり問題か。ええと――魔力が底をつくこと?」

「それは単なる管理不足です。恐れるべきは、詠唱を封じられること」


 そこで言葉を切ると、ログレスは自らの口を指差した。

 エッドが見ると、おもむろに舌を出す。


「それは……?」


 あまり健康的とは言えない色の舌先には、焦げたような不自然な跡があった。


「……僕の舌には、術効果を打ち消す小さな宝石が埋め込まれています。“言葉封じサイレス”などの術を受けてしまった場合、舌で上顎に印を切るだけで解呪できます」

「そんなことできるのか!?」


 幼馴染である自分でさえ、初耳である。


「声を封じられた術師ほど、間抜けなものはありませんから。たとえ詠唱を短縮している場合でも、発動のための最終文言は声に乗せる必要がありますし」

「へえ……」


 時折この闇術師が凄まじい速さで術を放つのを目にするが、あんな場面でも何かしらの呪文は唱えているということなのだろう。


「お前……ほんとすごいな」

「当然の備えです」


 こともなげに言ったログレスを見上げ、エッドは素直に感心した。


 そういえば、この男が“言葉封じ”を受けているのを見たことがない――他のパーティーの苦労話を聞いて、エッドは初めてその術の存在を知ったほどである。


「しかし……そう便利というものでもないのですよ。宝石は消耗品で、強力な術の解呪を行えば一度で壊れてしまいます。その度に、切開して埋め直さねばなりません」

「うぇ……。それ、毎度自分でやるのか?」

「切り札の準備を誰かに依頼する馬鹿がいますか」


 体系的に、闇術師は癒しの術を会得できない。自らの身体へ刃を入れるために必要な覚悟は、並大抵のものではないだろう。エッドは友の真摯な態度に、内心で舌を巻いた。


 隣のアレイアが、蚊の鳴くような声で補足する。



「“呪戒律”ってのは強力だけど、その分厄介な術なんだ。手製の烙印を対象者に直接押しつける必要があるの。あたしの“呪戒律”は、その……ここに……」



 一瞬だっだが、ぺろと小さく出した舌に四角い複雑な文様が刻まれているのが確認できた。エッドが眉をひそめたのを見て、少女は視線を逸らして呟く。


「ライルベルはクズだけど、ちゃんと学んでた。舌は魔力が集まる部分だから術が効きやすくなるし、烙印の色は赤で視認しにくいし……。おまけに、あたしが印の存在を他人に漏らす行為も禁じるっていう効果も、織り込み済みでさ……」

「確かに、なかなか画期的な選択です。呪印を見つけた時は、僕も驚きました」


 アレイアがびくりと肩を震わすのを見ずに、友は嘲るように言い放つ。



「そのような烙印を、仲間の舌に焼きつける狼藉者が実在するとは――と」

「……!」



 嫌悪からわずかに顔を歪めているログレスを見上げ、少女は言葉を詰まらせた。


「あ、あのさ……。何回言っても、足りないくらいだけど……ありがとう、ログレス。あんたが“呪戒律”の名を持ち出してくれたから、術の効果が揺らいだんだ」


 小さく頷き、ログレスは感心したように――付き合いの長い者にしか分からない程度だが――口の端を持ち上げて言った。


「“存在に思い至らねば、解く術やなし”……解呪の基礎です。だから貴女も、自分は“スニヴ”――犬鬼コボルド語で“奴隷”という表現を用いたのでしょう?」

「驚いた……それにも気づいてくれたんだね」


 少し恥ずかしがりながらも、少女は尊敬の眼差しでログレスを見上げている。その真っ直ぐな視線から目を逸らし、闇術師は呟いた。


「……この解呪法はもちろん、他人に施すために発案したものではありません。しかしあの場では、解呪のための準備が不足していました」

「杖一本で出来るもんじゃないのか?」

「ええ。普通は確実に術の種類を特定し、“術返し”に合わないよう防御を固め、可能なら聖術師に控えておいてもらうのが最善です。……」


 紅い目を静かに少女に戻し、ログレスは珍しく気遣わしい声を落とした。



「あの場での己の判断が間違っていたとは思っていません。しかし、少々“手荒く”なってしまったことも事実……。婦人の貴女に、不快な思いをさせたことは謝罪しましょう」



 この言葉にアレイアは抜け殻のように数秒固まっていたが、やがてぶんぶんと手を振って叫んだ。


「えっ! まさかそれ、謝ってんの!? やっ、やめてよ――あんたが悪く思うことなんて、ぜんっぜんないんだから!」

「しかし……」

「紛れもなく、あたしの命を救ってくれたんだよ? あんたの判断がなかったら、今ごろあたしは――」


 アレイアは明るい蜂蜜色の瞳を潤ませ、うつむく。

 真珠のような小さな雫が、床に音もなく落ちた。


「……ウェルスじゃ、あいつは“立派な勇者”として持てはやされてる。だから仲間のあたしが服従の呪いに苦しんでることなんて、誰も疑いもしなかった……。それにあいつはそれさえも警戒して、あたしを他の術師に合わせることもさせなくなって……」


 日々の屈辱が蘇ったのだろう、アレイアの手は怒りと恐れに震えている。

 エッドの喉から、自然と労いの言葉が湧き出た。


「辛かったな。よく頑張った」

「……っ」


 エッドは知り合って間もないこの少女が、健全な精神の持ち主であることを確信した。あの勇者から感じた首筋が粟立つような冷たさを、この子は持ち合わせていない。


「このままずっと……あいつの命令に従うしかないのかなって、ほとんど諦めてたんだ。だから、本当にありがとね」

「……。もう聞き飽きましたよ」


 少女が浮かべた満面の笑みに素っ気なく答えると、ログレスはお馴染みになった覚書の束をさっと取り出す。切り離した一枚にはすでに、エッドには見慣れた難解な字がびっしりと並んでいた。



「……“呪戒律”を解いた際に破壊された宝石代と、切開に使う麻酔と塗り薬。あとは寝床と食事の提供を足して、この額面通りでお願いします」

「え」



 請求書を受け取って目を通した少女は、亡者よりも蒼ざめて叫んだ。


「たっ、高っ! あ、あたし、ウェルスに戻ってもこんなに持ってないよ!?」

「ほう? 勇者の“元仲間”の割に、稼ぎは少なかったのですね」

「い、いやそりゃ……あいつはそういうとこケチったりはしないから、きっちりくれたけど……。ほら、年頃の娘には色々と使い道がさ……」


 あたふたと弁解していたアレイアだが、上等な煌めきを放っている腕輪をさっと背後に隠して笑みを引きつらせる。


「わ、わかったよ――カラダで払うから、勘弁して?」

「良い心掛けですね。では早速……」

「えっ!? こ、ここで?」

「窓拭きと床掃除、日用品の買い出しをお願いします。終わったら、薬品の調合補助と武具の手入れです」

「……」


 “妖艶”な提案を完全に無視され、アレイアは石像のように固まった。

 やり取りがひと段落したのを見、エッドは姿勢を正す。



「アレイアがこちらに加勢してくれて、俺としても心強いよ」

「うん! 出会いはアレだったけど、よろしくね。“勇亡者”さんっ!」



 三つ編みを揺らして元気にそう答え、アレイアは手を差し出してくる。


 エッドは自分の灰色の手を見て躊躇したが、思い切ってその小さな手を握った。



「ああ。よろしくな」

 


 あたたかい。



 自分には持ち得ない生命の熱が、冷え切った骨にまで染み込む気がした。 



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