第5章 (2)愛しい人

一か月後・・・


学校の授業を終えた朋友は駆け足で病院に到着した。


「失礼します」


あの日以来、毎日欠かさず結子が入院する病院へ通い続けている朋友。廊下を歩く朋友が足を止めて結子の病室に入ろうとした時、鏡子が朋友に声を掛けた。


「朋友くん、毎日ありがとう!学校は終わったの?」


「はい、あの、結子は?」


「今、寝たところよ」


「そうですか、じゃあ俺・・・」


朋友は結子の睡眠の邪魔にならないようにと入室することを止めようとした。


「ちょうど、良かった。朋友くん、少しの間、結子のことお願いできる?おばさん、自宅に荷物、取りに行くから!」


「わかりました」


「それじゃ、よろしくね」


「気をつけて」


鏡子は結子のことを朋友に任せて廊下を歩いてゆく。鏡子の後ろ姿に目をやった朋友は鏡子が廊下を曲がって見えなくなるまで温かい眼差しで見送った後、静かに病室へ入った。


結子と朋友のふたりだけの病室内は静寂のまま、ゆっくりと時間だけが経過する。鏡子の献身的な看病の甲斐あって結子はこのひと月の間で意識も戻り、徐々に体調が回復していた。


鏡子の看病も然ることながら、結子の容体が回復する最大の要因は朋友の存在であった。それは近くに寄り添い支えてくれる優しさだけではなく、病院の空間を祓い清めるというより物理的な側面での支えが大きな意味を成していた。何故なら、結子の肉体は病に伏している訳ではなく穢れによって肉体のバランスを崩され疲弊しているなかで、更に強烈な汚穢に塗れた妖気を全身に受けたからである。


病院の敷地や病室に結界を張り巡らせ、院内を祓い清めることにより穢れた存在や未成仏な霊たちから身を護ること。穢れた鬼たちに襲撃されることもなく安堵できる空間で休めることが結子の心身の回復を手助けしている最大の理由であった。


結子が穏やかな表情で眠るベッドの側の椅子に朋友は静かに腰をかける。そして寝静まる結子の表情を眺めながら結子の手を優しく握り、ふたりで眺めた夕月夜が浮かぶ渡良瀬川の景色と結子と楽しく過ごした瞬間ときを想い出す・・・


「巫女さんというよりも、本物の女神さまに見えたから・・・それが可笑しくて」


「本物だったらどうする?」


「本物だったらどうして欲しい?」


「もう、揶揄わないでよ?」


「いや、家の爺ちゃんの年になっても、揶揄うからな!」


「えっ、じゃあ、私がお婆さんになっても・・・」


「ああ、そうなるかなぁ!」



夕暮れどきの渡良瀬川沿いで結子と交わした言葉。共に過ごした時間・・・朋友を見つめて微笑む結子の姿が朋友の脳裏には鮮明に焼き付いている。


「結子、俺、強くなって、結子のことちゃんと守れるようになるから・・・もっともっと清らかになって、穢れたものから結子のこと、守れるよういになるから・・・約束するよ」


結子の手を握りしめながら結子に語りかける朋友。


暫くすると、朋友はそのまま眠りに吹けた。そんな朋友とは逆に付き添われて熟睡していた結子は静かに目を覚ます。自分の側で寝入る朋友の顔を眺める結子は、朋友に握られた手を優しく握り返す。朋友から伝わって来る温かみを感じながら結子は静かに微笑むのだった。



翌日・・・


鏡子は病室で父親のことを結子に告げた。


「結子、お父さんと会ったわ」


「うん、朋友から聞いた」


結子は朋友から父親を救急搬送したこと、集中治療室の前で偶然にも再会したこと、結子の命を救うために結子の父親が輸血を申し出たことを聞かされていた。


「お父さんがあなたを助けてくれるなんて・・・」


「お母さん、私、お父さんが家を出てった本当の理由、知ってるよ」


驚いた表情をする鏡子に結子が真実を告げる。お父さんは自分と同じように目では見えないものが見えていたということを・・・



それは結子がまだ幼い頃のことだった。公園で楽しそうに遊んでいた結子に幽霊が近づいて来た。一緒に遊んでもらえない未成仏な幽霊は、結子の気を引きつけようとブランコを勢いよく動かした。そうとは知らない結子は、勢いを増して凶器と化したブランコと打つかりそうになる。


