第22話 帰るまでがデート



『もー帰っちゃうのぉ、メリエールぅ』

『もっとあそぼ、あそぼお!』



 名残惜しそうな妖精たちに囲まれているのはメリエールだけで、エッドは少し離れたところにぽつんととり残されていた。


 気にかけるようにこちらを見てきた連れに手をふり、別れの挨拶をする時間を与える。


『“勇亡者”とはの。なかなか上手いことを言う』


 ふいに聞こえた声に、エッドはふり返る。

 いつの間にか、長がそばへ来ていた。


「考えたのは俺じゃないけどな。……“百合”のところへ行かなくていいのか?」

『なに、遠慮するでない。拳をつきあわせた仲ではないか』


 それは良好な関係なのだろうかと疑念を抱くエッドに、クチは屈託なく笑った。


 金の双眸が輝き、そして少し影が落ちた。


『……のう、“求める者”よ』

「ん?」


 不思議な響きの声だった。


 哀れんでいるような、面白がっているような――永い時を生きてきた妖精の意図は、エッドには汲みとれない。


『急ぐがよい。蜜月の時は、そう長くはないぞ』

「“未練”のことか?」


 うなずいた長を見ながら、エッドは頭を掻いた。


「急げって言われてもな。どちらかといえば、これからはもうちょっと丁寧にやっていこうかと思ってるんだが……。ま、俺の身体は腐らないから、ご心配なく」


 気楽に言ったエッドに、長はゆっくりと頭をふる。

 柔らかな金髪が、夕陽に煌いた。


『ヒトの気持ちは移ろいやすく、時に容易く安らぎの道を選ぶ。それに、あの百合を手にしたいと企む者は多いぞ』

「……分かってるさ」


 妖精の光に囲まれ嬉しそうに笑う聖術師をながめ、エッドはぼそりと答えた。

 聖堂の一室であふれかえっている勧誘の手紙を思い出すと、気分が沈む。


『百合を手にすることが出来なかった時――貴様は、真に世の闇を歩く者となろう』


 長の言葉は不穏だったが、平和な花畑の中では現実味をもたない。


 それでもエッドの空っぽの胸の奥に、棘のように深く刺さった気がした。





「……」

「……」


 まるで、村を出発した朝と同じ状況だった。


 谷の入り口まで見送ってくれた妖精たちの喧騒が遠ざかると、森の静寂が痛いほどだ。

 陽は傾いており、沈みかけた夕陽だけが木立の間から二人を盗み見ている。


「あのさ」

「あの」


 同時に口を開いてしまい、エッドは心中で自分の頬を打った。少し前を歩いていたメリエールも一瞬固まったが、息を整えてこちらにふり向く。


「その……。不思議な、一日でしたね」


 不思議なとは、どのような意味だろうか。少なくとも、彼女の顔に不機嫌そうな色は浮かんでいない。

 エッドが戸惑っていると、メリエールはブラウスの袖をふり上げて伸びをした。


「とっても――疲れました」

「だ、大丈夫か?」


 エッドは驚いて訊いた。

 彼女がその言葉を口にすることは、たとえ遠征中でも滅多になかったからだ。


 一瞬目を丸くしたがメリエールだったが、すぐに意味を悟ったのか微笑む。


「辛いほうの疲れじゃないわ。楽しくって、疲れたんです」

「そ……そうか」


 妖精のいたずらや遠くまで歩かせたことへの懸念が消え、エッドは安堵した。


 おろした銀髪を茜色の光に遊ばせ、彼女は続ける。


「任務もなく出かけて、寄り道をして。あんなに素敵な花畑でお昼を食べて、妖精ともお話ができて……」

「ま、最後はちょっと大変だったけどな」


 何気なく言ったあとで、エッドはみずから的確に墓穴を掘ったことに気づく。


 メリエールは、ぽっと耳を赤くしてエッドに背を向ける。


「い、いえ……あなたの気持ちも、すこしは知れましたし」


 巣穴へ戻る途中の草兎グリーンラビットが、急いで茂みに飛びこんでいった。その後について行きたいという衝動をおさえながら、エッドはぎこちなく微笑む。


「妖精たちには、一杯喰わされたな」


 思えば村を発つ前にすれ違った農民の忠告は、あのような妖精の術に注意しろということだったのだろう。

 そうならそうと具体的に教えてほしかったと恨むエッドだったが、自身の油断が招いた結果でもある。今後は一層、気を引き締めていかねばなるまい。


「けど、俺も今日は楽しかったよ。来てくれてありがとう、メリエール」

「はい。それはよかったです!」


 彼女の笑顔に込められた意図が、エッドにはいまいち理解できなかった。

 

 純粋に心から楽しんでくれたのか――それとも、“未練”の成就へと一歩近づいたことへの安堵か。


「……」


 後者が共通の目的であることは間違いないというのに、エッドの心には霜のような寂しさがふり積もっていた。


 亡者の口がその素直な気持ちを言葉にしようと動くが、わずかに残された人間の理性がそれを阻む。



 今日は楽しかった――お互いが無事に“存在”し、そう思えることがどんなに尊いことか。


 それだけで、今の自分としては上出来なのではないだろうか。


 

「あの白雲イモ、まだ村に売っているかしら? ぜひ夕食に使いたいです」

「君が作るのか?」


 エッドの問いに、メリエールは怪訝な表情になる。あわてて手をふり、エッドは亡者らしからぬはつらつさを持って宣言する。


「味がわからなくても、君が作るなら俺は食卓に座るぞ! ってな」

「まあ――それは光栄だわ。でも、無理しないでくださいね」


 彼女の照れた顔は、空に輝きはじめた一等星よりも明るく映った。


 足取り軽く歩きはじめたメリエールの背後で、エッドは紺青に染まっていく空を見上げる。


 どこかで見ているかもしれない“天界の使者”に向け、亡者は呟いた。



「……こんなもんじゃ、全然“足りない”からな。まだ、放っといてくれよ」


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