第5章 (3)約束

数日後・・・


いつものように学校の授業を終えると結子の病室へ駆けつける朋友。そんな朋友に対して結子は病院の先生から外出許可をもらったから付き添って欲しいと尋ねたところ、朋友は結子の問い掛けに二つ返事で了承した。


娘を大事にしてくれる頼もしい朋友を見つめながら、鏡子は結子の体調について医師や結子と交わした会話を思い返していた。


結子が救急搬送されて入院してから鏡子は定期的に医師から結子の状態について説明を受けていた。医師によると結子の怪我は完治しているのだが、なぜ体調が回復しないのか原因がわからないというのである。心身ともに異常はなく、経過を見ながら必要に応じて対処すると鏡子は診察室内で医師からの説明を受けていた。


そして、結子自身はそのことを医師から告げられなくても十分に理解していることを鏡子は知っていた。何故なら鏡子は結子本人から自分の体調不良は病気ではないので、今の医療では治らないと聞かされていたからである。そして、体の調子が良いときに少しでも気の良い場所に行きたいので、病院の医師から外出許可をもらって欲しいと頼まれていたのであった。


「気をつけて、行ってらっしゃい」


病院の廊下で微笑みながら、ふたりを見送る鏡子。


「行ってきます」


結子を乗せた車椅子を押す朋友は結子の想いを叶えるべく、しっかりと車椅子の手押しハンドルを握りしめていた。朋友との想い出づくりのために大切な時間を有意義に過ごそうと決意する結子。



夕陽に映える渡良瀬橋・・・


渡良瀬川沿いの道にふたりの長く伸びた影が並ぶ。淡くにじむような秋の陽射しを浴びながら、ふたりは足を止めて可愛らしい花々が佇む川沿いの地面に腰をおろした。どちらからともなく、ふたりは互いの手を握りしめて静観する夕月夜を見上げた・・・


秋風に吹かれ軽やかに美髪びはつなびかせる結子は、少しの間をおいてから朋友に話を切り出した。結子は初めて朋友の自宅がある神社に立ち寄った帰りに朋友の母親に会ったことを告げた。


そんな訳ないだろ、母さんなら俺が小さい時に・・・と、にわかに信じ難い結子の話に対して朋友は直ぐに受け入れられずにいた。何故なら、朋友は幼少の頃に母親とは死別していたからである。


そんな朋友の瞳を優しく見据えるような眼差しで見つめながら、結子が当時の状況を淡々と説明する。



暗闇の中、鳥居を潜り抜けると朋友の自宅がある神社を背にした結子は、神社前で未成仏な存在を感じた。そして、その存在を感じる方へ振り向くと、ひとりの女性の姿が見えた。


「どなたですか?」


結子が声をかけたその女性は、結子からの問いかけに対して自分は朋友の母親だと言った。驚きはしたものの何か事情があることを察知した結子は、亡くなった朋友の母親の話を聞くことを決めた。


「は、はじめまして、大神結子です」


「あの、ありがとうございます、うちの子が大変お世話になっています」


「いいえ、こちらこそ、お世話になっています」


「どうしても家の子に伝えておきたいことがあって・・・」


朋友のことを心から愛しており、死んだ今でも朋友のことを心配する母親の気持ちが結子には痛いほど伝わって来た。そして、遺した家族を大事に想い続けている温かく優しい気持ちが結子の全身に伝わって来る。


「どうなさいました?私でよろしければお伝えします」


結子は朋友に伝言することを引き受け、朋友の母親からの話に意識を集中する。


「私、朋友に謝りたくて・・・実は私の不注意で朋友が小学校3年の夏にお風呂で火傷を負わせてしまって、それ以来、あの子は熱いお風呂が苦手になってしまってね、寒い冬でもぬるま湯にしか入らなくなってしまって・・・」


沁沁しみじみと語る朋友の母親の言葉の一言一言を結子はしっかりと受け止める。


「そうだったんですね」


「寒い冬に、あの子が風邪を引かないか心配で・・・」


ほんの些細なことである。しかしながら、その些細なことの中には未練だけではない幾つもの熱い想いが込められている。温かいお風呂に入れてやりたいという切なる想いはひとつの事象にしか過ぎず、未成仏である理由は、それを知って欲しいからだけでは無いのである。


