第4章 (4)罠

結子は男の子の声に導かれるままに夜道をひとり歩いてゆく。


私、どうしたんだろう・・・確か朋友と約束した待ち合わせ場所に向かった筈なのに・・・


意識が混濁こんだくしているかのような状態から正気に戻った結子は、知らず知らずのうちに町外れに鎮座する樺崎八◯宮の前に来ていた。


人が生み出す物理的な空間の汚れに加え、魑魅魍魎が撒き散らす穢れた気によって疲弊している結子の肉体・・・それに追い打ちをかけるように異形な鬼たちが引き起こす凄惨な事件によって多くの人たちが負の想いを増幅させることにより、空間は更に混沌とした状態に陥っている。それらを全身でリアルに体感し続けている結子は気力と体力を消耗し切っているあまり、あやかしに気付くことが出来なかったのである。


そんな結子に襲いかかる魔の手・・・鬼塚京一(酒呑童子)が結子の目の前に現れる。助けを求める男の子の声は、鬼塚が声色を使い結子を誘い出していた罠であった。


女神の力により結子の双眸が蒼く煌めく。鬼塚からの強烈な妖気をダイレクトに受ける結子は、既に満身創痍である。そんな結子の肉体を護り支えて突き動かすのは唯一ただひとつ、清らかな女神の力である。


結子に詰め寄る鬼塚に対して正面から対峙する結子は為す術がなく、必死に堪えながら倒れそうになる体を気力で奮い立たせていた。


「ここが鬼門だ」


鬼塚の放つ言葉の通り、この神社は地理的に町の北東の位置である鬼門に鎮座する神社なのである。


鬼塚の双眸が禍々しい妖気とともに赤く閃光すると辺り一帯で強風が吹き荒れはじめ、漆黒の闇を照らす僅かばかりの街灯の明かりが空間に舞い散る花吹雪を照らしていた。



「遅いな・・・」


公園で結子が来るのを待っている朋友は、結子の到着があまりにも遅いので結子の携帯電話にコールするのだが応答はない。朋友の心に不安が過ぎる中、公園に咲く花が風にあおられ舞い落ちた・・・



傲然ごうぜんと構え、力強い一歩を踏み出して結子に押し迫る鬼塚とは逆に鬼塚の歩みと同じ距離を後退する結子。その背後から穢れた妖気を乗せた濁声だくせいが結子の全身を突き刺した。


「そうはいかねぇ!」


逃げようとする結子の退路を角田剛毅(茨木童子)がふさぐ。振り向いた結子の眼差しの先に立ちはだかる角田の双眸が禍々しい妖気を放つとともに赤く光る。


「茨木童子」


身の丈は2メートルを超える。頭には黒色の2本の角があり、ボサボサの髪の毛や髭が特徴的な鬼である。顔色は汚れた血のような色をしており、黒い血管が浮き出たような面構え。口元には牙があるだけではなく、あごのところにも短い二本の角が生えている。汚れた灰色と白の入り乱れた衣服を纏い、足元は黒色の体毛に覆われている大鬼である。


結子(女神)には角田剛毅に入り憑いている茨木童子の姿がはっきりと見えている。


「茨木童子・・・」


そう呟く結子に対して猛烈な妖気を浴びせながら角田が歩みを進める。


鬼塚と角田の板挟みに合う結子は、二体の化物を避けるように後退りして退路を確保しようとする。


「朋友!」


心の中で朋友の名を叫ぶ結子だが朋友の姿は此所にはない・・・



公園で結子を待っていた朋友は、自分の名を呼ぶ結子の声が聴こえた・・・いや、現実に耳に響いて来る筈がない結子の心の声が朋友には伝わって来た・・・そんな気がした。


一点の迷いもなく駆け出す朋友は、広い町並みの中から結子の気をキャッチしようと懸命に探し回る。歩道橋の上で立ち止まり、心身の動きを鎮めて空間に意識を向ける朋友。


必死に結子を探している、そんな朋友の姿を偶然にも近くを通りがかった町井が発見した。


「あっ、あれ、朋友くんだ!」


「朋友! こっち、こっち、朋友!」


朋友を見かけた松島と町井が朋友に声を掛ける。ふたりに気付いた朋友は、松島と町井に結子を見なかったか必死の形相で尋ねた。


「いいや、見てないけど・・・」


松島の答えを聞いた朋友は、結子を見かけたら直ぐに携帯に連絡して欲しいと伝え、その場を走り去った。朋友の後ろ姿を目で追う町井・・・そんな切ない眼差しで朋友を見送る町井の表情を松島は優しく見つめていた。



酒呑童子、茨木童子、二体の大鬼と対峙しながら結子はゆっくりと後退りして神社境内に入った。鳥居を潜り逃げる結子を追う二体の強大な魔獣・・・段差のある石階段を上りきった拝殿の前まで結子が後退した時、鬼の子分たちが欲望の赴くままに獲物の肉を貪るような鋭い目付きで結子の周囲に姿を見せた。


