第12話 美女とコウモリ



 壁ぎわの棚に舞いおりたエッドは、大きなコウモリの耳を注意深くぴんと立てた。


「ああ……我が主よ……」

「!」


 ささやくようなその声に、灰色の胸毛が逆立つ。


「どうか、お答えください……」


 神託を待つメリエールは、想像どおりの清潔なベッドの上で身を起こしていた。聖堂に借りたらしい質素な寝巻き姿で、繊細な手編みのショールが肩にかかっている。

 いつでも真っすぐなその細い肩は下がり、まだ回復しきっていない様子がうかがえた。


 小さな窓から差しこむ星明かりが、彼女の真剣な横顔を照らす。


「……」


 まるで絵画のような光景に、しばらくエッドは見惚れていた。しかしその中指に見覚えのある物体が嵌っていることを発見し、棚から落下しそうになる。


『っ!』


 かろうじて声を喉の奥に押し戻し、エッドは隅の暗がりへと引っこむ。


 たしかにあの指輪だった――しかも、同じ位置に。


 指輪の効果に気づいて享受するにしても、他人の目というものがある。他の指に移そうとは思わなかったのだろうか?


「……はぁ」


 小さなため息と共に、白むほどかたく結ばれていた指が解けていく。

 メリエールはぐっと上半身を伸ばし、天井を仰いだ。背中に流れ落ちた銀色の髪がシーツをくすぐるわずかな音が、エッドの鋭敏な耳に届く。


「どうしよう……」


 どうやら、神の助言は受けとれなかったらしい。


「偶然、よね……?」


 悩める少女のような声で呟き、メリエールはそっと指輪にふれた。鈍い光が映りこんだ翠玉の瞳が、物憂げに細められる。


「そう、あんな時だったもの……。たまたま……」


 聖術師はそこで言葉を切り、手を広げる。すらりとした中指に光る輪をじっと見つめ、やがて反対の手をその上に重ねた。


 エッドは思わず身を乗り出した――外してしまうのだろうか? 焦燥感が駆けあがり、コウモリの細い足に力がこもる。


『!』


 焦りが、慣れないふわふわの胸毛の存在を忘れさせていた。

 押し出されたいくつかの薬瓶がゆっくりと傾き、床へと身を躍らせる。


 聖堂にあるまじき騒音が、夜の静寂を乱した。


「きゃ!?」


 可愛らしい悲鳴。そんな想い人を盗み見ようとしたのが間違いだった。


 驚きに満ちた瞳と、見事に視線がぶつかる。


「ね、ネズミ……いえ、コウモリ?」


 聖堂でコウモリが発見された場合、どのような対処をとるのだろう。

 エッドはベッドの脇にある長杖を見ないようにしながら、なるべく愛らしく羽を震わせた。


「朝まで誰もこないとは思うけど……ほら、早く行ったほうがいいわ」


 どうやら、長杖がふり上げられることはないようだ。不浄とされる生物にも親切な仲間に、ますます温かい気持ちがこみ上げる。


「あら……出ないの?」


 不思議そうに首を傾げるも、動かないコウモリを見たメリエールは窓を閉めた。


 エッドは迷った末、ベッド脇の文机をめざして滑空する。

 着地で少したたらを踏んだが、聖術師はとくに怪しむこともなく微笑んだ。


「変わったコウモリさんね。じゃあ……少し、お話しましょうか?」


 悪戯っぽく笑う彼女にエッドは賛成の舞を踊ったが、その笑顔に曇りがあることに気づいて羽をたたんだ。


 メリエールはベッドの上で居住まいを直し、閉めたばかりの窓を見上げる。


「あなたも見た? 今夜はね、お祭りなの。私の知っている人を……“送る”ための」


 コウモリの聴覚が、遠い喧騒を聞きつける。

 さきほどよりも宴は盛り上がっているらしく、人々のざわめきには伴奏と歌声が混じっていた。


「あなただけに教えるけど……本当はその人、あの広場の祭壇にはいないの。棺はからっぽ。きっとシーアンの花や、重石が収められているだけ」


 ショールを巻きつけた肩を抱き、メリエールはつぶやく。


「中身はどうしたのかって? 実はね――まだ、歩き回っているの。しかも意外と、元気に。死んでいるのに、私よりすっきりした顔なんかして」


 肩をすくめるかわりに羽を揺すってみる。賢いコウモリだと思ったのか、メリエールは真面目な顔でうなずいて続けた。


「信じられないでしょう? 絶対死んだと思ったのに、生きてて――いいえ、生きてはいないけれど――しかも、せっかく逃げる機会をあげたのに、わざわざ戻ってきて」

『……』


 やはり、あの派手な神の招致は彼女の演出だったのだ。


 見た目のわりに神の攻撃は手ぬるく、違和感を感じたのはログレスも同じであった。

 あのような奇跡の業を目にすれば、聖堂の者たちもまさかエッドが逃れたとは思うまい。その証拠に“聖典顕現”のあと、森を覆う結界はあっさりと消えさっていた。


「それで私に……この指輪、を……」


 細い指におさまった銀の光を見、メリエールの声はか細くなっていった。


『?』


 エッドが顔を見上げると、なんと白い頬が真っ赤に茹であがっている。


「いっ、いいえ、“そういうこと”じゃないのよ? たしかにこの中指は“そういうこと”のために空けてあるんだけど、あの場面で“そういうこと”として嵌めたのかって言われると“そういうこと”とも言い切れないっていうか……ああ私、なに言ってっ……!」


 あたふたするメリエールを、エッドは黒い目で穴の開くほど見つめた。


 これは――これは、もしや嫌がってはいないのだろうか?


