第27話 交渉人は恐れない



 高らかな音とともに男たちが剣を抜き放つと、悲痛な叫びが森に響きわたった。


「待ってください!」


 すばやく二人の間に躍り出たメリエールは、恐れずに両手を広げた。


「争う理由はないはずです! エッド、私は一度聖堂へ行ってきます。きちんとお話すれば、わかってくださるわ」


 踏み込もうとしていた脚をあわてて止め、エッドは頭をふる。


「悪いけど、無駄だと思うぞ。話し合いで解決したいなら、こんなに“親切”な勇者さまを送りこんだりしない」

「けど――!」


 構えを解き、ライルベルは両手を挙げて親しげに言い足した。


「おっと。話し合いといえば、もうひとつの解決策を提示していなかったね」


 その無防備な身体を張っ倒すには絶好の機会だったが、聖術師の懇願するようなまなざしにエッドはついに降参する。


「まず、勘違いしないでほしい。僕としては、君のその優しさには深く感銘を受けている。亡者に堕ちたとはいえ、元は仲間。彼を救うために地位と名声を棄てる君は、まさに聖女だ」


 小さな拍手とともに、ライルベルは賞賛を送った。

 風の向きが変わったのか、勇者がまとっている香水がエッドの鼻腔を刺激する。


「……」


 そんな苦労はもちろん知らず、悲しそうな表情を浮かべて勇者は続けた。


「次に、任を受けた身でこう言いたくはないが――聖堂へ行くのはおすすめしない。そこの魔物が言ったとおり、話し合いの段階は過ぎた」

「そんな……!」

「聖堂は“闇に堕ちた”君が戻ってきたとしても、歓迎しないだろう。どんな糾弾が待っているか、想像したくもないね。唯一、そこの醜い亡者の首でもあれば別かもしれないけれど――手伝おうか?」


 ライルベルの申し出に、メリエールは蒼い顔で激しく頭をふった。

 それを見た勇者は、美しい花を愛でるような陶酔した顔になってうなずく。


「そうだろうね。心中、察するよ。僕も少し前、パーティーの仲間を任務中に亡くしてね。助けられなかったことを、今でも毎日悔いてるんだ」

「……そう、ですか」


 勇者の告白に、メリエールの声がわずかに震える。

 エッドは香水の濃い匂いに辟易としながらも、話を引き戻した。


「それで? 俺を悼んでくれるのはありがたいけど、何が言いたいんだ」

「つまりだ。聖術師メリエール・ランフア――僕のパーティーに入ってほしい」

「え」


 エッドは驚きの声をあげたが、記憶は的確に必要な場面を引っ張り出していた。

 聖堂でコウモリの耳がしかと聞いたはずだ――ウェルス大陸の勇者から勧誘を受けている、と。


「それは……以前にも、お断りしているはずです」

「つれないね。けどその理由は、在籍しているパーティーがあったからだろう? 今の君は、どこにも所属していない。聖堂にすら、ね」

「……」


 最後の一言が胸に刺さったのだろう。メリエールは悲しそうに視線を落とした。銀の髪が、うなだれた肩を砂のように滑っていく。


「どうだろう? 悪い話じゃないはずさ」


 商人としての才覚も感じさせるほど流暢に、勇者は提案を続ける。


「僕と一緒に来れば、むこうでの安寧は保障しよう。パーティーのための拠点も持っているし、高収入で名誉ある仕事も継続的に入ってくる。遥かなる海さえ渡れば、“しがらみ”もついてきやしない」


 エッドは、人間に戻ったつもりで思案した――たしかに、それ自体は悪い提案ではない。


 このディナス大陸では強大な組織として扱われる聖堂だが、他大陸への布教はまだまだと聞いたことがある。

 その追求なく、仕事が再開できたなら? 彼女の腕なら、間違いなくまた名を挙げることができるはずだ。


「僕の仲間になってウェルスに渡るとなれば、すべてが丸く収まるだろう。去りゆく君を聖堂は追わないし、僕がそうさせない。そこの顔色が悪い彼は……まあ、いずれ時が連れ去ってくれるさ」


