第15話 またあとで



「ふー……いよいよだな」



 早起きの小鳥たちのさえずりを聞きながら、エッドは窓から朝の空気を胸いっぱいに吸いこんだ。

 その空気は身体の役に立つわけではなかったが、高揚していた気分が少し落ち着いてくる。


「服、よし。寝ぐせ、よし。歯みがき――沁みたけど、よし。準備万端だ」


 部屋の隅に置いてある古ぼけた鏡を見ながら、自分に言い聞かすように呟く。

 褪せた色の赤毛には少しハサミを入れ、水でハネを撫でつけた。服は上品な藍染の上着にしっかりとした革のズボンという出で立ちで、いくらか若々しい。


「もったいないほど、良い服だ……」


 この小さな“ラケア村”にはもちろん、服の仕立て屋などいない。これは村長夫妻の亡き息子の服で、譲ってもらったものだ。


 昨日貸し家の相談に行くと、エッドの背格好が息子に少し似ているのだと微笑まれ、


“これを着て王都へ遊びに行くんだって言ってたんですよ。どうぞ、着てやってください。都会から来た若い人が身につけてくださるなら、天界にいる息子も喜びます”


 と言われ、大量の服を腕に押しつけられたのだった。


 もちろん、エッドは丁寧に何度も礼を言った――自分も、天界に招かれた者ではあるのだが。


「……。一応、持っていくか」


 悩んだ末、ベッドの脇に立てかけていた愛剣を手にとる。


 手に馴染む、歴戦を共にしてきた得物だ。こうして再び手にできるとは思っていなかったので、昨晩は遅くまで手入れをしてやった。


「やっぱり慣れたものが一番だな。ログに感謝しないと」


 入手してくれたのは、このような剣など手にしたこともないであろう闇術師だった。

 メリエールを拐ったあの夜、棺桶のそばに供えられていたところを祭の騒ぎに乗じてとり戻してくれたのである。


 変化術が途切れたことと関係があるのかと訊いたら、友は沈んだ声で答えた。


“いいえ……。とにかく身を以て検証できたのは、今後木の上で術を使うことはないだろうということですね……”


 木の上で何があったのかは結局教えてくれなかったが、愛剣が戻ってきた喜びに免じて追求はしないでおいた。


 忍び笑いを漏らしながら、エッドはかるい足取りで部屋を横切る。

 住人が退居して間もないからかあまり傷んでおらず、大人が三人住むには十分すぎるほどに良い家であった。こうして贅沢に、一人部屋まで与えられている。


「ログレス。おはよう」


 短い廊下を少し歩いた先にあるのが幼馴染の部屋だ。上機嫌でノックしていたエッドだったが、返答がないのを認めるとものの数回であきらめた。


「寝てるな。あー、じゃあ行ってくるから。なにかあったら思念送るぞ」


 扉の向こうからは、なんの反応もない。しかしエッドのするどい聴覚は、くぐもった寝息をたしかにとらえていた。おそらく、机に突っ伏して寝ているのだろう。


「まあ、昨日は遅くまでなにか制作してたみたいだし」


 そう。普通ならば、その事実を知っている自分もまだ寝床から起き上がれないはずだ――“普通”ならば、だが。


「そういう意味では、便利な身体かもな」


 実は、亡者になってからエッドは一睡もしていない。


 そもそも、この身体に睡眠という行為は必要ないらしい。夜行性の魔物は多いが、まったく眠らない魔物は実は少ないのだと闇術師が教えてくれた。


 身体を動かすための活力源は血や体力ではなく、すべて魔力にあるという。その貯蔵量も通常より多いのだろうというのが彼の見立てであった。


「……エッド、いるの?」


 向かいの部屋から、どこか申し訳なさそうな声が聞こえてきた。エッドはまた舞いあがりそうになる気分を引き下ろしつつ、爽やかに応じた。


「ああ。おはよう、メル」

「おはようございます。大変、もうこんな時間? あの、本当にごめんなさい。ちょっと準備が……」

「もしかして寝坊か、大聖術師さま?」


 ニヤニヤしながらそうからかうと、部屋の扉がわずかに開く。

 相変わらず魅力的な翠玉の瞳が、じろりとエッドを睨めつけた。


「ち、ちゃんと起きてますっ!」

「分かってるよ。君は寝坊したことないからな」

「その……こういう遠出には、なにを着ていくべきなのか迷ってしまって。ほら、村長さんの奥さまが、たくさん服を譲って下さったから」


 悩ましげに言っているが、どこか嬉しそうな様子なのはエッドの気のせいではないだろう。寝間着姿の彼女の向こうには、色鮮やかな服が山積みになっている。


 村長の奥方は服作りが趣味で、若い孫たちに毎年たくさん作っているらしい。すべてその試作だというのだが、だれが見ても立派な流通品の質だった。


「悩んでていいぞ、急いでないし。その間、俺は朝市に行ってくるよ」

「えっ? でも、買い物をあなただけに押しつけるなんて」

「淑女の準備は、何かと大変だろ」

「では、お金だけでも……」

「装備一式を買うわけじゃないんだ、心配ご無用さ。剣以外は道中で売ったから、これでも意外と金持ちなんだぞ?」


 上着の物入れをぽんぽんと叩き、エッドは自信たっぷりに請け負う。


 友がとり戻してくれたのは剣だけではない。大胆にも鎧などの装備一式である。それらを惜しみなく売り払った時には少しの寂しさと、不思議な解放感があった。


「けれど、その……大丈夫なの?」


 不安そうな声と共に、メリエールはちらりとエッドの顔を見る。たしかに上着に日よけのフードがついているとはいえ、それで顔色が良くなるわけでもない。

 しかしエッドは、気楽な笑い声をあげた。


「大丈夫さ。村の朝市にバスケットを持った“亡者”が買い物をしにきてるなんて、誰も疑いやしない。君は、そんな心配をしたことあるか?」

「……それは、ないですけど」


 思わず笑い出しそうに形の良い唇が震えるのを見て、エッドは心中で拳をつき上げた。


 亡者でも、彼女を笑顔にすることができるのだ。

 そう思うと、ますます身体が軽くなる。


「しかも今朝は、近くの町から腕利きのパン屋が売りにくる日らしい。サンドイッチのほかにも、いろいろ仕入れてこようかと」

「それは重要ですね。分かりました。では、お願いします」


 パン屋の情報を流したとたん、聖術師の態度にきびきびとした張りがでる。これは、購入するパンの選り分けに気合を入れねばならない。


 軽く手を挙げさっそく階段へと向かったエッドの背中に、ためらいがちな声がかかる。


「エッド」

「ん?」


 ふり返ると、細い扉の隙間からこちらを見ているメリエールと目が合う。

 就寝用にゆるく結わえた髪を無意識に触り、聖術師はぼそぼそと言った。



「あの……また、あとで」

「ああ――また、あとでな」



 たったそれだけのやりとりだというのに、亡者は階段を飛び降りるくらいに元気づいていた。

 

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