「だ、だって、森は暗かったし! 彼も、急いでいたでしょうし。魔力回復の道具だから、きっとログレスに借りただけだと思うしっ……!」


 銀の髪をいじいじと指先で弄びながらも、翠玉の目は指輪に縫いとめられたままだ。


「それに……彼は勇者で、私はただの旅仲間のひとりで……。勇者っていう人は、いつもまわりに綺麗な女の人なんかたくさんいて……」

『!?』


 だから――それはどこで定着した姿なのだ!


 エッドは憤慨して飛びあがった。もし先代の勇者の中に女遊びのはげしい者がいたら、“向こう”できっと問い詰めてやろうと心に誓う。


 キーキーわめいているコウモリには目もくれず、メリエールは小さくため息を落とした。


「……うん。やっぱり、ただの偶然だわ。なにより、昨夜のうちにもう遠くへ行ってしまったはずだし」


 エッドはもどかしさから机の上を歩きまわったが、端まで行くと引き出しが少し開いているのに気づいた。


「すごいでしょう……。それ」


 どこか沈んだ声で言う彼女に促され、エッドは身を乗りだして中身を見る。


 引き出しは開いているのではない――たくさんの封書を詰みこみすぎ、閉まらないのだった。


「全部、私宛てなの。新しいパーティーへの勧誘に、学術院からの“教術師”になってほしいという招致書。会ったことのない方からの熱烈なお手紙まで、いろいろあるらしいわ」


 らしい、というからにはまだ目を通していないのだろう。そんな小さな事実にほっとしたエッドだったが、やけに豪勢な封蝋が押された一通が目にとまる。


「その立派なお手紙は、となりのウェルス大陸で活躍されている勇者さまから。……実は、前から何通か頂いたことがあって。ぜひ自分の旅路に寄りそってほしいとか何とか」


 エッドは小さな鼻を鳴らし、聖術師を盗み見た。

 彼女は自分の考えにふけっている。


「ありがたいお誘いには違いないのよ。聖山で修行するよりも、実際の旅はより多くのことを教えてくれる。みんなとの――彼との旅は、本当に……」


 静かに紡がれていた言葉が、ふいに途切れる。


 エッドは、流れ星のように煌めく光が彼女の頬を落下していくのを見た。


「でも、また……“あんなこと”が起きたら?」

『!』

「たいそうな術を学んだって、大聖術師と呼ばれたって……大切な仲間を、助けられなかった。きっとこんな気持ちじゃ、私――」


 落ちた星は、震える指輪に当たって弾ける。

 端正な顔を歪ませ、彼女は声をふりしぼった。



「私……また、死なせてしまう」



 霜のような静寂が、薄暗い部屋にふり積もる。


 その重みに耐えきれなくなったのか、メリエールは視線をそらして長いまつ毛を伏せた。


「……ほんと、なに言ってるのかしら私……。分からないだろうけどごめんなさい、コウモリさん。迷い込んだうえにこんな話を聞かされるなんて、最低な夜よね」


 濡れた頬を指でぬぐい、彼女はそのまま動かなくなった。


『……』


 エッドは文机の上で、文字通り立ち尽くしていた。


 どのような言葉をかければ良いのか、まったく見当がつかない――そもそも自分は、彼女になにを伝えようとしているのだ?


 こんなちっぽけなコウモリの姿で、見たこともないくらい落ち込んでいる彼女に最適な言葉をかけられるわけがない。


「……おいで。その胸のふわふわしたところ、触ってみたいの」

『!?』


 迷っているうちに、メリエールはみずから元気の出る選択を思いついたらしい。

 泉で水をすくうように両手を重ね、そっと文机の端に寄せる。


 エッドは逡巡したが、他にしてやれることもないので大人しくその手に飛び乗った。

 森で触れた時ほどではないものの、じんわりと彼女の聖気がかぎ爪を熱くする。

「わあ! かわいい。コウモリを触るなんて、子供の時以来だわ」


 胸毛を優しく撫でなれるとくすぐったかったが、彼女の微笑みを保つべくエッドは置物のように直立していた。


 大人しくしているのを見て欲が出たのか、メリエールは今度は鼻面をちょんと指で押してくる。本物なら噛みついているだろう。


「賢いのね。それとも、だれかに飼われているのかしら? あなたのご主人様が、心配していなければいいけど」


 どこかの真っ黒な胴衣の男がニヤリとする光景を思い浮かべ、エッドは身ぶるいした。


『……』


 休息でふくらみをとり戻した形の良い唇が、いまや目と鼻の先にある。


「でも、そうね……。やっぱり、だれか来る前に帰ったほうがいいわ」

(――エッド。聞こえますか)

『!』


 同時に話かけられたような感覚に、エッドはめまいを起こしそうになった。

 思わず漏らしかけた声を呑み、精神を集中させる。


(ログ? どうした)

(申し訳ありませんが、用意してください――術が解けます)

(な!?)


 突然の警告に、エッドは小さく飛びあがった。メリエールも驚いて指を引っこめたが、まだ触りたそうにじっと見下ろしている。

 エッドは柔らかい手のひらの中で、きょろきょろと辺りを見まわした。


(よ、用意しろって……必要があれば、俺から合図を出すって話だったろ!?)

(緊急事態です)


 親友の硬い声には、珍しく緊迫感がにじんでいる。

 エッドは小さな牙を鳴らし、思念を飛ばした。


(何があった? 大丈夫なのか)

(こちらは一人で対処できます。しかしながら、術の継続は見込めません……準備はできていますね?)

(い、いや。ちょっと待っ――!)



 ぱちん、と遠くで指が鳴るような音を耳にする。



 同時に視界が暗転し、エッドは柔らかいものの上にどさりと落下した。



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