第26話 ウェルスの疾風さま、現る



「はじめまして。“ディナスの聖女”――メリエール・ランフア殿」



 舞うように手を胸に添え、小粋な角度に腰を折って挨拶する男。

 その姿を横目に、エッドは仲間に向かってにやりとした。


「……久々にそう呼ばれた感想は? “聖女”さま」

「わっ、私がそう名乗ったわけじゃありませんっ! 知っているでしょう。聖堂上部が、勝手に――!」

「はいはい。まあ、俺はわりと嫌いじゃないんだけどな」


 恨めしそうな表情のメリエールを手で制し、エッドは一歩前へと進む。

 

 対峙する男は自分よりも小柄だったが、若い。

 しかも、少しばかり――いや、かなり整った顔つきをしていることに気づかずにはいられなかった。それでもエッドはできるだけ近寄り、礼儀ただしく挨拶する。


「やあ。彼女になにか用かな」

「僕が会いたいのは彼女だ。退いてくれたまえ」

「!」


 急激に冷たくなった声と異様な気配に、エッドは文字どおり飛び退いた。


 距離をとって顔を上げると、先ほどまでエッドの腹があった場所に銀の光が煌めいているのが目に入る。メリエールが叫んだ。


「い、いきなり何をするんです!?」

「ちょっとした挨拶だよ。この細剣レイピアを見れば、名乗らずとも僕のことをお分かりいただけるだろうとね」


 自身の見事な金髪と同じ色をした柄を愛おしそうに撫で、男は細剣を陽にかざした。


「そりゃ珍しい挨拶だ。今後、王都で流行るかもしれないな」


 人間なら易々と貫けそうなその長い刃を眺め、エッドは肩をすくめる。

 穏やかではない男だが、まだこちらが剣を抜くには早い。


「で、悪いけど……その細剣だけじゃやっぱり分からなかったから、普通に名乗ってくれるか? つまり、この大陸風にって意味だが」

「……」


 エッドが淡々と言うと、男は不快げに青い目を細める。

 手元を見ずに優雅に剣を鞘に納め、絶妙に波打っている前髪をかき上げて答えた。


「僕は、ライルベル・レイドリー。“ウェルスの疾風”と称される勇者だ」


 鮮やかな空色の服に身を包んだ勇者は、賞賛の声を待っているかのように長いまつ毛を伏せる。

 しかしエッドが声をかけたのは、連れの聖術師だった。


「見たか、メル? 肩書きってのは、あれくらい自信をもって使わなきゃダメだ」

「ふざけないでください! 私、あんな役者さんみたいになんて」

「簡単さ。こう、セクシーな感じで杖を構えてだな……“我はディナスの聖女、メリエール!“ みたい――な゛っ!?」


 ぼごん、という鈍い音が響きわたり、見物していた鳥たちが一斉に飛びたった。


「言ったでしょう。怒りますよ」

「言ってないし、もう立派に実行してるぞ」

「……」


 脳天にめりこんだ杖を見上げながら笑うエッドと、慌てて杖を引き抜こうとするメリエールは、じっと見つめている男に同時に気づく。


 エッドは口の端を持ち上げて言った。


「意外とお転婆な聖女さまで、驚いただろ?」

「ち、ちがうんです! こんなこと、普通の人にはしませんから!」

「俺は特別ってことか? 嬉しいね」

「もう、あなたはすぐにそうやって――!」


 二人のやりとりを見た男は、冷めた顔をしていた。しかし一度息を吐くと一転、親しげな満面の笑みを浮かべる。


 まるで表情の異なる仮面を入れ替えたかのようなその芸当に、エッドの首筋がわずかに粟立った。


「いや、元気そうで安心したとも。聖堂の者は皆、君の安否を案じていたからね」

「え……?」


 メリエールが戸惑いの表情になったのを見、ライルベルはゆっくりと上着の胸元に手を入れた。

 勿体ぶった動作でとり出した手紙には、几帳面な文字で宛名が記されている。


「シュアーナ大聖堂から僕に届いた、君の捜索依頼さ。僕は“勇者”の仕事で、ここへ来たんだよ」


 光を背にした、つがいの鳩――聖堂の象徴である――の封蝋を見つめ、メリエールは目を見開いた。

 見たいような、見たくないようなといった表情だ。


「……確認させてください」

「悪いけど、極秘の依頼なものでね。だからこうして仲間を置いて、ひとりで来たんだよ。危険も増すが、動きやすいからね。長い旅路だった」


