第3章 去る平穏と訪れる真実

第25話 あなたから、はじめて



 そんな細々とした疑問や不安は、月日という膨大な力の前にいつしか塵となって消えていった。


 自然を愛で、移ろう空の色を楽しみ、親切な人々と穏やかに暮らす――。


 その営みにすっかりとり込まれたエッドは、今日も今日とてのんびりと村近くの森の散策に興じていた。野草を採集するための籠をさげた想い人も一緒である。


「そろそろ夏も終わるってのに、日差しが強いな……」

「もう、そんな時期なんですね。……あら? ということは、エッド――私たちが村にきて、一年も経ったんだわ!」

「えっ、ああ――そうか!」


 二人して顔を見合わせるも、静かな木立からは歓声のひとつもあがらない。

 鼻の頭を掻き、エッドはふたたび歩き出しながら言った。


「……この村にいると、月日の概念がなくなったように感じるよ」

「ふふ、分かります。毎日が、まるで穏やかな川のように流れていくものね」


 彼女らしい柔らかな表現に感心しながら、エッドはメリエールの横顔を盗み見る。

 村に来た翌日も、妖精の谷を目指すためこの道を二人で歩いたことを思い出した。


 あの時よりも、少しは――“進んでいる”のだろうか?


「君は、どんな一年だった?」

「もちろん、とっても素敵な一年でしたよ」


 迷うことなく答えて微笑むメリエールの顔を見、相変わらずエッドの胃が奇妙な揺れかたをする。


 室内での仕事を好む闇の友のおかげで、こうして二人で行動することがとても多くなっていた。しかし、慣れないものは慣れない。


「仕事とは関係のない、たくさんの友人ができました。八百屋のポーラに、気さくな主婦のニルヤ、道具屋のペッゴさんに……もう村で面識のない方は、いないんじゃないかしら?」

「そうだな。なんだかんだで、俺も引きこもってはいられなかったし」


 エッドは苦笑し、一年の間に急激に増えた知人たちの顔を思い浮かべる。

 モルズドをはじめ、村人はエッドの“健康のため”を思ってか色々な行事に誘ってくれたのだった。


「年明けのお祭りは、とくに面白かったな! みんな、魔物の仮面をかぶってさ。泉に灯火を浮かべて……あれって結局、なんの祭りだったんだ?」

「もう、エッドったら。魔除けと、ご先祖様の供養を兼ねたものだって言っていたでしょう? でも、本当に楽しかったわ。幻想的で、外でのお食事も美味しくって……あの串焼きの味は、家庭ではとても……」


 うっとりと思い出に浸るメリエールの姿に魅入りながら、エッドは面白がるように言った。


「まさかあの場に本物の魔物が混じってるなんて、誰も思わなかっただろうな」

「ええ。ログがあなたの仮面を作ったと言うから見せてもらったら、思いっきり“亡者”の仮面なんだもの! 肝が冷えたわ」

「結局それは君が使って、かわりに俺はかわいい妖精の仮面になって――」

「いたずらが過ぎた闇術師さんには、私特製の“酸ナメクジアシッドスラッグ”の仮面を進呈しました。……なぜだか、喜んでいたけど」


 婦女には毛嫌いされる魔物であっても、あの男にとっては興味深い存在に違いないのだろう。どこか悔しそうな顔をしているメリエールに、エッドは微笑んだ。


 このまま他愛のない会話が続いていくのだろうと気を緩めていると、突如暗い声が耳に飛びこんでくる。


「でもあなたの件に関しては……進展したとも、言えないのかしら」


 ぽつりとそう呟き、メリエールは申し訳なさそうにエッドを見る。


「あ、いや……いいんだ。この身体にも、もう慣れたしな」


 そういう話ではないと分かっていながらも、エッドは灰色の手を広げてみせる。想い人の翠玉の瞳が、痛々しいものを見るように細くなった。


「ごめんなさい。あなたの未練を晴らす手伝いをすると言っておきながら私、何もできていなくて……」

「君が気に病むことじゃない。それは、俺が――」


 慌てて言ったエッドの脳裏を、ふと既視感がよぎる。


 ちょうど一年前にも、ここで真剣な話をしたような――



“落ち込んでる場合じゃないですね。一刻も早く、あなたを安らかな場所へ送り出すのが私の使命なんですから!”



 あの時と同じ痛みが、ふたたび亡者の胸を駆ける。


「……俺は、今の状況に不満は感じていないよ。むしろ、恵まれているとさえ思ってる」

「エッド……。でも、あなたは天界へ逝くことを望んでいたのでしょう?」


 戸惑ったような聖術師の声に、エッドはうつむく。


 ヒトの村でヒトと同じように日々を過ごす自分は、彼女の目には不思議に映るのかもしれない。


「……」


 わかっている。

 どんな“仮面”を身につけても、その下にあるのは――


 沈黙がおりた道の中央では、聖術師が居心地悪そうに腕をさすっている。


 その色白の中指に嵌っているのは、見慣れた指輪だ。


「……。その指輪、外さなかったんだな」

「っ! な、なんで今さら、そんな話を!?」


 深い意図はなく、何故だか目についたから話題にしただけだ。

 慌てふためくメリエールは、反対の手でさっと鈍い輝きを隠して言った。


「こ、これは、そのっ……! つ、つけ心地が良くて……! ちゃんと、ログに返そうとしたのよ? そうしたら、あまり自分は使用しないからって、譲ってくれて。どうしても、代金は受けとってくれなかったけれど」

「……」


 当然だろう。彼女がその話を持ちかけるよりも早く、自分が闇術師から指輪を買いとったのである。

 きちんとした指輪を買うべきだと諭されたものの、この姿のまま王都の宝飾店に入る度胸はなかった。


 いや。今思えば、もう一度彼女の手をとり、新たに仕立てた指輪を嵌めてやる勇気がなかったのかもしれない――。


「この指輪を着けていると、とてもよく眠れるんです。大きさも、中指ならぴったりですし……。それに……」

「それに?」


 夏の終わりを告げる風が、彼女のまわりを吹き抜ける。

 舞い上がった銀の髪に囲まれた顔が、熱に浮かされたように汗ばんでいた。



「あ……あなたから、はじめて頂いたもの、だから……」


 

 愛の天使、などという存在がいるものなのか、いまだにエッドは知らない。

 自分が遭遇した天使は、もっと憮然とした顔の仕事人だった。


 それでも、今――“その機会”が訪れていることは、間違いないだろう。


「!」


 音もなく近寄ってきたエッドを見上げ、聖術師は硬直している。


「エッド、あの……?」


 大きく見開かれた翠玉の瞳が、残暑の光を吸いこんで揺らめいている。

 石膏のように滑らかな白い肌を、ひと筋の汗が伝い落ちた。


 魔物の耳をくすぐる、浅い息づかい――


「メリエール」


 伝えたい言葉は決まっている。

 以前よりもはっきりと、その想いは喉まで這い上がってきていた。


「俺は……」


 口にすれば、どうなるのだろう。

 この場で灰色の身体は泡となって、消えてしまうのだろうか。


 それでも。



「聞いてくれ、メル。俺は、君を――」

「ああ! やっと見つけたよ」



 たわみなく張った緊張の糸を踏みつけ、その乱入者はにっこりと笑んだ。


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