鬼たちに取り囲まれる結子に逃げ場はない。そんな結子へ追い討ちをかけるように鬼塚が語り掛ける。


「お前、離ればなれになった父親がいたよな、覚えているか?」


全身から穢れた妖気を放つ鬼塚と鬼塚一家の組員、鬼塚の舎弟たちが倉庫内に隔離して拉致した人物を脅しながら殴り続けていた・・・その人物・・・


「痛めつけてやったが、お前のこと白状しねぇからよ!」


鬼塚の言葉を黙ったまま聞いている結子。


「ほらよ」


鬼塚が結子の前に放り投げたものが結子の足下に散乱する。それは幼い頃の結子と両親が仲睦まじく一緒に写っている写真であった。


「隠して持ってやがったぜ」


「お父さん・・・」


結子の目から涙が溢れて来る。


「ハッハッハッハッハ!」


悲しげな表情をする結子を見て嘲笑う鬼塚は、結子とは対照的に冷酷極まりない殺意に満ちた表情を浮かべていた。


「許さない、絶対に許さないから!」


涙ながらに叫び抵抗する結子であるが後がない。


「殺れ!」


鬼塚の指示で武器を持った子分(鬼)たちが更に結子との距離を詰める。


八方塞がりの結子・・・退路を塞がれ逃げ場のない結子に鬼たちが襲いかかろうとしたとき、神社境内にひとりの勇者が姿を見せた。


数少ない街灯の明かりが地面に伸びた勇敢な男のシルエットを描く。其の男こそ駆け巡った町から結子の気を感じ取り繊細な体感という武器を駆使して護るべき大切なものを見つけ出した朝日朋友である。


朋友の眼差しは、黒雲に覆われた闇夜の中に煌々と輝く愛しい人を見つめていた。


「結子!」


「朋友!」


「貴様!」


「お前ら、殺っちまえ!」


鬼塚の命令に従い子分(鬼)たちは拝殿前の階段を駆け下り朋友へ襲いかかる。しかしながら、華麗な太刀捌きで鬼たちを斬り裂く朋友に太刀打ちできない子分たち。細かな石が敷き詰められた参道で朋友の周りを取り囲み、次から次へと連続した攻撃を浴びせる鬼たちの攻撃をかわし、朋友は逆に鬼たちを蹴散らしてゆく。


巧みなステップで拝殿前の階段を上がり拝殿を背にする鬼塚と角田に睨みを利かせる朋友は、結子に近づき助けの手を差し伸べようとするのだが、鬼塚が結子を人質にして、角田に朋友を殺させようとする。


「こいつを助けたければ、御剣を捨てろ!」


鬼塚が結子の首に手をかけ朋友を脅す。角田は鬼塚に目をやり、合図があれば猛烈な勢いで朋友に詰め寄ろうと前のめりになる。


「私のことはいいから、逃げて!」


朋友を見つめて叫ぶ結子だが・・・


結子、すまない、俺にはできない・・・と心の中で静かに呟き、結子の表情を優しい眼差しで見つめながら御神剣を地面に置く朋友・・・


「朋友・・・」


朋友の名を口にする結子の目の前で朋友の体を取り押さえる子分(鬼)たち。


「殺してやる!」


狂ったように高笑いする角田剛毅が朋友に襲いかかろうとしたとき・・・


「待て! 俺が殺る!」


鬼塚は朋友の前まで歩み寄り、朋友の腹に強烈な蹴りを食らわせる。堪らずその場に両膝を付く朋友の顔面を殴り、結子の目前で苦痛に耐える朋友を更に甚振いたぶった。


数度に渡って強烈な打撃を浴びせられても朋友はまだ諦めていない。朋友の双眸はしっかりと鬼塚を睨みつけている。そんな中、結子は鬼塚が隣にいないので一切の気配を放つことなく鬼たちの透きを窺っている。傷つきながらも鬼塚と角田の気を一身に引き続ける朋友は、結子がこの場から逃げられるようにするために自分の命をいとわない覚悟である。


「終わりだ!」


鬼塚が朋友を殺そうとした瞬間、結子が子分たちを振り払い朋友をかばった・・・朋友の身代わりになった結子に鬼塚の魔の手が深傷を負わせたとき、輝きを放っていた結子の勾玉が破壊した。


「結子!」


結子の名を叫んだ朋友は勾玉を手に鬼たちを殴り倒し、御神剣を奪い返して子分たちを滅多斬りにする・・・朋友の形相は悲しみを怒りに変えた鬼神のようであり、鬼気迫る朋友の怒濤の攻撃は、角田にも傷を負わせ退路を確保した。


結子を救うためには一刻の猶予もない。朋友は鬼塚の背後に仁王立ちする酒呑童子に睨みをきかせながら結子を抱き支え、その場から逃げ去った。

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