第31話 荒療治にもほどがある―1
「あの、アーテルさん!」
「ん?」
緊張と焦りが混ざった声に呼ばれ、エッドはふり向いた。
しかし今日も、王都の冒険者集会所は混み合っている。視線はすぐに凛々しい人々の海に呑まれた。
「こ、ここですっ!」
「ああ。大丈夫か? ちょっと引っ張るよ」
猛者たちの波間からぴょこぴょこと挙がっていた華奢な手を掴み、エッドは少し力を入れて引き寄せた。
「きゃっ――!」
筋肉の鎧を着た拳闘士たちのうしろから、つんのめるようにして白い姿が現れる。
「悪いな。けどそこは、受付に並ぶ列のど真ん中だ。話をするには、こっちの隅がいい」
「あ……申し訳ありません。はじめて来たものですから」
口うるさくしてしまったかと心配したエッドをよそに、聖術師の格好をした女は好奇心に満ちた目で辺りを見回している。
肩上で切りそろえた銀の髪に、皺ひとつない大聖堂の法衣。エッドはそっとブーツの泥汚れをかかとでぬぐった。
「やあ。君が、メリエール・ランフアさんで間違いないか」
「はい。ひと通りの聖術を習得しております。このたびは、パーティーにお招きいただき光栄です。お世話になります、勇者アーテル様」
「あー、えっと……」
尊敬の光に輝く翠玉の瞳を見下ろし、エッドは気恥ずかしさから頬を掻いた。
すでに何人かがこちらに気づき、遠慮なくじろじろと見つめている。
「その。“勇者”とはいっても、成りたてだから。まだなにも功績もおさめてないし」
事実、任命式などは昨日終えたばかりである。たしかにもう肩書きは“勇者”を名乗っても良いのだが、なんとなく気後れするものがあった。
装備も使い慣れた物のままであり、この集会所の人々も顔なじみばかりである。そんな場所で、大層な称号をかかげようものなら――
「よっ! 我らが勇者、エッド・アーテル! 新たな平和の守り手に乾杯っ!」
「やっと中堅が板についてきたってのに、勇者になっちゃまた“駆けだし”だなあ!」
「王から報奨金を賜ったら、ここの皆にエール奢れよ! 安いもんだろ」
「ああ、もう……」
方々から太い手でばしばしと肩を叩かれ、エッドは赤い頭を抱える。
メリエールはその喧騒に目を丸くしていたが、やがてさらに尊敬を深めたようにうなずくと言った。
「“人望と忠義こそが、汝がたずさえし剣となろう”――ですね」
「任命式、見てたのか!?」
どこか聞き覚えのある文句に、エッドは驚いて尋ねる。
「ええ。……勇者様でも、式の最中にうとうとなさるものなのですね」
そう答えて屈託なく笑うメリエールから、エッドは困ったように視線を逸らした。
田舎育ちのため、もちろん厳格な式などに出席した経験はなかった。前日までの緊張がたたり、あろうことか本番で寝てしまったのである。
式後、王城関係者や漆黒の友からさっそく“お小言”の花束が届けられたのは言うまでもない。
「格好悪いところを見られてしまったな」
「ふふ。いいえ」
絹のような柔らかい声で、彼女は秘めごとをささやいた。
「安心しました――私も、ああいう場って苦手なんです」
*
「!」
目を開いたエッドをのぞき込んでいたのは想い人ではなく、見慣れた天井の木目だった。
「村か……」
声は出る。身体は重いが、あの燃えるような痛みは嘘のように消えていた。
エッドは枕から頭を持ちあげ、薄い毛布をめくってベッドに横たわる身体を見下ろす。心臓に開いたままの小さな黒い穴が、じわじわと苦い現実を思い出させてくれた。
灰色の皮膚にはなぜか小傷が増えているものの、問題なく四肢も動かせるようだ。
「……」
いや、もう完全なる“四肢”ではない――愛すべき右腕は、肘から先が綺麗に消え去っていた。
傷口には、清潔な白い布が幾重にも巻かれている。滴る血はないので、単に見た目を良くするためのものだろう。
厳しい現実にうなだれる暇もなく、雑なノックと独り言に近いかけ声が耳に飛びこんでくる。
「エッド、起きたー? まぁ、まだ寝てるかな。入るよー……って、うわ!?」
ぎょっとしたエッドはベッドの上で身構えるも、上体が意図に反して大きく傾く。無意識に身体を支えようとした手が存在しなかったからだ。
「びっくりしたぁ! 目、覚めたんだね」
こちらの返事を待たずに入室した人物は、お構いなしにずんずんと部屋を横切ってくる。
