第1話 棺の中からこんにちは



「う……」



 かすれた声をあげ、エッドは重いまぶたを押し上げた。

 横になった身体は強張っているが、なんとか動かせそうである。


「いっ!」


 頭を持ちあげた瞬間、額を硬いものにぶつけてエッドはうめいた。しかし反射的にそう言ったものの、勢いもなかったからかまったく痛みはない。

 額をさすろうと腕を動かすと、今度はこつんと肘がなにかに当たる。さわり心地と香りから、木材であることがわかった。


 それに身体の至るところをくすぐる、このカサカサとした柔らかいものは――


「シーアンの花か……」


 芳醇な香りをはなつその花々に、どうやら全身がすっぽりと埋もれているらしい。

 エッドはふたたび身体を横たえ、目を閉じて静かに状況を考察する。


 暗い、おそらくは大きな木箱の中。

 死者の国に咲くと言われる、白い花々に取り囲まれている自分。


 そうだ。ここは――



「棺桶ーっ!!」



 勢いをつけ重い木蓋を跳ねあげながら、エッドは吼える。


 杭が打ちつけられる前だったのは幸いだった。

 がらんごろんと重厚な音を響かせ、聖なる紋が刻まれた長細い蓋が床に落ちる。


「うっ……うわああーっ!?」

「!」


 耳をつんざくような悲鳴に、エッドは驚いて振りかえった。


 この棺桶をいただく祭壇へと続く階段に、ひとりの若者が立っている。

 腕いっぱいに抱えたシーアンの花をぼろぼろと法衣に落とし、エッドを見上げて固まっていた。


「あ……すみません。蘇生術がやっと、効いたみたいで……。ただいま生き返りま――」

「ひいあああ! 司祭さまあぁーっ!!」


 エッドの朗らかな声かけも虚しく、若者はなかば転がり落ちながら後退していった。



「だ、だれかああ! 大変です、ゆっ、勇者様がぁっ……! あ、ああ“亡者アンデッド”にいい!!」

「……ん?」



 蘇生した直後で、耳がうまく機能しないらしい。

 エッドはうんうんとうなずき、階下の若者にふたたび明るい声を投げた。


「驚かせてすまない。悪いんだけど、俺の仲間たちを呼んできてくれないかな」

「お、お、おちつけっ、ボク……! あ、亡者くらい、ひとりでなんとかっ……」


 エッドの声を無視し、若者は蒼白な頬をみずから打ってよろよろと立ちあがった。


「ふー……。い、いくぞ!」


 深呼吸し、胸元から小さな本――神の言葉が刻まれた“聖典”を取り出し、詠唱を始めた。


『光の使徒よ。泥水の中を歩みし哀れなる魂に、御神の息吹を――』

「悪くはないけど、その術じゃヒト型の“亡者”には効きが悪いんじゃないか? 仲間の聖術師なら、もっと上位の……」


 老婆心から、エッドはそう助言した。しかし口を出すなという目でキッと睨まれ、肩をすくめる。


「ま、好きにすりゃいいさ。生者には無効のはずだし」

『……真理の導き手となりて、清き落涙をもたらさん――“光の涙ホーリーティア”!!』


 ばか丁寧な詠唱が、やっと終わったらしい。

 エッドは棺桶の縁にゆったりと腕を乗せ、どこからか出現した銀色の雲が頭上に集まるのを眺めていた。


「とはいえ、どんな感じなんだろうな。多少はピリピリすんのか――なあああ!?」


 収束した雲から放たれた白刃のような雷が頭に落ち、エッドは悲鳴をあげた。


「い、いっ、いだだだ!? ちょ、あ、あだだだだ!!」


 髪の毛を一本余さず、しかも無数の手で引っ張られているような痛みだった。


 びくびくと身体が痙攣し、波打たせた白い花が棺桶からこぼれ落ちていく。

 不思議なことにその花々には焼け焦げひとつなく、術はエッドにのみ影響を及ぼしているようだった。


 聖典を投げ出しそうな勢いで喜んでいる若者を睨めつけ、エッドは叫んだ。


「こっ――この×××野郎!! ふざけるな、本当に死ぬところだぞ!」

「ひっ! む、無傷っ!?」


 聖堂では決して耳にすることがない罵り言葉を投げつけられ、若者はひるんだ。

 エッド自身も驚いていた。酒場でどんなに酔っても、口にしたことなどない言葉だったからだ。しかし、どこか爽快でもある。


「なんだ、腰が抜けたのか? 俺が本当の“亡者”なら、これくらいじゃ滅せないぞ! ほら、次はどんなお上品な歌を聴かせてくれるんだ?」

「なっ……!」


 エッドの不遜な言葉に、若者は鼻の出来物まで真っ赤になる。


「はは!」


 花びらの塊を壮麗な天井へはなつと、子供のころのように気分が高揚してくる。


「ああ、気分がいい――これが生きてるってことか!」

「よ、世迷いごとを……!」


 震える手で聖典を抱きしめ、若者は畏怖の目でこちらを見上げた。エッドは棺桶から手足を出し、ぶらぶらと揺らす。


「くくっ。まるで王族の風呂みたいだ。ところで、まだ誰も来ないのか?」

「こ、ここには力ある聖術師が多く在籍している! お前なんか、い、い――イチコロだぞっ!」

「お。調子出てきたじゃないか」


 若者はハッと口を押さえ、左右を見渡した。

 その健気な門出にのんびりと拍手を送りながら、エッドも広い聖堂に素早く目を走らせる。本当に誰もいない。