「危ない!」


恐怖と突然の出来事で身動きの取れない幼い結子を健彦が身を呈して助けた。ブランコが父親の背中に打つかった低く鈍い音・・・恐怖のあまり目を瞑っていた結子は、その時に聞いた痛みを伴うような音を今でも鮮明に記憶している。


「大丈夫か? 結子」


「うん、ありがとう、お父さん!」


背中の痛みよりも結子の身を案じて優しい笑顔を見せてくれる父親。その温かい手から伝わって来る情愛を感じている結子の安全を健彦は確認すると、温和な物腰から一転してブランコを動かした幽霊の方を鋭い眼差しで凝視した。


健彦に見つめられた幽霊がその場から去る姿を目の当たりにした幼い結子は、その時に父親が自分と同じものを見ていることを初めて知ったのであった。


その後、幼い結子は、お父さんも自分と同じようにお母さんが見えないものを見えているよ・・・と鏡子に伝えようとするのだが、その頃にはもう父親の姿は家にはなかった。



病室で結子は説明を続ける。


「お父さん、自分は精神異常者で、娘の私までが幽霊を見えることは自分の所為だと思っていたんだよ」


結子から告げられた真実に驚きを隠すことが出来ない鏡子は、高ぶる気持ちを必死に堪えながら小刻みに体を震わせる。


「このままだと、大切な家族に不幸を招くから・・・自分さえ居なければ、幽霊も近寄ってこないだろうって、お母さんと私が平穏な生活を送ることができるようになるって・・・そう思って出て行ったんだよ」


「馬鹿な人・・・」


堪えきれずに涙ぐむ鏡子。


「私は、お父さんの気持ちも分かるし、私を守ってくれた、お母さんの気持ち、ホント感謝してるよ」


「結子・・・」


涙が溢れて止まらない鏡子は、はじめて事の真相を知って絶句した・・・



境内を涼しい風が吹き抜ける初秋の夜。


朱塗りの神社拝殿内には紋付袴姿で正座している朋友の姿があった。朋友は心を鎮め体を清めて空間認識力を向上させる訓練をしていた。呼吸の深さを変調させながら空間に広げた意識の位置を自在に変化させる朋友。高めた集中力を解放するように朋友は澄んだ双眸を開き柏手を打つ。


結子から教わったことを胸に結子が入院した後も休むことなく訓練を続けている朋友の姿は、愛しい人のために行動する青年の佇まいというよりは、寧ろ、師を敬慕けいぼするような雰囲気を漂わせていた。



それから数日後・・・


結子から真実を告白された鏡子は、健彦を自宅へ招き入れる。


「お邪魔します」


軽く会釈してから健彦は玄関で靴を脱いだ。少しの沈黙の後、温かいお茶を入れる鏡子が居間の椅子に腰をかける健彦に話を切り出した。


「貴方のおかげで結子が助かりました」


「いや、長い間、何もしてやれなくて・・・」


「本当にその通りですよ、彼此十年以上になりますね」


「済まなかった」


「謝るのは私の方です」


「えっ?」


鏡子に叱責されることを覚悟していた健彦は、鏡子の言葉に気が動転し、我が目を疑った。


鏡子は結子から聞いた事実を健彦に告げる。健彦が結子と同じように幽霊が見えること、そして、責任を感じて結子と妻である自分のことを想って出て行ったこと、鏡子自身はそんな健彦の気持ちを知りもしないで勘違いしていたことを・・・


「いや、お前は悪くない!私が現実に向き合い正直にお前に伝えなかった所為だ、お前や結子の気持ちを知りもしなかったのは私の方だ!」


健彦は頭を下げ、心から鏡子に詫びた。   


「健彦さん、結子に会ってやってください」


鏡子が優しく呼びかけるのだが、健彦は長い間、鏡子に迷惑をかけるだけではなく結子にも辛く寂しい想いをさせて来た自分には結子に会わせる顔が無いと内心を鏡子に告白した。


