第23話 牙を隠して
花束の谷以降、村で過ごす日々は驚くほど穏やかなものであった。
「エッドさん! おはよう。若ぇのに、いつも早起きだな!」
小さな村にエッドたちの存在が知れ渡るのは早かったが、受け入れられるのも同じくらい早かった。
村人たちはみんな気さくで愛嬌があり、決して無粋な詮索をしない。
「ああ、おはよう。ディシュ」
太陽の光が降りそそぐ小道で出会ったのは、八百屋を営む大男である。
遠目から見ると強面だが、言葉を交わせばまるで子熊のような可愛らしさのある男だった。
「丁度よかったべ。これ、うちで採れた野菜なんだけんど。よかったら、食べとくれ。あんた体つきはいいのに、ずいぶん青白ぇかんな」
「いつもありがとう」
巨大な籠いっぱいに詰められたみずみずしい野菜を受けとり、エッドは笑った。
どうやら村では、都会から療養に訪れた男だとでも思われているらしい。
「メリエールさんは、料理がめっぽう上手らしいべな。それを毎日味わえるなんて、あんたはいたく果報
陽気な大声でそう笑い、農夫は大股で小道を引き返していった。こちらの姿を見つけ、わざわざ駆けてきてくれたのだろう。
その広い背を見送り、エッドは朝の散歩を切りあげて空を仰ぐ。
「さて、帰るか」
使わずとも亡者の筋肉が衰えることはない。それでも村の隅で剣の鍛錬をするのがエッドの日課となっていた。
そのあとぶらぶらと村の朝を見てまわり、のんびりと家路につくのである。
「おはよう、メリエール」
「おはようございます、エッド。今朝も、ご苦労さまです」
「大収穫だろ。散歩に行ってただけなんだけどな」
腕いっぱいに抱えた野菜を見、メリエールは嬉しそうに微笑む。
うなじで銀の髪をまとめ、腕まくりをした彼女はしっかりとエプロンを腰に巻いていた。
その家庭的な姿を目に焼きつけようと、エッドは視線を逸らさず手さぐりで椅子の背をひき寄せる。
「……ほかの席にしていただけますか」
「ん? ああ、ログ。悪い」
やけに椅子が重いとは感じていたが、先客が座っていたらしい。
机に肘をついたままこちらを睨んでいるのは、相変わらず黒い胴衣に身を包んだ同居人である。
「どうした、今朝はやけに早いじゃないか」
「そこの聖術師に、たたき起こされたのですよ……。
あくび混じりに呟くログレスに、野菜の土を払っていたメリエールがあわてて抗議する。
「たたき起こしてなんかいませんっ! ちゃんと、ノックして呼びかけたわ」
「……それで反応がないといっても、普通は部屋の中へ“
「そりゃ強烈な目覚ましだな」
力加減によっては手元を照らす光源にも、相手の視界を奪う目くらましにもなる聖術である。友の不服そうな表情を見るに、なかなかの発光具合であったのだろう。
やけに力強く土をふるい落としながら、聖術師は口を尖らせる。
「起こしたのは祈祷じゃなくて、朝食のためです! ログレス貴方、三日に一度はきちんと降りてきて朝食をとると約束したじゃない」
「……僕が朝を苦手としているのは、承知しているでしょう?」
「早く寝ないからですっ! 任務がないと言っても、堕落した生活は身体に毒よ」
きびきびとそう言いながら、メリエールは黙している友人の前に次々と皿を並べる。
ジャムを厚く塗った麦パンに、丁寧に裏ごししたかぼちゃで作ったプディング。数種類のふかふかのマフィンに、角切りのリンゴを散らしたヨーグルト――色鮮やかな食卓に、エッドは目を見張った。
「豪勢だな! 相変わらず、甘そうだけど」
「僕の魔力体質上、朝は甘味を摂取しないと力が湧いてこないので……。いただきます」
魅力的な食事を前にして腹が減ってきたのか、ログレスは迷いなくパンを手にとる。
黙々と食べてはいるが紅い瞳はまだ半分しか開いておらず、短い
向かいの席に腰をおろしたエッドは、頬杖をついて訊く。
「美味いか?」
「……ええ、とても」
「そりゃ良かった」
エッドの言葉に、友は寝ぼけ眼をやっと押し上げる。次のひと切れに手を伸ばしながら、机の半分を占領している籠を見て言った。
「……貴方は、すっかり村に馴染んだようですね」
「まあな。この村、俺たちの田舎を思い出さないか? 懐かしいよ」
「任務で、ずいぶん帰ってませんからね……」
緩慢な動作で林檎のあらごしジュースをすすりながら、闇術師はちらとエッドの顔を見る。そのもの言いたげな顔に、エッドは苦笑を返した。
「……帰れるわけないだろ? もう、訃報も届いてるはずだし。お前も、うちの両親に手紙を出してくれたんだよな」
