第2話 黒き友は包まない



「なあ。ここまで来れば、もういいんじゃないか?」



 聖堂裏から続く森の、そのまた奥地。


 小枝を裸足で踏みつけ歩いているエッドは、投げやりな声を出した。


「……」

「なんだよ、ログレス。お前なんだろ? 分かるか、俺――こんなだけど、エッドだ」


 精一杯の明るい声で言ったエッドだったが、長い胴衣を翻して黙々と歩きつづける男はふり返りもしなかった。


「さっきの術って、アレだろ。魔物を気絶させるやつ。たまに使ってたよな」


 聖堂で意識が暗転し、次にふと気づいた時にはこの森を歩いていた。奥へと進んでいくこの闇術師のあとについてきたものの、そろそろ現状説明が欲しいところだ。

 エッドは肩をすくめ、期待していない答えを待った。


「……村のはずれにあるニニアの木の下には、何が埋められている?」

「は?」


 小さな湖のほとりに着くと、男が唐突に口を開く。

 エッドはこちらの質問が完全に無視されていることに気づいたが、灰色の腕を組んで記憶をたどる。会話が突飛なのはいつものことだ。


「ニニアの木か。懐かしいな……うーんと」


 故郷の村にある、だれもが知る傾いた大木。


 エッドが子供のころ、木の根元に秘密の宝物を埋めるという遊びが大流行した。

 この男はすでに、地面を擦るような黒い胴衣を着ていたものだ――懐かしさに口元をほころばせ、エッドは答える。


「俺が、行商から買った“ゆうしゃになれる短剣”。お前は――“独自かいはつ呪文集・序”だっけ」


 クズ炭を擦りつけた表紙が目印の、真っ黒な手製の本。

 できるだけ長たらしくした呪文と、発動したら“だれでもしぬ”という禁呪ばかりが記載された最恐の書物である。


「“キケンすぎて、きみには読めない”って、言ってたよな? 実は俺、埋める前日にこっそり見たんだけど……たしかに、どれも最後まで詠唱できなかったよ。絶対、噛むからな」


