第5章 (1)大切な命
救急車のサイレンが夜の街に鳴り響く。それは怒りと悲しみが入り交じった不協和音のようでもあり、朋友は不安な気持ちを胸にしながら救急車の中で横たわる結子の痛々しい姿を見つめていた。
なぜ気づかなかったのか、今この瞬間と同じようについ先日も救急車に乗っていた朋友は、その時点でなぜ今起こっている現実を察知して回避することができなかったのか、未来に起こり得ることをなぜ予測できなかったのか、結子のことを大切に思えば思うほど自分の不甲斐無さを痛感し、不安に襲われるだけではなく、自責の念に駆られていたのである。
ふたりを乗せた救急車は暗がりの路地から町のメイン道路を通って病院へ向かう。救急車が病院の前に到着すると直ぐにドアが開き、ストレッチャーに横たわる結子は救急搬送された。病院内の集中治療室で医師たちが結子の治療をする。
鬼塚たちとの格闘により負傷していた朋友も診療を受ける。医師たちの素早い対応によって治療を済ませた朋友は、集中治療室前の廊下でひとり結子の回復を願い待つことしか出来ない。
暫くすると連絡を聞いた鏡子も病院に駆けつけた。鏡子は受付で結子のことを尋ね、結子が治療を受けている集中治療室を目指して院内の廊下を進んだ。逸る気持ちが鏡子を足早にさせる。
結子の元へ向かう鏡子はエレベーター前に辿り着き上の階へ向かうボタンを押す。その場でエレベーターを待っているのは、ほんの数秒であるのだが鏡子にとってみれば降下して来るエレベーターが待てど暮らせど降りて来ない長時間に感じられ、それと同じように不安が増大する。
焦りと苛立ちが募る鏡子の目前にエレベーターが到着して静かに扉が開くと鏡子は急いでエレベーター内に乗り込もうとするのだが、エレベーターから出ようとするひとりの男性が鏡子の足を止めさせる。頭を
「あっ、貴方!」
「おっ、お前・・・」
「健彦さん・・・」
「鏡子・・・どうして此所に?」
「結子が・・・結子が・・・」
立っていることが出来ずに涙ながらに崩れ落ちそうになる鏡子を健彦が抱き支えた。偶然なのか、必然なのか・・・危機的状況である結子がふたりを再会させた・・・
集中治療室前の廊下でひとり椅子に座り、結子の治療を待ち続ける朋友に鏡子が声をかけた。
「朋友くんね!いつも結子から聞いているわ」
集中治療室前で朋友と合流する鏡子と健彦。
「すみません、俺が付いていながら・・・」
「き、君は!」
「お、おじさん!」
朋友と健彦が互いの顔を見て驚いている。
「えっ、知り合いなの?」
鏡子は意味が分からず、何事かとふたりの表情を見つめた。
その頃・・・
朋友の自宅である神社境内では朋友が何処へ行ったのか、なぜ駆け出して行ったのか意味が分からず、夏子が携帯電話を片手に立ち尽くしていた。
「もう、あの子ったら、何度かけても直留守です・・・」
「
孫のことが気になって心中穏やかではない頼光と事故にあってなければと朋友の身を案じている高彦と夏子・・・全員が朋友のことを想い心配していた。
そんな朋友は病院の集中治療室前で再会した男性の正体を知る。
「おじさんが、結子、いや、結子さんのお父さん・・・」
道路脇で倒れていたところを朋友が助けて救急搬送した男性は、結子の父であった。
「あの時は助けてくれてありがとう!私だけではなく、結子のことも君が病院に連れて来てくれたんだね、本当にありがとう!」
「俺は・・・俺の
その時、救急治療室から看護婦が出て来て結子の家族を探している眼差しを夏子に向けながら声を掛けて来た。結子は大変危険な状態であり輸血が必要なのだが、結子はまれな血液型であるために結子に輸血することが出来る必要な量の血液をどうにかして確保しなければいけないというのである。
猶予の無い状況の中、空間を静寂が支配する・・・
「私の血液をお使いください」
健彦が沈黙を破り、真剣な眼差しで看護婦を見つめた。
「こちらは?」
「娘の父親です!」