 言葉のわりに、華やかな旅装まったく汚れていない。となりの大陸から来たという勇者は、爽やかな声で告げた。


「さあ、メリエール。君の元気な姿を、聖堂に見せに行こう」

「それは、あの……おかしいです」


 歯切れの悪い答えに、勇者の目が冷たく光る。

 逡巡したのち、メリエールは申し訳なさそうに続けた。


「たしかに、シュアーナから急に姿を消したことは……皆さんを驚かせてしまいました」


 彼女の言う通りだろう。聖堂の窓から逃走したあの夜、優秀な“役者”が彼女の悲鳴を模してひと波乱を演出してくれたのだ。


「けれど無事でいることや、個人的な案件ができてしばらく帰れない旨は手紙でおしらせしました。探す必要はない、とはっきり記したはずです」


 生真面目なメリエールは、のちに仲間たちにも無事の報せを出していた。

 最初は心配したのか文も行き来していたようだが、彼らも新しい生活がはじまったらしく、最近ではあまりやり取りもないのだという。


「返事は来たのかい?」

「……」


 無遠慮な問いに、メリエールは眉をひそめる。

 しかしそれが答えであると受け取ったらしい勇者は、得意げに書簡をかかげた。


「君ほどの優秀な術師が姿を消して、聖堂が不審に思わないわけがないだろう? しかも、“急に発った理由”が……ね」

「どんな理由だと言うのです?」


 そう訊き返す彼女の口調が挑戦的なことを、エッドは妙に嬉しく思った。


 ライルベルはまた気障な動作で前髪を搔きあげ、歌うように答える。


「僕には信じがたいんだけど。たしか、“穢れた者と結託の恐れあり”――とかなんとか」

「なっ……!?」

「ここに来る前に件の聖堂へ寄って、目撃した見習い君からも話を聞いたよ。恐ろしい穢れの闇に君は堕ちてしまったのだと、たいそう嘆いていた。かわいそうに」


 ふうと悩ましげなため息を落とすライルベルを見つめ、メリエールは言葉を失っている。エッドは二人の間に歩を進めると、来訪者に向けて陽気に言った。


「“穢れた”人間は、近況をしたためた手紙なんか送らないと思うが?」

「黙っていてくれないか。それとも、僕までも穢れに染めたいのかな」


 愛剣と同じように目を細めた勇者と、あくまで穏やかな表情を崩さない亡者の視線がぶつかる。


 あのどんぐり頭の見習いから話を聞いたのなら、自分はまさに凶悪な魔物として扱われているだろう。


「“元”勇者、エッド・アーテル。聖堂は君がもう、この世を歩き回る身分ではないとお考えだ。彼女の帰還とあわせて、君の討伐依頼も受けている」

「と――討伐だなんて!」


 衝撃を受けているメリエールをよそに、エッドは低く笑った。


 長い牙がちらりと見えたはずだが、勇者は驚きもしない――完全にこちらの素性が知れているのだろう。


「くくく。そうだよ、俺がメリエールを聖堂から拐ったんだ」

「エッド!? そんな、誤解されてしまうような言い方は――」

「事実さ。でも、おかしいな……そもそもエッドとかいう勇者の葬儀は、大聖堂シュアーナで無事に済んだと耳にしたが?」


 エッドの指摘にも動じず、ライルベルは大事そうに手紙を胸元にしまう。

 艶のあるブーツに包まれた脚を優雅に入れかえ、堂々とエッドを見据えた。


「埋葬のあと、君の身体は不運にも“穢れた存在”に乗っとられた。そう聖堂は推測している」

「土の中からギャーッと出てきたってわけか。なるほど、それも良かったかもな」

「もう、エッド!」


 頭を抱えそうな顔をしているメリエールに笑いかけながらも、エッドは心中で呆れていた。


 あくまでも聖堂は、自分たちの役割を立派に果たしたと考えているのだ。

 この一年のあいだ接触がなかったのは、聖堂の尊厳に関わるこの“極秘依頼”を任せられる者を探していたのだろう。


 ということは、そのような“依頼”を承諾したこの男も――。



「そういう顛末だから、死んでくれたまえ」

「残念、もう死んでるんだ」



 エッドの軽口に青い目を歪め、勇者は吐き捨てるようにふたたび宣告する。



「これは失敬。なら、跡形もなく切り刻んであげよう」



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