第18話 ほころびを見つけて
「わあ……綺麗!」
底まで澄みきった美しい泉を発見し、メリエールはスカートの裾をひるがえして駆ける。
その無邪気な背中に追従しながら、エッドは気楽に笑った。
「楽しんでくれて何よりだが、こんな泉は山ほど見てきただろ?」
「え、ええ……まあ。けれどここは、任務で立ち寄る“休息地点”ではないんだもの」
手で泉の水をすくい、聖術師はじっと無色の液体を見つめた。
「……うん、いい水質だわ。近くに毒性の生物もいないようだし、“
「君こそ、知らずに仕事をしてるぞ」
パーティー上の役割であった“水質検査”を流れるようにこなすメリエールに、エッドは苦笑する。
「あ……。つ、つい癖で」
「いや、今でも大事なことさ。もう俺は気にすることじゃないかもしれないが。そういえば、歩き詰めだったな――少し、ここで休憩していこうか?」
「はい」
泉の周りは、なだらかな斜面となっていた。色褪せはじめた草むらは乾いていて柔らかく、腰をおろして休むには絶好の場所である。
「ふう……」
「疲れたか?」
膝を抱えて一息ついているメリエールに、亡者はそっと声をかける。体力が減る感覚がないというのも、連れがいる時は意識しなければならない。
「いいえ、大丈夫です。この季節の森を歩くのは大好きですから」
「そうか。よかった」
「あなたこそ、その……まだ、その身体に慣れてないんじゃ?」
職業柄、やはり連れの体調が気になるのかもしれない。たとえそれが、自分のような体温を持たない魔物だとしてもである。
その優しさに、エッドは思わず微笑みながら答えた。
「いや、俺は平気だよ。元気いっぱいさ」
「ふふ。元気な亡者なんて、はじめて遭遇しました」
くすくすと小さな笑い声をもらす聖術師に、エッドは頭を掻いた。
「だよな。自分でも、まだ変な感じなんだ。それこそ死んだことさえ、何かの冗談だったんじゃないかって思うくらい」
「……」
整った顔が物憂げにうつむくのを目にし、エッドは固まった。
また余計なことを口走ってしまったらしい――発言をとり消せる魔術があれば、いかなる努力をしても習得したいものである。
「す、すまん……。嫌な場面を思い出させたな」
「いいえ。けど……“あの日”のことが冗談であれば、どんなに良かったでしょう」
顔を上げたメリエールは、エッドが目にしたことのない微笑をたたえていた。
寂しがるような、過ぎた日々を懐かしむかのような――。
「あの日、なんの事故もなく王都へ帰還していたら……。きっといつものお店で、みんなで祝杯をあげたでしょうね」
「……だろうな。“まどろみフクロウ亭”か」
秋空を見上げ、エッドは通いなれた小さな店を思い出した。
ハゲ頭の店主は強面だが、こちらの注文を裏切ったことはない。良心的な値段で雰囲気もよく、仲間の全員が太鼓判をおしている店だ。
「そう。久しぶりの手の込んだお料理とお酒に、舌鼓をうって。“できあがって”きたら、レーベンとニータが呑みくらべをはじめて、グルゲイルが二人分のバケツの用意をして――」
澄んだ泉に、メリエールは静かな声が吸い込まれていく。
「一杯目で眠りこんでしまったログレスを横目に、私はそんな盛り上がりに声援を送って。その頃にやっと、任務の報告を終えたあなたが店に入ってくる」
語りに導かれるまま、エッドは温かく懐かしい喧騒を思い出す。
“よお、来たかリーダー!”
“おつかれさま、エッド。さ、座りなよ”
“報告なんて、明日でいいじゃないの。ほんっと、マジメ勇者なんだから。さあ、じゃんじゃん呑むわよ!”
「――疲れていても、あなたはいつも一人一人に労いの声をかけて回ってくれた」
「まいったな……。そんなにつぶさに観察されていたとは」
気恥ずかしさがこみ上げ、エッドは鼻の頭を掻く。
力の加減を間違えば、鋭い爪――もう魔物の身体には欠かせないものらしく、切っても削ってもすぐに元に戻る――で皮膚を裂いてしまいそうだった。
「いいえ、みんな知っていることよ。だから、あなたは誰もが認めるリーダーだった」
「そうか……。そうだと、いいんだけどな」
鏡のような水面に映っている聖術師の顔は、とても穏やかだ。
そこにはまだありがたいことに、自分への敬意と親しみがはっきりと現れている。
一方、隣でぼんやりと自分を見つめ返しているのは――どこか覇気のない、灰色の顔。
「ニータにはいつも“要領わるい!”って怒鳴られてばかりだったし、頭のキレじゃログやベンには敵わない。ゲイルみたいな武の才も、もちろん君みたいな信仰の厚さだってない。勇者なんて言っても……あの中じゃ、間違いなく俺は凡人だったろ?」
「あら。珍しく“おしとやか”なのね、勇者さま?」
面白がるような声に驚き、エッドは顔を上げる。
いつの間にか立ち上がっていたメリエールが、自分を見下ろしていた。
「たしかに私たち、それぞれ個性が強かったと思います。信条も好き嫌いも、何年たってもみんなバラバラで……」
「それは否定しないが」
「そんな私たちのほころびを見つけ、つないで、一本の糸にしてくれたのは――間違いなく、あなたみたいな赤い髪の勇者さまだったのよ」
泉よりも透き通ったその瞳は、エッドの心の奥底まで見ているかのようだった。
「メル……」
背中を押すような一陣の風が、泉に波紋を走らせる。
エッドが再び水面を見た時には、さきほどまで映っていた辛気くさい顔は消えていた。
「今のあなたがどうあれ、今までのあなたがやってきたことが消えてしまったわけではないわ。少なくとも私や仲間たちは、その軌跡を忘れません」
「……やれやれ。君こそ、“勇者”になるべき存在だよ。ほんと」
「あら、そう?」
苦笑しながら腰を上げたエッドを、悪戯っぽい笑顔が迎えてくれる。
「それも、悪くないですね」
「言ったな」
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