看護婦からの問いかけに鏡子が答えた。鏡子がまさか自分のことを結子の父親だと言葉に出して言ってくれるとは・・・そんな事を想像もしなかった健彦は鏡子の意外な言葉に驚きはしたものの不甲斐無い自分を結子の父親だと言ってくれた鏡子に対して感謝するだけではなく、鏡子の結子に対する深い愛情を感じ、静かに妻の名を呟いた。
「わかりました、すぐに準備します」
急いで輸血の準備をするために看護婦は急ぎ足でその場を立ち去った。
健彦は輸血の準備のため別室に呼ばれる中、鏡子と朋友は沈黙のまま、その場で準備が完了するのを待ち続ける。ほんの数分間にも関わらず苦しい想いをしている時間はとてつもなく長い時間に感じさせると聞いたことがあるが、朋友はその言葉の意味を十分に
輸血の準備ができた健彦は、看護婦に付き添われながら集中治療室前に到着する。
「貴方、よろしくお願いします」
鏡子からの問いかけに小さく頷く健彦。何もできないまま健彦を見送る朋友・・・
ただひたすらに結子の無事を願い待ち続ける鏡子と朋友の目の前に医師たちに付き添われ結子が現れたのは数時間後のことであった。
「結子!結子!」
悲壮感を漂わせた表情の鏡子が結子の名を繰り返し叫ぶ。そんな愛に溢れた激しく熱い想いが空間を支配する・・・朋友は心の中で結子の名を何度も呼んでいた・・・
病室でベッドに横たわり酸素マスクをつけている結子の側で、椅子に座り結子の手を握りしめている鏡子。結子の部屋の前の廊下でひとり佇んでいる朋友は、鏡子が医師から結子の状態について説明を受けている様子を思い返していた。
「一命を取り留めはしましたが危険な状態です」
医師からの説明を聞く鏡子。その姿を黙って見ていることしか出来ない朋友は、その場でひとりだけ結子のために何もしてやることが出来ない自分の無力さを改めて実感した。
ほんの数分後だろうか・・・虚ろな眼差しで廊下に佇んでいる朋友に部屋から出て来た鏡子が声を掛ける。
「朋友くん、もう遅いから、ここは私に任せてお家にお帰りなさい」
項垂れたまま返事が出来ない朋友。
「大丈夫だから、お家の人たちもあなたのこと心配している筈よ」
「おばさん・・・」
大切な娘が危篤であるにも関わらず、朋友に優しい言葉をかける鏡子の気持ちに有り難く、また申し訳ない想いで胸が張り裂けそうな朋友は鏡子の指示に従い結子を残して病院を後にした。
深夜の街・・・朋友はタクシーに乗車することなく、今日の出来事を想い返しながら自宅への道を歩く。
「今は病院から家に戻ったから」
電話口から聞こえて来た結子の声。
「会いたい・・・」
結子にそう言葉をかけた自分・・・俺の所為だ、俺が結子に会いたいって言わなければ・・・悔やんでも悔やみきれない想い、深い失望と悲しみが自身に対する怒りへと変わる。
自宅に到着した朋友は、自分の身を案じて休むこと無く待ってくれていた夏子に御免と一言だけ声をかけ静かに自室に入った。
室内でひとりベッドに横になるが眠りにつくことなど出来やしない。朋友の脳裏に浮かぶ酒呑童子に拘束されている結子の姿・・・
「私のことはいいから、逃げて!」
朋友を見つめる結子の眼差し・・・
「終わりだ!」
鬼塚(酒呑童子)が朋友を殺そうとした瞬間、朋友を庇い朋友の代わりに負傷する結子の痛々しい姿・・・
「結子!」
結子の名を叫ぶ朋友の目前で結子の肉体と同じように勾玉が崩壊する・・・
「俺がもっと強ければ・・・俺がもっとしっかりしていれば・・・」
自分の不甲斐なさと結子への謝罪の心が朋友の体を小刻みに震わせ、朋友は更に病院内での出来事を想い返す。
集中治療室前で医師たちに付き添われ現れる結子の姿・・・結子の名を何度も叫ぶ鏡子の姿・・・
「結子・・・ごめん、本当にごめん、俺の所為で、俺の所為で・・・」
朝日が昇る頃までベッドの上でひとり泣き崩れる朋友の声が止むことはなかった・・・
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