第28話 勇者みたいに
「ぐ……っ!」
「エッド!」
喉から転がり出た苦痛のうめきに、想い人は蒼い顔になって叫んだ。
心臓を貫いた細剣は蛇のようにしなり、持ち主の手へと戻る。
「血の一滴もつかないなんて、なんだか奇妙だな。いや正直、気味が悪いね」
変わらぬ煌めきを放つ愛剣を眺め、勇者ライルベルは興味なさそうに言った。
エッドは一瞬、彼の身長が高すぎることに違和感を覚える――自身の膝がすでに地に落ちているからだと悟ったのは、しばらく経ってからだった。
「は……っ、なん、だ……?」
「効くだろう? さすがに、亡者でも痛みを感じるのかな」
満足そうな勇者の声さえも、遠鳴りのように聞こえる。
今やエッドの身体は心臓を中心にして、燃えるような痛みに苛まれていた。
生きていた時でさえ、こんなに痛みを感じたことはない。
刺すでも斬りつけるでもなく、まるで体内を余すことなく炙られているかのような――。
「エッド! あなた、痛みを――!?」
「ああ……こりゃ、効く、な……っ」
駆け寄ってきたメリエールはエッドを支えようとしたが、自身の体質を思い出したのか踏みとどまった。
「それ、で……いい……」
エッドは安堵と無念がまざった複雑な気持ちで、なんとか苦笑してみせる。
大きな痛みが手足を巡るたび、いっそ切り落としたいような衝動に襲われるが、心配する仲間にそんな場面を見せるわけにはいかなかった。
「改めて紹介しよう――聖宝、“
「!」
勇者は愛おしそうに、剣の呼び名を口にする。
エッドには聞き慣れない言葉だったが、メリエールは目を見開いて畏れたようにささやいた。
「まさか、“遺物”――その剣が!?」
「こちらでは、そう呼ばれているらしいね。ま、我らが母国では、こんなに有用な物をただ祭壇に飾っておくことはしない」
冷たい鈍色の光が青い目に映り込む様は、獲物を追い詰めた獣のそれと酷似していた。
「この剣がどれだけ魔物を斬りたがっているか、長い歴史を語ってあげてもいいけれど――どうやら、別れを惜しむ時間は無さそうだね?」
「う、ぐ……っ!」
「エッド!」
力を込めすぎて白くなった想い人の指が、お気に入りだと話していたロングスカートに大きな皺を刻んでいる。
「く……」
エッドは身体中の反対を押し切り、座位に移行した。
やっと同じ高さに彼女の顔を見とめ、にっと笑う――全力にしては弱々しい笑顔になってしまったが、苦痛に歪む顔よりは上出来だろう。
「そんな顔、するな……。大丈夫、さ」
「うそです……!」
そうこぼしたメリエールの瞳が、苦しそうに光る。
焦燥と悔しさに、形の良い唇が震えていた。
「ごめんなさい……。私のもつ術では、あなたの苦しみをとり除けない……っ!」
「嘆くことはないさ。魔物を救う術なんて、誰も学んでやしないんだから」
「……!」
気の利いた冗談のつもりで勇者は言ったのだろうが、エッドには皮肉にも天啓となった。
メリエールも気づいたのか、ハッとした表情を浮かべる。
小さくうなずくと、エッドは暴れまわる痛みの合間をぬって思念を飛ばした。
(……)
しかし思念は、虚しく静寂に吸いこまれていく。
痛みをこらえてエッドは何度か挑んだが、聞き慣れた友の声は返ってこなかった。
「くっ……。ダメ、か……」
「こちらもよ。なんだか、妨害されている感じがします」
指を組んで集中していたメリエールが、悔しそうに息を落とす。
妨害もせずに眺めていた勇者は、計画通りといったふうに笑んだ。
「ああ、君たちのお仲間に闇術の使い手がいるのも知ってるよ。なにも対策を施さないわけがないだろう?」
「……意外と……怖がりなんだ、な……“疾風”さま?」
これ以上、無様を晒すわけにはいかない。エッドはその一心だけで軽口を放ったが、ライルベルは爽やかな仮面をあっさりと捨てて真顔になる。
「さて。君の下品な冗談にも愛想が尽きたよ。その首、いただこうか」
「首を!? こんな状態の相手を、まだ辱めるというの」
「聖堂への手土産さ。手ぶらじゃ、討伐の証にはならないだろう?」
幼子を宥めるように甘ったるい口調でそう答え、勇者はふたたび剣をかかげた。
飛び立ちそうな意識を集中させ、エッドは不敵に笑む。
「はっ……。首を包むための、
「エッド! お願いだから黙って!」
キッとこちらを睨みつける顔まで、愛しい。
エッドはそんな場違いなことを思う自分に呆れた。
それほどまでに――これまで培ってきた勘が、もう諦めろと身体に訴えているのだ。
「……」
逃げてほしいと頼めば、彼女は逃げてくれるだろうか?