 風情ある言い回しだが、要は朽ちて消えろということだろう。

 実は朽ちない身体をもっていると言いかけたエッドの脳裏に、ふと妖精の長の声が流れた。


“百合を手にすることが出来なかった時――貴様は、真に世の闇を歩く者となろう”


「……ご親切に、ありがとうございます」

「いいんだよ。君の評判は、以前からウェルスにも届いていた。ぜひいつか、加入してほしいと思っていたんだ。まさに、時来たるじゃないか!」


 熱弁をふるうライルベルは、確信に満ちた顔で微笑む。


「さあ、返事を聞かせてくれるかい?」

「そうですね……」


 メリエールは言葉を探すように空を見上げ――そして、その頭を戦斧のように全力でふり下ろした。


「ごめんなさいっ! やっぱり私、貴方と行くことはできません」

「うんうん――は? なんだって」


 笑顔を凍りつかせたライルベルに向き直り、メリエールは説明した。


「申し訳ないのですが……私そんなに、たいした人間じゃないんです。この数ヶ月で、本当に痛感しました。聖術師としても、ひとりの人間としてもまだまだだって」


 聖術師はちらりとエッドにふり向いたが、少し笑んだ後にすぐに来訪者へと顔を戻す。その細い背中がきちんと伸びているのを見て、エッドは安堵した。


「任務と聖堂の職務に、この身を捧げてきました。けれど最近――やりたいことが多くて困ってるんです」

「やりたいこと?」


 勇者の声はするどいものに変わっていたが、メリエールは臆することなく話を続けた。


「お昼をきれいな野原で食べることや、冷たい川に足をつけて涼むこと。野いちごをそのまま頬ばったり、日がな一日読書にふけったり……」


 ひとつひとつの宝物をとり出すかのような優しい口調に、エッドは胸が熱くなった。


「……っ」


 それはむしろ、こちらが言いたいことだ。


 村で過ごした日々がエッドに与えた癒しは、血の通わない灰色の体にもしっかりと沁み込んでいる。


「そして最も大事なのは――大切な人の、そばにいることです」


 仕事でも、使命でもなく。

 自身の希望でそうしているのだと、強い瞳が語っていた


「メル……」

 

 エッドの頭には、洒落た冗談のひとつも思い浮かばなかった。

 思い浮かべる必要もなかったのだ。


「冗談だろう? 君は、その魔物に貴重な才能を割こうというのか」

「私のような術師なんて、どこにでもいるわ」


 勇者の愕然とした問いも、メリエールは微笑んで受け流す。


「人材探しでしたら、個人的な聖術師の友人を紹介できます。聖堂に属してない人達なので、大陸を越える手続きも簡単でしょうし」

「……ああ、結構だ」


 勇者の口がこぼした短い言葉が、肯定の意味ではないことは明らかだった。

 わずかにメリエールの肩に緊張が走るが、彼女は勢いのまま話をまとめにかかる。


「そういうことですので、残念ですがやはり一緒には行けません」

「……そうかい」

「やはり聖堂には近々、自分で話をつけに行こうと思います。遠いところをご足労かけました。旅費はお支払いします」


 腰の物入れに手を入れ、彼女は書きつける道具を探しはじめる。その向こうから、低い声がぼそりと落ちた。


「それも結構」

「!」


 長い金属が鞘の内側を走るわずかな音が、エッドの耳に飛びこんでくる。

 この予兆に反応できるのは、剣の修練を積んだ者だけだ。


「メルッ!」


 名を叫びながら一歩で距離を詰めたエッドは、想い人をはじめて乱暴に扱った。


「えっ――きゃ!」


 細い肩をつかんで亡者の力で薙ぎ払うと、彼女は簡単に脇の茂みへと倒れこむ。


「え、エッド!?」


 聖術師の悲鳴に、エッドはぎこちない笑みで応える。

 しかし、自身の状態から目を逸らすのは難しかった。


「ああ、狙い通りだ。楽に入ってよかったよ。刃こぼれは御免だからね」


 愉悦に歪む勇者の声に導かれ、エッドはゆっくりと視線を落とす。



 冷たく光る細剣が――まっすぐに、心臓を貫いていた。



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