第29話 ばらばらにして
「メルっ……!?」
糸の切れた操り人形のように倒れた聖術師に、エッドは呼びかけた。
「……」
そのかすれた声が届いたのか定かではないが、メリエールはすぐにゆらりと身を起こす。
「やあ。気分はどうかな」
「……問題ありません」
上機嫌な勇者も気になったが、それ以上にメリエールの答えかたに違和感がある。
さきほどまで明らかに醸し出していたライルベルへの嫌悪感が消えていた。
いや、そもそも――なにも感じていないかのような。
「メリ、エール……っ!」
「では出発しようか。君の安否に関しては、近くの街から聖堂に報告しよう。とにかく早くこの大陸を発ちたくてね。なにせ、蒸すだろう?」
「……」
ぺらぺらと喋る勇者に、メリエールはただ一度だけこくりとうなずいた。エッドは目を見開いてもう一度名を呼ぶが、彼女はこちらをふり向きもしない。
それどころか、なんの躊躇もせずにライルベルの後について歩き出した。
「メ、ルっ――!」
「しつこい男は無様だよ。君も分別があるなら、彼女の新たな門出を祝いたまえよ。亡者に捧げる人生など、あっていいわけがない」
小馬鹿にするように言ったライルベルにつられ、聖術師も足を止める。
視線を彷徨わせたあと、やっと地に伏すエッドを見つけたらしい。
「……?」
まるではじめてその様子を目にしたかのように、不思議そうに小首を傾げる。
その無表情ともいえる顔が、どんな痛みよりもするどい深手をエッドに刻んだ。
「ああ、そうだ。僕としたことが忘れていたよ。少し、動かないでくれ」
「――ッ!?」
右腕に走った新たな痛みに、エッドは声にならない悲鳴をあげた。
身体の均衡が、急速に崩れていく――。
「約束は違えていないはずだ。首でないことを、彼女に感謝したまえよ」
そう嘲りながら勇者がかかげたのは、見慣れた灰色の腕――いくたびもの戦場で愛剣をふるってきた、自分の剣腕だった。
肘から先の部分のそれは、まるで粘土細工のように冷たく黙している。
「腕を失った亡者がどれほど動けるのか見届けてやりたいが、残念ながら時間がないのでね。僕たちは、これで失礼しよう」
「……っ!」
言葉が見つからないエッドを置いて、二つの足音は遠ざかっていった。
*
「やれやれ。やっと終わったみたいだね、あの気障男」
暗闇に沈みそうになった意識が、突然ふってきた声にすくい上げられる。
「……」
エッドはずりりと音を立て、声のほうへ顔を向けた。延々と続くこの痛みにも、悲しいもので慣れはじめている。痛みを恐れなければ、顔くらいなら動かせた。
「ああ、動かないでよ。貴重な皮膚が取れちゃうだろ」
「……だれ、だ」
「あたし?」
名を訊かれるとは思っていなかったのか、エッドの傍に屈みこんだ女は驚いて言った。
「んー、名乗っても仕方ないと思うけどなあ。実験中に名前呼ばれても、なんかヤだし」
「じっ……けん……?」
気力が尽きかけているのだろう。エッドはかすみがかった視界の中で、その人物を漠然と眺めた。
黒っぽい服をまとった小柄な女が、あまり上品とは言えない姿勢でエッドを見下ろしているらしい。
「そ。あんたは、あたしの実験体。意思と不朽の身体をもつ亡者なんて、ほかじゃ絶対手に入らないもん。ちょっと細切れになっちゃうかもだけど、我慢してよね」
「あいつ、の……な、かまか……」
仲間は置いてきた、とあの“気障男”は言っていたが嘘だったらしい。
となれば思念伝達を妨害していたのは、この闇術師らしき女の仕業だろう。
「――仲間なんかじゃないよ。
女の日に焼けた小さな顔の中で、口の部分が皮肉そうに歪むのが見えた。
「……」
エッドは他になにか特徴が分かるものはないかと、かすんだ目を凝らす。
褐色の肌をもつ女は、砂鉄のような黒い胴衣に身を包んでいる。闇術に身を置いている者の格好は、どこの大陸も変わらないらしい。こちらが弱りきっていることに油断して、無防備に屈みこんでいる。
「……もも、いろ……」
「え?」
地味な配色の中で唯一、エッドが認識できた色を告げる。
温かな色をしたそれは、すぐに黒に覆われてしまった。
「どっ――どこ見てんの!? こンのくそ亡者ッ!!」
