第24話 白紙の事件簿
ここラケア村は平和そのものだったが、暮らしはじめるといくつか不思議に思うことがあった。
「考えすぎか……?」
ヒトにはもう、肌寒く感じられるはずの季節。
エッドはお気に入りの散歩道をひとり歩きながら、体裁のために身につけた防寒具の中で首を傾げた。
エッド・アーテルが観察した、ラケア村の不思議。
その一は、“平和すぎる”ことである。
村で暮らしはじめてからもう、ひとつの季節が移ろうほど日が経った。
しかしその間、村では不幸や問題が一度も起きていないのである。
魔物の侵入がないのは理解できる。
とある優秀な闇術師が、村全体を魔物避けの効果がある結界で保護しているからだ。
妖精の力を借りて張り巡らせたというその結界は、低級の魔物ならば村の存在にさえ気づかせることはないという。
「でもなあ……」
そのひとりごとは、冷たい風に乗って晴れた空へと流れていく。
「村自体が、なんだか元気すぎるんだよな」
そう――冬だというのに、誰かが風邪で寝込んだという噂ひとつ聞かないのだ。
子供から老人まで、まるで健康の権化といった村である。老人も多いがみな若々しく、しばらく葬儀のための鐘が鳴ることはなさそうだった。
害獣による作物への大きな被害や、野盗の侵入、住人同士の血なまぐさい喧嘩――そのような問題も耳にしたことがない。
村全体がひとつの大家族のような結束に包まれ、ひたすらに穏やかな時間が流れ続けているのである。
“なあ、ログ。ここは実は……天界なんじゃないのか?”
数日前、まさにそんな質問を友にぶつけてみたことがあった。
彼は村人から預かったという古書から顔をあげ、紅い目を不審げに細めつつ答えてくれたものだ。
“……頭を強く打ったのなら、メルのところへ行ったらどうです”
“打ってないし、亡者を診る聖術師なんていないだろ。そうじゃなくて、その――この村、ちょっと不思議じゃないか? 平和すぎるというか”
“辺境の村ですし、王都に比べれば平和なのが当たり前なのでは?”
古くなった
椅子を前後に揺らしながら、エッドは食い下がった。
“お前の結界があるなら、外部から荒ごとが持ち込まれないのはわかる。でも村内は?”
“自給自足で、十分に営みが出来ていますから。妖精の谷が近くにあることで、一般的な疫病のたぐいも遠ざけることができますし……あらゆる条件が、類を見ないほど恵まれているのでしょうね”
それでもいくつもの街や村を巡ってきたエッドから見ると、何かが引っかかるのだ。不服そうな顔を見、友は珍しく微笑をもって訊いた。
“……活躍の場がないのは退屈ですか? 元勇者さま”
“違うな、むしろ逆だよ。十年以上も働きづめだった身には、平和も退屈も大歓迎だ。けど――”
“落ち着かないのなら、また没頭できる作業を探すのですね。鶏でも飼いますか? もっとも……貴方のほうが早起きですが”
“そもそも寝てないからな。鶏の面子を潰す気はないよ”
暇人の戯言のような気がし、それ以上友の仕事の邪魔をすることは出来なかった。
「はー……」
冬の澄んだ空を見上げ、エッドは息を吐いてみる。
その息がもう白くならないのが不思議で、少し残念にも感じる。
不思議その二――“外界との関わりの薄さ”について。
くり返すが、ラケア村の住人は村長夫妻をはじめ、みな根っからの善人たちだった。
顔を合わせれば気さくな挨拶が飛び交い、採れすぎた実りは惜しみなくわけ合う。貧富の差もほとんどないように見えた。加えて、共通の神を信奉しているようでもない。
村長に、村の体制について質問してみたことがある。
“ここはとても良い村だな。どんな統治をしているんだ?”
“はっはっは。エッド殿、統治なんていうたいそうなものではありませんぞ。ただ、皆が仲良く肩を寄せあって過ごしているだけです”
村長であるモルズドは、いつも元気はつらつといった壮年の男だ。村の中央にある泉の淵で、よく釣り糸を垂らしている。よそ者であるエッドの質問にも、丁寧に答えてくれた。
“この地方を治める貴族は、ええと……。すまん、訊いておいて何だが、こういうことがいつまで経っても苦手で。最近は、王都の情勢も知らないし”
頭を搔くエッドに、村長は人の良さそうな垂れ目を向けてうなずいた。
“分かりますぞ。世の移ろいは早いですからなあ。都会のほうはずいぶん頻繁に変わることがあるようですが、この辺りは昔からバロビエル侯が見てくれていますよ”
聞いたことのない名だ――いや、耳にしたことぐらいはあったかもしれない。勇者であっても、政治の話が得意とは限らないのだと心中で言い訳する。
“侯は、たとえ小さな村でも現地での自治を望まれる方でしてな。大きな問題が起こらないかぎり、手をお貸しになることはありません”
“へえ……。貴族ってのは、みんな税をとり立てるのが生き甲斐なのかと思ってたよ”
“黄金で名誉の塔を築こうとする方ではないのです”
村長は詩的な言い回しが好きで、そこがまたつかみどころのない男でもあった。
とにかくその貴族が頻繁に村を訪れることはないと知り、エッドは安堵する。こちらが知らずとも、王城ですれ違ったことがあるかもしれないからだ。
“話を聞かせてくれてありがとう、村長”
“いいえ、なんのなんの”
“ところで……その釣り竿じゃたぶん、何も釣れないと思うぞ。餌も海用だし”
“おや? そうでしたか。なるほど、待てど暮らせどなわけですなあ。はっはっは!”
豪快に笑う村長の顔を思い出して笑みをこぼし、エッドは細々と続く田舎道を眺めた。
「これほど人の往来のない村ってのも、はじめてだな……」
エッドの頭にある地図がたしかなら、この村にわざわざ立ち寄る者は少ないだろう。
名産品もなく、観光客が喜ぶような名所もない。それでも物好きな旅人や迷い人、熱心な商人などを見かけてもおかしくはないはずである。
「パン屋は来てるし、余った作物は街へ売りに行くとは言ってたから、まったく外界と接点がないわけじゃないが……」
ぶつぶつと呟いてみるも、のんびりとした田舎の風景を見ていたエッドは段々馬鹿らしくなってきた。
不幸があればいいなどとは思っていないが、友人の言う通り――自分は、少し退屈しているのかもしれない。
「ま。平和が一番、だな」
大きく伸びをし、亡者はふたたび田舎道を歩きはじめた。
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