第30話 浪漫あふれる呪いの解きかた



「エッド、これはどういう傷なのです。普通の損傷ではありませんね」

「あ、ああ……。“聖宝”……ウェルス大陸の、“遺物”……らしい」



 エッドの心臓に穿たれた黒い穴をのぞき込み、ログレスは眉根を寄せた。


「もしや、痛みを感じますか?」

「めっちゃ、くちゃ……痛い、んだな、これが……」


 引きつった笑みを浮かべてそう答えると、友は納得するようにうなずいた。痛覚をもたない亡者が痛みを感じているということは、聖気による影響があると見抜いたのだろう。


 ログレスは指輪を茂みにおいて立ちあがり、捕縛者のほうへ歩き出す。


「な、なにっ!? 言っとくけど、あたしにはどうにもできないからねっ!」

「そんなことは承知しています。ですが――」


 エッドには友の黒い胴衣の背しか見えなかったが、そのむこうに転がった女が戦慄した表情を浮かべたことはわかった。


 さらに恐怖を煽るような、低い声が降りそそぐ。


「貴女の魔力をすべて抽出して彼に移せば、気分くらいは良くなるやもしれません」

「す、すべて!? うそでしょ、そんなことしたら“魔力重枯渇”で死ぬよ!」


 魔力はすべての人間に宿っており、術以外でも生活上の動力として消費されている。

 魂にまで密に絡んでいるという説もある――というのがエッドのおぼろげな知識だ。女の様子を見るに、だいたい正解なのだろう。


「いえ、今死なれては困ります。貴女には今後、人質として役立っていただくので」

「……人質、ねぇ」


 ログレスの物騒な発言に、意外にも女は動じなかった。

 さきほどエッドの隣で見せた、諦めにも似た雰囲気をふたたび漂わせる。


「あとでがっかりしてされてもアレだから言うけど。あたしにはそのお役目、果たせないと思うよ」

「……勇者の仲間なのでしょう?」

「かつては、ね。いや、昔もかな……。とにかく今のあたしは、あいつの親愛なる“スニヴ”ってとこ」


 芋虫のように身体をよじるのをやめた女術師は、そう言ってため息をついた。ほかの大陸の言語なのか、エッドにその意味は理解できない。


「……」


 友はわずかに思案し、やがて感心できないといった口調で言う。


「まさか貴女は、“呪戒律じゅかいりつ”を刻まれているのでは?」

「……えっ!?」

「おや。違いましたか」


 女の驚きぶりは、エッドからもよく見えた。

 口をぽかんと開け、穴が空きそうなほどログレスを見つめている。

 

「ご、ご名答だよ……。ふん、まさか国の礎である“勇者”さまが、こんな嫌らしい古術を熱心に勉強してたなんて思わないでしょ」


 同情なら歓迎だというふうに微笑んだ女に対し、ログレスは深刻な様子で答える。


「いえ……闇術師でありながらそんなものを受けてしまった貴女の迂闊さに、心から感心していました」

「き、気絶してたのっ! 正面からだったら、こんなの受けたりしないってば!」

「僕なら、寝ていても拒めますが」

「なんなのあんたっ! しかも出来そうだからムカつくっ!」


 悔しそうに地面でのたうち回る女を見下ろしている友に、エッドはかすれた声で尋ねる。


「じゅ……かいりつ?」

「ああ、貴方が知らないのも無理はありませんね」


 憮然とした顔で転がっている女を見ながら、闇術師は手早く説明した。


「古の闇術で、今はヒトに行使することが禁じられた服従魔術です。対象者は、特定の行動を強く制限されます」

「ヤな、術だな……」


 エッドは重い頭を動かしてうめいた。

 ライルベルを好いていないのに協力しているという矛盾は、これが理由だったのだ。見たところ彼女の意識は明瞭なようだが、術によって何かしらの行動を束縛されているということだろうか。


「これで分かったでしょ? あたしはあいつの秘密も喋れないし、あのキレイな聖術師がどこへ連れて行かれたかを話すこともできない。もちろん、あんたの傷をどうにかすることだってね!」