「そうなの?」
恐るべき早さで野菜の下処理を終えたメリエールが、意外そうな顔をして訊く。
どこかばつの悪そうに目を逸らすと、ぶどうの皮をやけに丁寧に取りながらログレスは呟いた。
「アーテル家には、幼少時より世話になりましたから……。葬儀に参加できなかったことを、二人はとても嘆いておられました」
「まあシュアーナからだいぶ遠いし、仕方ないさ。あっちはあっちで、何かやっただろう」
「ええ。三日三晩、寝ずの宴が催されたそうです」
「……。葬式は忘れてないんだろうな……?」
遠い故郷の面々を思い出していると、生真面目な聖術師が心配そうな声を上げる。
「でもご両親の心痛を考えると、今でも心配だわ……。やっぱり私も一度、祈りを捧げに参じたほうが――」
「ありがとう。けど、前にも言っただろ。君は俺がこうして“起き上がっている”事実を承知のうえで、いつもみたいな鎮魂の祈りを唱えられるか?」
「う……。そ、それは」
たじろいだメリエールに、エッドは悪戯っぽい笑みを向ける。
決して咎めているわけではない。同じ理由で、幼馴染も帰郷を保留にしてくれているのだ。
「こちらの事情が、かなり特殊だからな……。もし両親が俺の死を受け止めてくれているなら、その気持ちを乱したくないんだ。これからだって、どうなるか分からないんだし」
「……ルーニアとリッドなら、あっさり“こちらの事情”も承知してくれるかもしれませんよ」
両親の名を耳にすると、心の奥が鈍く痛んだ。
それを顔に出さないよう注意しながら、エッドは友に肩をすくめてみせる。
「いや、あれでも二人は元冒険者だ。息子が魔物になったなんて知ったら、組合に行って懸賞金をかけるかもしれないぞ?」
「そんな! エッド、さすがに不謹慎よ」
「そうですね……。懐が心細くなった時のための当てにとっておくのも、悪くありません」
「ログも! もう」
肩を怒らせる聖術師を横目に、男たちは密かな笑みを交わした。すかさず、ログレスが話題を移す。
「それで二人とも、今日は? 僕は、村人に頼まれた仕事を片付けに行きますが……」
「まあ、良いことだわ。貴方こそ、村に馴染んでいるじゃない」
「……。少しは杖を振るわないと、腕が鈍りますから」
嬉しそうに言うメリエールに、闇術師はマフィンを頬張りながら憮然とした様子で答える。これにはエッドも驚いた。
「出無精のお前が他人の手伝いとは、珍しいな」
「単なる……暇つぶしです。各家に眠っている、古い文献の解読を頼まれました。村に、古代語の心得がある者はいないそうで」
「楽しそうな暇つぶしがあって、何よりだ。メル、君は?」
エプロンを外しながら、メリエールは空模様を気にしている。
「私は、村長夫妻のお家に伺います。お天気が良ければ、奥様のロゼナさんがこの地方の染めものを見せてくれるそうで」
「それはいい経験になりそうだな」
「あなたは? 良ければ、一緒に来る?」
どこか気遣わしげなその申し出に、エッドは首を横にふる。
「うれしいお誘いだが、俺は服飾のことはさっぱりだ。村人とは仲良くしたいが、人間と長時間一緒にいると、こっちのボロも出そうだしな」
「そう……」
聖術師はうなずきながらも、朝食を平らげようとしている闇の友を見遣る。
最後にとっておいたらしい干したいちじくを口に放りこみ、ログレスはその物言わぬ問いに答えた。
「案じずとも、“モリブルッドの花”は正常に効力を発揮していますよ。花の魔力制御下にある限り、この亡者の首に紐をつける必要はありません」
「野犬みたいに言うなよ……」
エッドは気をとり直し、上着の内側に縫いつけた物入れから一枚の栞をとり出した。
「ほら。ちゃんと毎日持ち歩いてるぞ。俺たちが苦労して手に入れた、お守りだからな」
「……はい。そうですね」
形状を変えても効力が失われないことを妖精に確認し、かの暗褐色の花は押し花にされていた。一見すると、古めかしい本に似合う栞そのものである。
この道具が完成した日から闇術師の顔色がみるみる良くなっていき、エッドは安堵したものだ。
「今日は、そうだな――まだ階段の踊り場に少し雨漏りがあるから、のんびり点検でもするよ」
「わかったわ。夕方には戻ります」
「僕も、切りの良いところで引きあげましょう」
それぞれの身支度にかかる人間たちを眺め、エッドはひとり呟いた。
「……牙を隠して、いい子にしてるさ」
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