罵声を浴びせ、女は慌ててエッドから離れた。
その裏返った声で、エッドは自分が何を見てしまったのかを悟る。
「あ……すま、ん……」
「ちっ、調子狂うな。さっさとばらばらにして、持ち帰ろうっと」
女はそう言い放ち、短い銀の物体をとり出す。長さからして、ナイフだろう。
“ばらばら”になってしまった自身の姿を想像すると、恐れよりも滑稽さが勝る。
しかし、抵抗する気力も意志も残ってはいない。
「――それは到底、承諾出来ませんね」
どこからともなく響いてきた、静かな声。
落ちかけていたエッドのまぶたが跳ねあがった。
「なっ――きゃあッ!?」
「!」
エッドを囲むようにして冷たい突風が吹き上がり、油断していた女を弾き飛ばした。
驚きに任せて、エッドは頭を持ちあげる。
傍に出現していたのは、見慣れた細長い漆黒の影。
「ログ……!?」
「歓談は後にしましょう。今は、この麗しき客人をもてなさないと」
淡々とした口調とは裏腹に、凄まじい魔力を立ち昇らせている闇術師――ログレス・レザーフォルトの姿がそこにあった。
「転移術!? どうやって、こんな正確な位置に」
驚愕している女の質問を無視し、ログレスは杖を向けて容赦なく拘束術を放った。
『孤影より這い出し者よ――“
「っあ!」
浮きあがった自身の影に蛇のごとく絡めとられ、女は地面に膝をつく。
「き、聞きなよ! くっ……だ、“闇の”」
「貴女ごときの魔力で、僕の術を破るつもりですか?」
冷然とした声に女は顔を歪める。図星だったのだろう。
そもそもログレスを楽々と凌駕できるほどの腕前であれば、事前に妨害工作などしない。
勝てない相手と分かっているから、現場に来させないようにしていたのだ。
「ログ……す、まん……」
「哀れっぽい声を出しても、現状は変えられませんよ。彼女に、何かあったのでしょう?」
「ウェルスの、勇者だ……。メルを、連れていった……」
想像以上に落ちこんだ声をしていたのだろう。黙ったエッドの横に屈んだ友は、草むらから小さな銀の輪を拾いあげる。
伏したままのエッドに見えるようにし、やや口調を和らげて説明した。
「……この指輪には、微量ながら僕の魔力を込めてあります。メリエールの聖気によって、いつもは自動的に抑えこまれていますが」
「そ……なのか……」
そんな細工が施されているとは知らなかった。頭がうまく回らないエッドは、続く友の説明にぼんやりと耳を傾けた。
「有事の際には、指輪をはずして僕を呼ぶようにとり決めていました」
「よぶ……?」
「ああ、そういうこと。つまり、その道具を座標として転移してくるってわけね。普通はこんな遠距離、ぴったり現場には飛べないもん」
地面にす巻きになって倒れている女は、納得したのかうんうんとうなずいた。
それを不快そうに眺め、ログレスは紅い目を昏く光らせる。
「……口も塞ぐべきでしょうか? 細かい制御は面倒なので、鼻も塞いでしまうかもしれませんが」
「結構だよ。べつに、あんたらのお喋りを邪魔したいわけじゃないし。どーぞ続けて」
女術師はそう言い捨てて黙る。ログレスは肩をすくめて続けた。
「まあ、そういうことです。友とはいえ、貴方は亡者。か弱い婦人と二人きりになるためには、必要な策だと判断しました。……隠していて――」
「あやま、るなよ……。ありがと、な……」
エッドはわずかに頭を動かし、ばつが悪そうにしている友に礼を言った。
何を謝ることがあるのだ。
たしかに驚くべき工作だが、その策にこうして今助けられた。
「……」
それに比べ、自分はあまりにも迂闊すぎた。
平穏な毎日に慣れきって、彼女を狙う人物が多くいることを意識していなかった。
これは急襲でもなんでもない。妨害術の設置に、あの“聖宝”――相手ははじめから、すべて準備してきたのだ。
“慣れる”ことがどんな予想外の危険を招くか、自分の身体を真っ二つにして思い知ったというのに。
「……っ、くそ……!」
亡者は牙の間から、自身にしか聞こえない声を落とした。
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