 長い恨みつらみを一気に吐きだすと、女は荒々しく肩を上下させる。


「ぜんぶぜんぶ――忌々しい古術のせいだっ!」


 フードが跳ね、露わになった小麦色の髪が地面を叩く。


 相変わらずエッドの視界は陽炎のように揺れていたが、輪郭からして術師はかなり若く見えた――まだ少女だ。


「……言いたいことは、それだけですか」

「ふん! あとは煮るなり焼くなり、そこの亡者のエサにするなり好きにしなよ! どうせ術を解くことなんて、だれにだって、出来やしないん……だから……っ」


 威勢のいい声は次第に細くなり、か弱い嘆きになって木立の合間に消えた。


 悔しさによる歯ぎしりと、悟られないように小さく鼻をすする音が魔物の耳に届く。敵ながら同情の余地があると感じ、エッドは居心地が悪くなった。


「もう……だからヤダって言ったんだよ……!」 


 しかし激すると、なかなか治まらない気性だったらしい。

 術師はごろんと転がって空を仰ぎ、恥も外聞もないといった大声で叫んだ。


「実験で使えって、何様なの!? あたし、そんな根暗な闇術師じゃないっての! やっぱり勇者の亡者なんて、荷が重かったんだ……なにが“闇術師らしく処理しておけ”だ、ライルベルの××! ひとりでとっととずらかりやがって、あの×××! そんなだから、クレアだって――うっ!」


 口を塞がれたように、急に恨み言葉が途絶える。


「か……ぁっ……!」


 少女は陸に打ちあげられた魚のごとく口を動かしたが、遠目にも顔色がみるみると変わっていくのが分かった。


 悔しそうに額を地に擦りつけ、術師は途切れそうな声をふり絞る。


「はっ……ぁ……うそ、マジで、発動っ、した……! あいつ、もう、××××!」

「そろそろ口を閉じないと、あまり感心できない遺言が残されることになりますよ」

「う……るさいっ……! か、はっ」


 びしゃ、と耳障りな音が響く。

 女術師は小さな口から大量の血を吐き、苦しげにむせ込んだ。


「や……だっ……! げほッ……!」

「!」


 久しく見ていなかった人間の血は、エッドの目に奇妙なほど鮮やかに映った。


 熟れた林檎よりも、沈みかけた夕陽よりも紅い。


「……っ」



 彼女はまだ、たしかに生きている。

 自分にはとり戻せない命の温もりが、その身体の中で生を叫んでいる――。


 エッドは自分でも知らぬ間に、友の名を呼んでいた。


「ログ、レスっ……! あの子、を……!」

「――まったく、お人好しな亡者ですね」


 意図が伝わったのか、みずからそうするつもりだったのかは分からない。しかしエッドの頼みを聞き終える前に、友は動き出していた。


 影のように足音もなく女術師の元へ歩み寄り、血だまりの中から小さな身体を抱きおこす。


「はっ……あぅ……! な、にを……っ!?」

「動かないでください。……貴女の後学のために、闇術師にとって大事な心得を授けましょう」


 平坦な口調で語る男を腕の中で見上げている少女は、どんな顔をしているのだろうか。エッドは目を細めてみるも、安定しない視界ではその表情までは読みとれない。


「一つ。常に知識を求めること。二つ、常に警戒し備えること――」

「なっ……あ、あんた……にゃに、をがっ!?」


 見間違いだろうか。

 エッドは手が動かないことも忘れ、両目を擦りたい衝動に駆られる。


「ああ、なるほど……。此処ですか」


 自分の見立てが正しければ、友はその大きな手で少女の血だらけの頬をむんずと掴んでいるようだ。


「ろ、ログ……?」


 いや、きっと光の悪戯かなにかに違いない。

 吐血している少女相手に、まさかそんな扱いをするはずが――



「……三つ。“不測の事態”に陥っても、逆転できるすべを持つことです」

「む、むぐぅっ――!?」



 血だまりの中、荒々しくもしっかりと唇を重ねる男女。



「あ……」



 そのころには、痛みとは別の感覚がエッドを支配しはじめていた。


 水の中をゆったりと浮かんでいるような気分――それが“眠気”だと、亡者はようやく気づく。


「……」


 エッドの意識は簡単に身体を離れ、本格的な暗闇へと溶け出した。


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