 ニヤニヤしながらエッドが言うと、ようやくフードをうしろへ流した男がふり向いた。


「……僕だって、今でも読めないでしょうね。あれはあまりにも――“深淵”に近い」


 不健康そうな色の肌と、優れた闇術師の特徴である紅い瞳が印象的な見慣れた顔。

 大真面目な表情の中に確かな親しみを感じとり、エッドはほっと息――呼吸が必要ない身であってもだ――をついた。


「ログレス! 人違いじゃなくて、嬉しいかぎりだよ」

「僕もですよ。エッド」


 ログレス・レザーフォルト――エッドの生家の向かいに住んでいた男で、当然のように一緒に過ごしてきた親友である。

 破天荒なエッドのうしろをついて回っていた理屈っぽい子供は、今や王都の学術院から研究依頼が届くほどの大魔術師となっていた。


「しかし、次に会うときはせいぜい焦げた骨ばかりかと思っていましたが……多少、肉が残っていたようですね」

「はっはっは。相変わらず、お前の冗談は分かりづらいなあ」


 術によって変色した紅い瞳孔が細くなるのを見ないようにしながら、エッドは乾いた笑みを浮かべる。その意を汲むことなく、親友はさらりと言い添えた。



「冗談ではありませんよ。あなたは今や立派な魔物――“亡者”です」



 小枝を砕きながらガックリと膝をついたエッドは、友に向かって叫んだ。


「包めよ! 気遣いにぐるっぐるに包んでから宣告してくれよ、そういうのは!」

「申し訳ありません。そういったものは、すべて産道に忘れてきたようなので」


 これも昔からお決まりの文句である。

 涼しい顔をしている闇術師を睨みつけ、エッドは口を尖らせた。


「ログ、はっきりさせておきたい。俺は結局――蘇生されなかったのか?」

「どうやら“大成功”ではないということは、身に沁みて分かっていると思いますが。沁みる身があるなら」


 少し上手いことを言ったと確信したのだろう。親友の顔にわずかに浮かんだ笑みを見、エッドはため息を落とした。

 茂みから伸びていたトゲのある蔓をいじりつつ、低い声で訊く。


「……さっき大聖堂で、若い聖術師を襲いそうになった」

「亡者はそういうものです。あの若者には僕が貴方を鎮めたように見せたので、大丈夫でしょう」

「そうはいかないだろ。棺桶から勇者の死体が消えてんだから。あの子、吊るされるぞ」

「それは気の毒だろうと思い、ちょっとした錯乱系の術もかけてあります。三日ほど、うわ言を呟いてくれますよ」

「より大丈夫じゃないだろそれ!」


 自信たっぷりの親友にうめきながら、エッドは心中であの若者に詫びた。たまたま遺体を管理していただけで、強力な闇術の餌食になってしまうとは。


「それで……俺のこの状態は、なんなんだ? 普通、亡者は会話なんてできないよな。もしかして、こんな見た目だけどちゃんと生きてるとか」

「心配ありません。ちゃんと死んでますよ」

「ですよね」

 

 そこを心配しているのではない、と言ったところでこの男には通じないだろう。

 エッドは灰色の指先で、植物の棘をついてみた。見事にぶすりと刺さったものの、顔の筋肉ひとつ動かない。


「痛みを感じない。呼吸も必要なし。鼓動は……音も忘れたよ」

「ほう。食欲や攻撃性はどうです」

「お前、研究対象を見る目になってるぞ」


 エッドはじろり非難がましい視線を向ける。しかし友はすでに、覚書用の小さな紙束を胸元に構えていた。


「……腹は、減ってない。減るのかどうかも分からないが。あと、今はだれかを襲いたいとも思わないな。生きてる時の平常時って感じだ」


 さらさらと筆を走らせ、ログレスは小さくうなずく。


「それは結構。ところでさきほどの質問への解となりますが、大聖堂で使用したのは魔物を沈静化させるだけではなく――“使役”するための闇術です」


 ずいぶん遅れての解答に、エッドの反応も思わず鈍くなる。


「なんだよ。それじゃ、俺が歴とした亡者みたいじゃないか」

「胸を張って良いのですよ。張れる胸があるなら」

「……」


 エッドはよっこらしょと声を上げ、立ち上がった。特に疲れているわけではなかったが、生前の小さな癖は残っているらしい。


「じゃあ今、俺はお前の支配下にあるってことなのか?」

「そういうことになりますね」


 この闇術師は、使役した魔物を好きに操ることができる。

 どの術師にでもできるわけではなく、独自の研究によって花開いた術だ。


「使役、ねえ……」


 小鬼ゴブリン数匹がぎこちなく炊事をしている光景は、そう簡単に忘れられるものではない。

 はっとしたエッドは、灰色の両腕を抱いた。


「へ、変なことさせてないだろうな! 三回まわって大鬼トロルのマネとか!」

「……支配といっても、完全ではありません。研究中の術ですし、なにより貴方の魔力がいまだに強大すぎるのです。大聖堂から大人しく連れ出すくらいが限界でした。……まったく、勇者が亡者になると手を焼きます」


 無念そうに頭を振る仲間に、エッドは安堵した。

 同時に、心中でそっと感謝の言葉を述べる。


 闇の力を操る彼ら闇術師は、聖堂の人々に忌み嫌われている。

 当然、関連施設に立ち入ることを快く思われてはいない。なのにあの場に遅れなく現れたということは、この男は大聖堂のすぐそばに控えていたに違いないのだ。


「話は戻るが、そもそもどうして俺はこんなに自我を保ってられるんだろう?」

「僕の考えで良ければ、お話しますが」


 尖った顎に手を当て、きらりと目を光らせる親友にエッドはうなずく。

 

「たのむ。状況を整理したいから、最初から話してくれるか?」

「心得ました」


 ログレスは覚書をしまい、苔むした切り株に静かに腰掛けた。

 エッドもそれにならい、冷たそうな大岩に背を預ける。



 木々の葉がひらりと舞い落ちるのを合図に、友は語り始めた。



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