「もー。起きてるなら、なんか言ってよ!」
「さ、さっき目覚めたんだ……ていうか、君は」
「君じゃない」
ベッド脇に到着した少女は、エッドを遠慮なく見下ろした。小柄な者の常は見上げる側だからだろう、どこか得意げな顔をしている。
「あたしは、アレイア。くそ勇者ライルベルを見限ってこっちに付くことにしたから、よろしく!」
「お、おう……?」
世にも奇妙な挨拶に、エッドはぎこちなく返事する。少女はそれを聞き、満足そうに笑った。
「見てのとおり、闇術師だよっ!」
言い切る割には、今は闇術師らしい胴衣を着ていない。
派手な軽装から伸びる褐色の腕はやはり若く、しなやかだ。手首に幾重にも巻いた鮮やかな腕輪がぶつかりあい、涼しげな音を立てている。
小麦色の髪は三つ編みにしており、その快活な口が開くたびに犬の尻尾のごとく左右に揺れた。
「看病するのは職業柄苦手なんだけど、さらにあんた“亡者”なんだもん。なにしたらいいか、ぜんっぜん分かんなくて焦ったよ。ぶっちゃけ放置に近かったけど、目覚めてよかった!」
にかっと笑って見せた八重歯の白さが眩しい。いや、眩しく感じるのはこの若々しい言動のおかげだろうか。エッドは急に自分が老け込んだように感じて苦笑した。
「……闇術師たる者、軽々しく“分からない”などと口にしないことです」
「あ、ロ――」
「ログレスーっ!」
小言とともに現れた友にエッドが気づいた時には、すでに少女は走り出していた。
職を聞き間違えたかと思うほどの速さで部屋を駆けぬけ、なんの迷いもなく漆黒の男に向かって大きく跳ねる。
「おっはよー! 探したんだよ、部屋にいなかったからさ!」
「……貴女の手が及ばない森の奥まで、薬草を摘みに行った甲斐がありましたね。あと、勝手に僕の部屋に入るのは止めてください」
辟易した様子で少女を避けたログレスは、たしかに森の香りをまとっている。
廊下に飛び出てしまったアレイアはステップを踏んで軽快に身を反転させ、リスのように頬を膨らませた。
「なんでさ? 妻が夫を起こしにいくのは、当然でしょ?」
「つっ――!?」
ベッドからずり落ちそうになりながら、エッドは予想外の言葉に絶句した。
額に手をやり考えたあと、深刻に言う。
「そうか……もうそんなに、時が経って……。正直に教えてくれ、ログ。俺は何年眠ってたんだ?」
「あなたは三日しか眠っていませんし、僕は未婚です。それとも、さらに永い眠りが必要ですか?」
冗談半分だったのだが、闇術師の紅い瞳が危険な光を放ちはじめたのを見てエッドは黙る。どうやら、隣の少女にずいぶんと手を焼いているらしい。
「その子、一応“人質”なんだろ? 放し飼いにしておいて大丈夫なのか」
「ええ。命を救われた義理は通すらしく、従順なものです……よく、吠えますが」
「ちょっと、人のこと犬みたいに言わないでよ!」
「命を救われたって……あの“呪戒律”とかいうやつか?」
さっそく吠えようとしていた少女は、エッドの質問にぴたりと口を閉じる。
一瞬で上気した頬を両手で覆うと、うつむいてぼそぼそと話した。
「えと……う、うん……。あんな解呪法があるなんて、あたしも思いもしなかったけど……」
「キスしたら呪いが解けるのか? 浪漫があるな」
記憶が途切れる前に目撃した場面を思い返し、エッドは素直な所感を述べる。
しかし表現が直接的すぎたのか、少女は蜂蜜色の瞳を潤ませて椅子から立ちあがった。
「ちっ、ちちちが!! あっ、あれはき、きすとかじゃ!」
「まったく……理論は仔細に説明したはずですが」
「そ、そうだけど……! でもあれって、傍から見るとやっぱ“そう”なんのかな……?」
ごにょごにょと自分に語りかけているアレイアを置いて、エッドに向き直った友は肩をすくめた。
「他にも訊くべきことがあるのではありませんか、エッド」
「まあな……。けど見てのとおり久々の起きがけで、まだぼんやりしてる。まずは、直前に起こったことから聞かせてくれ」
「……承知しました」
心臓の穴と失った右腕に友の視線が飛ぶのを感じたが、こちらの心理状態に配慮してくれたらしい。
彼はいつもの調子で、淡々と説明をはじめた。
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