「何言ってるんですか? 貴方は娘の命を救った立派な父親ですよ!」


「鏡子・・・」


微笑みながら、そう答える鏡子を見つめる健彦は感謝の気持ちを胸にしながら静かに妻の名を呟いた。


胸につかえた想い、長年のわだかまり、こじれた関係を修復するための時間は、今のふたりにはそれほど必要なかった。



其の夜


辺り一面が白い霧に覆われている神社境内・・・視界の悪い神社境内でひとり鬼たちと壮絶な死闘を繰り広げている朋友。四方八方より次から次へと襲いかかって来る鬼を斬り刻んでも敵の勢いはいっこうに収まる気配がない。そこへ強烈な妖気を放った酒呑童子と茨木童子が姿を現した。


「酒呑童子! 茨木童子!」


朋友は二体の巨大な魔獣の名を大声で叫び、御神剣を構える。朋友は相手の太刀筋を読み巧みに攻守の切り替えを行いながら戦い続けるも徐々に防戦する時間が長くなる。戦闘しながら境内の参道を奥へ進むと其処には結子の姿が見えた。朋友は結子の名を呼んで近づこうとすると、結子は鬼塚に腕を掴まれ瞬く間に捕縛ほばくされる。


「朋友、助けて!」


「結子!」


結子を追う朋友の行く手を遮る多数の鬼たち・・・鬼塚が結子を連れて朋友の視界から一歩また一歩、遠退いてゆく。


「朋友! 助けて! 朋友! 朋友!」


救いを求めて叫ぶ結子の声が悲しげに響き渡る・・・朋友が懸命に結子を追うものの結子に手が届かない。


「結子! 結子!」


そして、朋友の声だけが無情にも谺する・・・


「結子!」


次の瞬間、朋友は自室のベッドの上で目を覚ました。


「夢か・・・」


静まり返った深い夜に激しい戦闘の夢から目覚めた朋友の体は熱く、じっとりとした汗をかいていた。結子が身を呈して朋友を庇い、入院してからどれだけ同じ夢を見ただろう・・・あれから何百回、いや何千回と酒呑童子、茨木童子と戦うイメージトレーニングをしたことか・・・


ベッドに横たわっても再び寝付けない朋友は、起き上がり御神剣を手に月夜が照らす屋外へゆく。境内の参道で呼吸を整え心と体の動きを鎮める朋友。


「酒呑童子!」


強敵の姿を思い浮かべる朋友は、清らかな気を身に纏いながら軽い身のこなしと鋭い太刀筋に磨きをかける。結子への一途な想いが朋友に勇気と活力を与え剣術の訓練を加速させたとき、霊峰・◯体山の頂上では雷鳴とともに雷が落ち、眩くて煌びやかな光が山頂を覆っていた。



翌日の朝


「お父さん・・・」


結子の病室に健彦が尋ねて来た。


「結子、体調はどうだ?」


「お父さん、ありがとう!」


結子の病室には、鏡子に促され娘に会いたいという素直な気持ちを隠すことなく結子に会いに来た健彦の姿があった。しかしながら、結子に語りかける言葉に詰まる健彦・・・


「お父さんが輸血して助けてくれたから、大丈夫だよ!」


愛しい結子の優しい言葉に救われた健彦が重い口を開く。


「長い間、寂しい想いをさせて悪かったな、お父さんは最低な男だ」


健彦の全身から伝わって来る愛情を感じる結子は、健彦の苦悩と今日までの苦労を理解している。健彦の眼差しを見つめる結子は、お父さんは美人のお母さんと離ればなれになった可哀想な最低の運の持ち主だ!と笑いながら返答した。


「結子・・・」


結子の深い理解力と成長した立派な姿に嬉しい気持ちを抑え切れない健彦は、結子を優しい眼差しで見つめた。


「お母さん、ずっと、お父さんのこと心配してたよ!男なら、ちゃんとお母さんの気持ち大切にしないとね!」


「こいつ」


健彦を見つめ微笑む結子・・・そんな結子の表情を見て静かに笑う健彦。


「やっと笑ってくれたね!」


「結子・・・」


健彦は結子を優しく抱きしめた。


「お帰りなさい、お父さん」


嬉しくて涙する結子。


「ただいま」


愛する娘との再会・・・成長した我が娘を抱きしめ、涙を堪えながら喜びを噛み締める健彦であった。

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