第4章 (3)迫る魔の手

撮影現場で倒れた結子を乗せた車が病院に到着した時には、巨大地震と台風の影響により病院内は大混乱していた。


「こちらに運んで!」


「わかりました!」


「あちらの患者さんの状態を見て、早く!」


「はい!」


多数の怪我人で混雑している病院内は、医師や看護婦たちの声が飛び交い到着したばかりの結子の容態どころではない。仕方なくロビーで診察の順番を待つしかない状況の中で意識が朦朧としている結子は、微睡みながら病院内に響く凄惨な人々の悲鳴や足音を聞いていた。



SNSで大神結子倒れるのニュースが流れる。

映画「愛しい人は、女神さま」は、最後のシーンを残して撮影は中止。


結子のことが心配で落ち着かない様子であった朋友は、自宅の居間で「映画主演の大神結子が活動休止」のSNSニュースを目にした。


「結子・・・」


結子の名を静かに呟き、受け入れ難い事実に愕然とする朋友は、やり場のない悲憤ひふんとも言うべき激情が溢れ出て来ると同時に、無力な自分に絶望するあまり脱力感が全身を襲って来た。


「大切な人をうしなうこと、大事な人を遺して逝くこと、どちらも辛く心苦しいことだ」


先立った妻を慕い遺影に手を合わせながら、愛しい人に対して語りかけるように言葉を発する高彦の姿が朋友の傍らにあった。


突然の出来事に朋友はどうしたらよいのか、何をすればいいのかわからない。結子の携帯電話にコールするのだが未だに応答はない。結子のことが心配な朋友は居ても立っても居られない・・・


「どこ行くの? 朋友!」


夏子の呼びかけに振り返ることなく朋友は募る想いを解放する。激情に駆られた朋友は素早い足取りで玄関へ向かい履き馴れた運動靴に足を通して駆け出してゆく。


慌ただしい街中をひとり激走する朋友は、笑顔で自分を見つめる結子の表情を思い浮かべながら心の中で結子の名前を何度も叫ぶ。


全速力で走る朋友は気がつくと結子の自宅前に着いていた。結子の事が心配で来てみたものの結子の自宅に明かりは灯っていない。


夕暮れ時の街中をひとり勢いよく駆け抜ける朋友は、時折吹く強い風に逆らいながらも歩みを進め、正面玄関から病院内に入る。


「あの、こちらの患者で大神結子さんはいますか?」


朋友は呼吸を整え、焦る気持ちを抑えながら受付の女性に尋ねた。


「ご家族の方ですか?」


「いいえ・・・」


「すみません、個人情報になりますので、お身内の方以外にお教えすることはできません」


わかっていたことではあるが当然のように回答を拒否された。


「わかりました・・・すみません」


病院まで来てはみたものの結子の居場所を突き止めることさえ出来なかった朋友は、結子と以前に立ち寄った事のある病院から程近い公園に移動する。物思いに耽りながら、結子とふたりで座った同じベンチに朋友はひとり静かに腰掛ける。


朋友の心の色を反映したかのように夕陽に照らされた地面に冷たく悲しげな影が伸び、心の整理が着く間もなく辺りは暗がりへと姿を変えてゆく。結子への募る想いに胸を熱くする朋友は、無力感、失望感が更に全身を襲い、項垂れそうになるのを必死に堪えていた。そんな朋友の脳裏に結子との想い出が甦る・・・


「あっ、私、大神結子です」


「俺は、朋友、朝日朋友」


学校の階段ではじめて結子と交わした言葉・・・


「ねぇ、ところで朋友くん、誰か好きな子はいるの?」


病院前で突然投げかけられた結子からの質問・・・


「はい、チーズ!」


「ありがとうございます!」


フラワーパークで撮ったふたりの写真・・・


心を弾ませた結子との想い出が朋友の胸を感傷的にする中、台風の接近に伴う大粒の雨が振りはじめた暗がりの町。此の夜、結子と連絡を取ることが出来ぬまま台風の通過とともに時間ときだけが過ぎていった。



翌日の午前中


巨大地震と深夜に列島を駆け抜けた台風は、各地に大きな爪痕を残していた。強風により吹き飛んだ屋根。倒壊した建物。川の氾濫や決壊により浸水した数多くの家屋。崖崩れによる道路への土砂の流出。地震後の雨による更なる土砂災害や余震などの二次災害に備え、厳重に警戒しながらの復旧作業が進む。


幸いなことに大きな被害を受けなかった朋友たちの学校では、いつものように授業が行われていた。


「朝日君、朝日君!」


「あっ、はい、あの・・・すみません」


授業中も結子のことを想い心配のあまり、ぼーっとしいる朋友は教師から注意を受ける。窓の外を虚ろな目で眺めながら、朋友はずっと結子の身を案じており授業どころではない。


夕刻になり学校を背にした朋友は何処かに立ち寄ることもなく帰宅する。夏子が調理した夕食を前に、頼光、高彦、夏子と食卓を囲む朋友であるが・・・

   

「ごちそうさま」


「ご、ごちそうさまって、全然食べてないじゃない!」


夏子の横に座っている健彦は驚きのあまり口を付けていた椀から味噌汁を零しそうになり、頼光に至っては手に持っていた胡椒こしょうを食卓にある鳥の唐揚げが盛り付けられた皿の上へ大量に打ちまける始末である。


食事が喉を通らない朋友は席を立ち、夏子に声をかけられてもそのまま静かに自室へ向かう。頼光と高彦は不可解な朋友の行動が理解できいずに互いの顔を見合わせながら首を傾げるのであった。


結子への想いがどうしようもない程に募るばかりの朋友は、自室のベッドで横になり深い溜め息をつく。


それからどれくらい時間が過ぎただろうか・・・机の上に置いていた携帯電話のバイブレーションがジリジリと静かに音を立てた。


携帯画面には「結子ちゃん」の文字。朋友は慌てながらも逸る気持ちを抑え、通話ボタンに触れた。


「もしもし、結子!」


「朋友、心配かけてごめんね」


結子は自宅の自室から朋友に電話をかけていた。


「体調は?」


「うん」


「無理しちゃダメだよ」


「今は病院から家に戻ったから」


「会いたい・・・」


「・・・うん」


結子の体を心配している朋友であったものの無意識にふと口に出ていた「会いたい」という言葉・・・朋友にとっては人生で初めての体験である。大人であれば気遣いや駆け引きなど良くも悪くも言葉を選ぶのであろうが・・・濁りの無い素直な朋友の心と、それを理解して朋友の想いに答える結子の心・・・ふたりの会話には短いフレーズの言葉の中にも多くの意味と互いを想い合う深く温かな気持ちが秘められていた。


電話を切った朋友は、心に羽が生えたように気持ちがはなやぎ、嬉しさのあまり枕元に置いてある御剣と勾玉を手に部屋を飛び出し、屋外へ駆け出してゆく。息切れすることなく軽快に駆ける朋友の姿は、弾む心をストレートに表現していた。一度も休むことなく走って結子との待ち合わせ場所である公園まで来た朋友は、息を整えて結子の到着を待った。


「まだ、ボーッとする・・・」


体調が完治していないにも関わらず、結子は入浴中の鏡子へのメモ書きをキッチンのテーブルに置いて外出する。結子もまた朋友との再会を楽しみにしながら自宅を出て待ち合わせ場所に向かう。逸る気持ちを押さえ、ゆっくりとした足取りで歩みを進める結子の心に幼い男の子の悲鳴が飛び込んで来た。


「助けて!」


救済を求める少年の心の声・・・結子は何かに導かれるように声の主の方向へ歩みを進める・・・


物静かな公園でひとり結子が来るのを待ち続けている朋友。その頭上で静観する月は完全に叢雲に覆われていた。

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