朋友の健やかな成長を願う想いと亡くなってから初めて気づいた清らかでいることの大切さ・・・それを生きている息子に伝え、自分のように死んだ時に未成仏にならないでほしい、健やかに正しい生き方をしてほしい、そんな願いがこの世に未だ留まっている理由であることを結子は理解していた。


「ありがとうございます、朋友のことよろしくお願いします」


そう言うと朋友の母親は結子に深々と頭をさげた。結子は朋友の母親に清まり成仏することを伝えたうえで、祓い清めて成仏させた。



結子の表情を真剣な眼差しで見つめながら、結子の説明に聞き入る朋友・・・


「朝日照子さんでしょ、朋友のお母さん」


「どうして名前を?」


「未だにぬるま湯に入っているの?」


「えっ、何でそれを?」


「小学校3年の夏にお風呂で朋友に火傷を負わせてしまったこと、朋友に謝りたかったんだって」


「だから、何でそれを結子が・・・」


「風邪を引かないように、お母さんを心配させないように、ちゃんと熱いお風呂に入るのよ!」


結子から告げられた母親の言葉と想いを聞いて感慨に耽る朋友は、幼い頃から記憶に留めている照子の笑顔を想い浮かべながら、母さん・・・と静かに呟いた。そして、結子の手を握りしめながら爽やかな笑顔で結子に心から感謝の意を伝えた。



此の夜、朋友は栗◯美術館へ結子を連れて来た。閉館時間を過ぎた敷地内には関係者以外は立ち入ることができないのだが、朋友は結子のために特別に許可を得ていたのである。


「うわぁ、綺麗!」


美術館内にある歴史館の展望室にいるふたり。展望室内の窓から眼下に広がる鮮やかなフラワーパークのイルミネーションを見渡せる特等席。


フラワーパークは一年を通じて、ちょうどこの時期は園全体をイルミネーションで彩る夜間の営業を開催していた。


窓辺で屋外の景色を眺めている結子の横顔を見つめている朋友は、フラワーパークで偶然に出逢いふたりの写真を撮ってくれた女性の事を思い出しながら感謝していた。



「あっ、花言葉のおばさん!」


「君は、あの時のボーイフレンド君!」


結子との写真を撮ってくれた女性・・・実はフラワーパーク近くの美術館を管理している頼光の知り合いであり、頼光との打ち合わせのために朋友の自宅へ訪ねて来た際に偶然にも境内で朋友と再会していたのである。そして、その際に朋友は庭園内を一望できる特等席の話を聞かされていたのであった。



光のイルミネーションと朋友のサプライズによる演出に感動する結子。その後、ふたりの影はフラワーパークの園内にも並んでいた。冷たい秋夜の風が玲瓏な音を奏でる園内・・・過ぎゆく草木の香りを感じながら、夜空の星々が見守る静謐なときを過ごすふたり。


心を鎮めながら柔らかな光に灯された美しい花々を眺めていると、いにしえの記憶が甦る・・・結子は時を超えた神々の想いが伝わって来ることを感じていた。



病院に戻たふたり・・・


病室でベッドに横たわる結子の手を握り、朋友はベッドの脇の椅子に座る。そんな優しい朋友を澄んだ眼差しで見つめる結子は、朋友にある約束をしようと伝えた。結子の言う約束とは、自分か朋友のどちらかが先に倒れても絶対に世の中を清らかにすること・・・


それを聞かされた朋友は、結子も自分も絶対に倒れないと微笑みながら返答する。


「いいから、約束!」


そんな朋友に結子は笑顔でそう答えると左手を出した。結子の手に呼応するように朋友は右手を差し出すと微笑みながら人差し指と親指でハートマークを作るふたり・・・


「約束!」


互いを見つめ合う笑顔のふたりは、掛け替えのない甘やかなひと時を過ごした。そして、寝静まった結子を見届けた朋友は、静かに病室を出た・・・

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