「さて。どうも忙しいらしいから、俺はこの辺で……」

「ま、まてまて! この聖堂から出られちゃ困るんだ!」


 ごくりと喉を鳴らして両手を広げ、若者は階段を守るように立ちはだかる。


「ここは通さないぞ! ぼ、ボクだって、シュアーナ大聖堂を守る聖術師だ」

「感心、感心。なるほど、シュアーナってことは……王都までは戻ってないのか」


 頭の中に広げた地図に印を打ち、エッドは若者を見下ろした。


 つま先から髪の毛――どんぐりの帽子そっくりだ――まで震えていたが、その表情は揺らいでいない。

 修行を積めば、将来はきっといい聖術師になるだろう。



 そう――“彼女”のように。



「いい覚悟だ。そうやって死地を乗り越えるほど、強くなれる」

「……っ!」


 ぼきぼきと不穏な音を立てたのが自分の拳であることや、爪が妙に手のひらを刺すことも、エッドは気にならなかった。


 こちらは優しく微笑んでいるのに、若者の顔にはっきりと恐怖が刻まれていることだけが少し不思議である。


「さあ、退いてもらおうか」


 そのどすの利いた声に、さすがに若者は一歩後退する。

 花の絨毯を踏んでゆらりと立ち上がり、エッドは背を丸めて腰を落とした。


「……?」


 そこではじめて、自分の行動にエッドはぼんやりと疑問を抱く。

 まるで――身体が、勝手に動いているかのような感覚。


 エッドは一度両目を強く瞬くと、突き出している己の手を見た。


 

「っ!?」



 これは、自分の腕ではない――そう感じてしまう光景だった。

 

 どう見ても生者のものとは思えない、灰褐色の肌。

 無数の切り傷は赤黒くにじみ、いくつかは開いたままになっている。

 血が染み出したような色の鋭い爪が、指先から伸びていた。


 その矛先は――



「――逃げろ、早く!」

「えっ!?」


 

 態度を一変させたエッドに、若者は面食らったらしい。

 それを『隙』と見なしたのか、腕に力がこもりはじめるのを感じる。


 今にも飛び出しそうな腕を反対の手で押さえつけ、エッドは歯を食いしばり――牙が唇に沈むのを感じた――叫んだ。


「馬鹿! 止ま、るなっ……!!」

「え、ええ?」


 エッドの視線は勝手に、困惑している若者の汗ばんだ首元へと吸い寄せられた。

 

 あの喉をこの爪で掻き切れば、血が噴きだすだろう。

 そうすれば、自分は早くこの場を去れる――“彼女”に、会える。



 “こいつ”は――邪魔だ。



「ぐっ……! んなこと、考えてないっ……やめろっ!!」

「ど、どうしたっていうんだ?」


 エッドの足がひとりでに、棺桶をまたごうと動きはじめる。


「がっ!」


 頭を振りおろし、エッドはその膝にみずから牙を突き立てた――痛みは感じなかった。


「ひいぃ……っ! 狂ってる!」

「もががーっ!」


 エッドがくぐもった声で退避するよう叫ぶも、当然ながら若者は慄くばかりで動こうとはしなかった。

 窮屈な体勢に身体中が悲鳴をあげたが、少しでも力を緩めると悲劇が起こるのは明白である。


 エッドの奮闘を尻目に、若者は聖典を天にかざして言った。


「おお、お教えください、神よ! 僕はこの哀れな亡者を、どうしたら――!?」


 神の導きを乞うその声に応えたのは、冷たい響きだった。



「呆れますね……。その馬鹿げた書物の角でさえ、神の啓示を待つよりは良い武器になるものを」

「!」



 柱の後ろからぬっと現れたのは、まさに影を切り取ったような漆黒の男だった。


 頭からすっぽりと被った胴衣ローブをひるがえし、滑るように近づいてくる。血色の悪い指が開いている黒表紙の本を目にした若者は、怒ったように叫んだ。


「だっ――闇術師ダークレアン!? そんな穢れた書物を、大聖堂に持ち込むなんて!」

「おや。荷物検査はありませんでしたよ」


 まるで相手を煽るかのような皮肉。しかしそれが、“彼”の平常運転であることをエッドは知っていた。

 飛び出しそうな身体を渾身の力で御し、エッドはフードの暗がりに向かって声を投げる。


「おい! この状況、どうにかしてくれ! ロ――」

「闇の力を使役する身なれど、“亡者”に気安く呼ばれる名はありません」


 棺桶につづく祭壇の前で立ち止まり、男はわずかに顔を持ち上げた。

 中段では、助力を求めるか追い出すかの葛藤で悩んでいるらしい聖術師が、交互にエッドと漆黒の術師を見比べている。


 その哀れな姿を無視し、男は黒いブーツを静かに段に掛けた。



「ですが――大聖堂の中でも平然としていられる“亡者”には、興味があります」



 暗い部分まで、不思議とよく見えるようになったらしい。

 フードの下にある薄い唇が、確かに妖しく横に広がるのをエッドは目撃してしまった。



『昏き骨の安息を以て、黒き血の安寧を得ん。眠れ――“鴉の夢想レイヴンズレヴェリー”』



 まるでささやくようなその声を最後に、すべてが暗黒に包まれた。



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