もし首を落とされても亡者が動けるとしたら、一瞬の隙を作り出せるかもしれない――。
「エッド。今度は、私に救わせてください」
メリエールが唐突に放った一言に、エッドは脱出案を練るのを止めた。
凜とした声は、たしかにいつもの冷静な彼女のものだ。
しかし不吉な影が、ぴったりとその後をついていく気がしてならない。
「なに、を……」
「大丈夫だから」
そうささやいて浮かべた静かな微笑みは、“いつも”の彼女のものではない。
エッドが知る、本当のメリエール・ランフアの笑顔にはほど遠かった。
聖術師はエッドに背を向け、勇者に対峙する。
「勇者ライルベルさま。私――やはり、貴方と一緒に行きます」
「!」
ぴたりと歩を止めたライルベルは、わざとらしく肩をすくめて言った。
「おやおや。それは光栄だね。けれど、聡い君のことだ。条件があるんだろう?」
「……ええ」
固い声で肯定し、メリエールははっきりとした声で告げる。
「私が貴方のパーティーに入るかわりに、彼を見逃してほしいんです。貴方からも、聖堂からも」
「メルっ……!?」
エッドの声に、耳を貸すつもりはないらしい。メリエールはふり向くことなく、ただ取引の相手だけを見据えている。
その堂々たる態度に感服したのか、勇者は細剣を鞘におさめた。
「なんて欲張りなんだろう、君という人は! けれど、それでこそ“ディナスの聖女”だ。恐れ入ったよ」
「……ついでに、その肩書きも忘れていただければ助かるわ」
軽蔑するように鼻を鳴らした彼女に、勇者は称賛のまなざしを送る。しかし青年が美しい顔に浮かべる笑顔は、どこか毒々しい。
「まあ、欲張りなのは僕も同じでね。はるばる大陸を渡ってきたんだ、
「では、利害は一致していますね?」
「おっと。けれど、こちらもひとついいかな」
ライルベルは事務的に言い、一枚の書簡を見せつける。細く角ばった字が整然と並び、末尾に署名欄があった。
「君が僕の仲間になる旨を記した契約書だ」
「細かいのね……。私が逃げ出すとでも?」
「いいや――別に?」
勝ち誇ったようにエッドを見下ろす勇者の表情は、メリエールにもはっきりと見えただろう。自分が足枷になっていることを痛感し、エッドは歯噛みする。
「労働契約は書面でというのが、我が大陸の常識だ。もちろん、署名してくれるね?」
「……内容を確認させてください」
「もちろん、どうぞ。まあ、あまり時間をかけないことをお勧めするけどね」
勇者の言葉に、メリエールはちらとエッドを見下ろす。
急いで契約書をうけ取ると、書面を追って銀の頭が忙しく左右に動いた。
「勇者である貴方への献身……私の命の保証……住居と仕事の確保……自由に礼拝の時間をとっていいこと……余暇は、毎週ありますか?」
「もちろんさ。初回はさっそく、歓迎の食事でもどうかな」
「いえ。休日は、ひとりで過ごします」
「メル……っ!」
エッドは岩のように固まった身体を起こそうとするが、もはや意志の力だけではどうしようもなかった。
集中を切らせば接着してしまいそうな口で叫ぶ。
「やめ……るんだ……! にげ、ろ……!」
すぐそばにいるのに、彼女との間には深い谷が存在しているかのようだった。
わずかにふり向いたメリエールの横顔には、静かな決意だけが宿っている。
「言ったでしょう。今度は、私があなたを救うの――勇者みたいにね」
名を呼ぼうとふたたび開いた口から、意味のない音だけが広がる。
彼女は困ったように微笑むと、少し屈んで両指を組む――傍から見れば、旅立つ者への祈りにしか見えないだろう。
「ありがとう、エッド・アーテル。私の――勇亡者さま」
指を解く際に、メリエールはすばやく中指から指輪を引き抜く。
勇者から見えない位置で落とすと、自然な動作で立ちあがった。
「別れは済んだかい? なら、このペンを使ってくれ。インクは染み込ませてある」
「……用意が良いのね」
羽根ペンが紙上を走る音を、これほど戦慄して聞いたことはない。
震える牙で何度も口内を傷つけながら、エッドは声にならない叫びあげた。
「ご協力感謝する。そして歓迎しよう――ようこそ、“僕の”メリエール」
署名を確認した勇者は、大きく口を横に広げてささやく。
「……っ!?」
矢に射抜かれたようにびくりと聖術師の身体が震え、地に崩れ落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます