第4章 (1)月に叢雲 花に風

神社境内にある自宅の居間で夕食を終えた頼光と高彦がテレビニュースを見ている。


「お父さん、西日本に巨大な台風が近づいているみたいですね」


「異常気象じゃ、年々おかしなことになって来ておる・・・」


境内で剣術の稽古をしている朋友は、結子から教わったことを繰り返し実践しながら、結子の言葉を反芻はんすうしていた。


「いい、朋友、御神剣を使いこなせるように訓練してね!」


あと、何て言ってたっけぇ・・・


「知識は理解とは違うの!人は体験することから理解できるようになるんだから!」


一次情報と二次情報の違い・・・体感で直接的に得ている情報は鮮度や価値が圧倒的に高い・・・


「成る程、そういうことか!」


「どういうことなの?」


近づいて来た夏子が朋友に声をかけた。


「いや、どうってことないんだけど・・・」


「何か、嬉しいそうね。もしかして、いいことでもあった?」


「いや、別に」


照れながら夏子からの問いに答える朋友の表情は暗がりの境内でも赤面していることがうかがえるほどである。


「もう、直ぐに顔に出るんだから・・・しかし、訓練に精が出るわね!頼光爺さんから聞いたわよ、毎晩遅くまで訓練しているって」


朋友は御神剣を手にした日から一日も欠かさず剣術や心と体を鎮める訓練を続けていた。細かな説明は上手くできないけれど、兎に角、強くならないといけないということを朋友は夏子に伝えた。


普通ならあれやこれやと質問したりもするのだが、そこは夏子である。人情味があり大らかな性格の夏子は、朋友にその理由を事細かく聞き返すこともなく「今夜は特別に私が教えてあげる!」と訓練の手助けを買って出た。


「ほら、剣はそこに置いて、今夜は相撲よ!」


「マジかよ?」


「さぁ、打つかり稽古よ!親方が特別に胸を貸してあげるから」


四股しこを踏んでどっしりと身構える夏子の姿は、まさに横綱級。そして、朋友の心中を察して思いる気持ちは親方級である。


今夜は何時になく暑苦しいなぁ・・・そう呟く朋友は、夏子の深い懐と温かい気持ちを感じながら打つかり稽古を始めた。       


「ほら、残った、残った、もっと押して!」

   

結子からの課題を通じて生きることの日常すべてが進化への学習であり、訓練であることを理解するようになってゆく朋友であった。



その頃、お風呂上がりの結子は自室のドレッサーチェアーに腰掛け鏡を見ながらドライヤーで髪を乾かしていた。頭が痛いし、体が重い・・・何だか、ボーッとする・・・一日の活動を終えた結子は、肉体が受けた穢れによって相当なダメージを受けている。その最大の理由は、自らの清らかな気を汚れた空間に分け与えることはあっても、空間からの恩恵を享受きょうじゅすることが少ないからである。取り分け人間社会のそれは奪われるものばかりであるが故に、結子にとってみればたまったものではない。そんな結子に女神からの声が聞こえて来た。


「危険な状態です」


「えっ!」


結子は手に持っていたドライヤーのスイッチをオフに切り替え、女神に聞き返した。


「危険な状態って?」


「人の欲を餌に魔物たちが力を増しています」


女神の声が聴こえ、想いが伝わって来る。


「それで、どうなるの?」


「狂った世の中である事が更に表面化します」


「それって、よくない事が起こるってこと?」


「はい、人にとってよくない事が起こります」


玲瓏な声で真実を淡々と伝える女神である。


「人にとって・・・えっ、私、涙が・・・涙が止まらない・・・」


女神の想いを受けて、泣けて来る結子。


「どうしよう・・・どうすれば・・・」


人が地球を汚して、清らかな神様や自然が苦しんで、その人の心も体も更に汚れて不安定になって、穢れた存在に利用されて苦しんで・・・


人が自然の循環と再生を重んじることなく地球の資源を横暴に搾取し、破壊を繰り広げていることが原因で人にとっての災害が巨大化するのである。それは何も難しいことではない。当たり前のことであり、実に簡単なことだ。地球という惑星にとってみれば自身に纏わり付く汚れを振り払おうと必死に抵抗しているだけのことである。つまりは、地球にとっての汚れの根本である人にとっての大災が増え、規模もまた大きくなるのである。


人も体が汚れればお風呂に入り、シャワーを浴びて汚れを洗い流す。地球も人に汚されれば、汚れを排除しようとするだけの事である。清らかな神々や母なる地球を蔑ろにする、そんな人類であったとしても愛情を傾ける神々。自らの清らかなエネルギーを奪われるばかりであっても何とかして人に救いの手を差し伸べようと必死に踏ん張るひとりの高校生。結子は遣り切れない気持ちに苛まれ苦悩する。


「もう、どうすればいいのよ!」


無情にも静まった室内に結子の声だけが響き渡る。


自分の無力さと絶望感に打ちひしがれる結子は、静寂な寝室から更に広大な空間に意識を広げると、犇犇ひしひしと迫って来る穢れた妖気の速度が時を刻む目覚まし時計の秒針の音と交差しながら加速しているのを感じた。


「神様、私の体を好きなように使ってもいいから、この世を救ってください。地球と人間を清らかにしてください。お願いします。」


自分の利益ばかりしか考えない脆弱な人間。いくら地球を汚しても他人が何とか解決してくれると自らを変えようと行動しない他力本願な人々。


すべてを捧げても、それでも足りなければ自らの命までも分け与えようとする結子の愛情は、詰まる所、女神の愛情でもある。そこまでの無償の愛を傾注けいちゅうしても人類はまだ生き方を変えようとしないのか、それともそこまでの恩恵を享受していることも鈍いが故に、最早もはや、感じることも出来ないレベルまで劣化してしまったのか。命をかけた結子の叫びが時に刻まれた・・・



夜空に浮かぶ月に叢雲がかかる。夜になれば人の姿も疎らな田舎町であるにも関わらず、今宵はパトカーのサイレンが鳴り響く。


「大丈夫ですか?」


道路脇で倒れている男性の傍らには、心配そうな眼差しで男性に声を掛けている朋友がいた。


「あっ・・・ありがとう」


朦朧もうろうとしながら、男性はそう言ったかと思うと意識を失い両目を閉じた。


「おじさん、しっかり、しっかりして! 誰か、救急車、救急車を呼んでください!」


朋友の声に気づいた数名の通行人が男性の上半身を抱える朋友の側に近寄って来て救急車を呼んでくれた。暫くすると、救急車が現場に到着して救急隊員たちが手際よく男性を救急車内にストレッチャーで搬送する。


救急車のサイレン音が鳴り響く市内・・・


僅か数分の移動で病院前に到着すると救急車のサイレンが止まり、男性は病院内に救急搬送された。第一発見者として付き添ってきた朋友は、世の中の異常が身近に迫って来ていることを感じながら焦りと苛立ちを隠す事ができなかった。



結子はこれから起こり得る出来事を察知して朋友の身を案じていた。「今の朋友じゃ、まだ酒呑童子に勝てない。朋友やみんなを危険な目に合わせる訳にはいかない。私ひとりで何とかしないと・・・」


携帯電話に登録してある朋友の番号にコールする結子の胸に不安が過る。そんな結子の気持ちをよそに呼び出し音だけが虚しく鳴り続ける。朋友の身を案じて憂虞ゆうぐする結子は、通話を切って素早くメール文を打ち送信するのだが待てど暮らせど朋友からの返事はない。



其の頃・・・


男性を病院に搬送した後、警察官からいくつか質問をされ、それに答えた朋友は帰宅していた。自宅である神社の拝殿内には衣服を着替え、体を清めてひとり祝詞奏上の練習をしている朋友の姿があった。朋友は祝詞を奏上して更に心を鎮めると境内の空間に意識を向け、その場で静かに立ち上がり双眸を開く。


暗闇の中、神社境内に立ち入ろうと魑魅魍魎が忍び寄る・・・朋友を襲撃して神社を乗っ取ろうと鬼の子分たちが攻めて来たのである。


「みなさん、こんばんは!」


御神剣を手にして待ち構え、神社の入口で仁王立ちしている朋友。


「きっ、貴様・・・」


驚き、狼狽うろたえる鬼たち・・・


「待っていたぜ!」


朋友は体感から穢れた鬼たちが神社に忍び寄って来ることを察知していた。


「殺っちまえ!」


敵の襲来を先読みしていた朋友は、御神剣と勾玉を武器に鬼塚(酒呑童子)の子分たちを叩きのめし追い払う。鬼の子分たちは堪らず散り散りに逃げ去った。


朋友の手により斬られたものは、その場で鬼が人体から抜け出たことにより暫くすると意識を取り戻して正常な状態になった。そんな彼らの介抱をしている朋友の携帯バイブレーションが静かに鳴り響く。


「あっ、もしもし」


「あっ、もしもし、じゃないわよ!直ぐに電話でなさいよ!」


「何だよ、今ちょっと立て込んで・・・」


「気をつけてよ! 奴らが朋友のことも狙って来るから」


結子は朋友の身を案じて、鬼たちが襲撃して来ることを事前に朋友へ知らせようとしていたのである。


「あっ、それなら先刻さっき来たよ」


「えっ、大丈夫? 怪我は無い?」


「大丈夫だよ、どこも怪我は無いよ」


結子は自室でホッと溜め息をつき胸を撫で下ろすと同時に、その場にしゃがみ込んだ。安堵のあまり溢れ出てきそうな涙を堪えながら、結子は朋友に対して此れからは自分が鬼たちの相手をするから朋友は手を出しては駄目だということに加え、家族の側にいるように伝えた。


そんな結子の言い分に納得できない朋友は反駁はんばくしようとするにも一方的に電話が切れる。


「ちょっ・・・まったく、何なんだよ・・・」


不通になった携帯画面を見つめる朋友は、結子の言わんとしている深い意味が十分に理解できていない事と、結子のことを想う気持ちが占める心の割合が急激に増していることに気づいていなかった・・・ただ、何となく自分に対して苛立っていた。

     


翌日の朝


結子は早朝からの映画撮影のために撮影現場にいた。順調に撮影のスケジュールが進んでいた現場では有ろう事か体調不良なスタッフが急増していた。結子が何時頃いつごろからダウンする人が増えたのかスタッフのひとりに聞いたところ、鬼塚のシーンをすべて撮り終わったあたりからであった。それまでは鬼塚からの差し入れをみんなで食べて、いい感じだったのに次から次へとダウンするものが出て来たというのだ。


鬼塚からの差し入れには禍々しい妖気という穢れたソースがたっぷりとかかっていたことを誰ひとりとして繊細に感じ、理解していなかったのである。


そんなものを食すと具合が悪くなるに決まっている。スタッフたちの体調不良の原因を理解して状況を把握したものの人が鈍いあまり気を体感できていないが故に、こんな事態になってしまうのだと嘆き哀しむ結子・・・他人の身を案じながら、自分の事は二の次にして来た結子の肉体にも遂に限界の時が訪れる・・・


「あっ、目眩が・・・」


「結子ちゃん、大丈夫!」


「結子ちゃん、しっかり!」


薄れゆく意識の中、微かな声だけが聞こえている結子は、その場に倒れた。人類の質の低下、汚れた空間、積み重なる異常によって清らかな力を奪われ疲弊する女神・・・

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