第2章 (1)清らかさ
私、やっぱ普通じゃない、あんな化け物まで見るなんて・・・
結子の言う「普通」とは「一般的」という意味であり、人間社会で一般的に化け物を見る人はいない訳で、化け物が見える自分は一般的ではない、多くの人と違うから「普通じゃない」という意味である。
清らかな女神や肉眼では見ることのできない穢れた存在を繊細な感覚を持ち備えているからこそ捉えることができ、その世界を垣間みることができる自身の感覚を重視する思いと、自分の身に起こっている現象を世間の常識の範囲内で論理的に説明できるようにしなければいけないという思いの狭間で結子の心は揺れ動く。
異常なのはどちらなのか? 自分なのか、それとも人間社会なのか?
それは当然のことながら清らかさという絶対的な基準を与えてくれるものと、汚れたものが散乱する現代社会の状況とを比較して、其れ等から得られる情報を正しく精査すれば、どちらを取るのか、どちらが正常でどちらが異常なのかは火を見るより明らかである。
この空間において、優しさ、温かさ、謙虚さ、慎ましやかさ、澄み切った静寂、豊かな自然、清らかさを心身に与えてくれるもの。
怒り、冷酷さ、憎しみ、強欲さ、荒々しさ、耳を劈く爆音、悪臭漂う人だかりと人工物、汚れと穢れが心と体に齎すものを比較すれば、どちらが正しく歩むべき進化なのか、どちらが空間にあるものすべてに対して迷惑をかけずによい影響を与えられるものなのか、答えは明白なのである。
しかしながら、人という生き物の体感力と理解力が足りないが故に、正しい選択をするものを変わった人だと揶揄することや、過剰反応だとか、酷い場合は弱者であるような扱いをする現実がある。そんな狂いを痛いほど知りながらも現代社会の一般的な価値観に反することなく対応することが、別の意味で自らの身を守る術であることも熟知している結子は、周囲の人からの理解を得るために意を決し、病院へ歩みを進めるのであった。
なぜなら、
結子が向かった先は県内でも有数の総合病院であり、医療施設も充実していて広い敷地には多数の専門科を有していた。まずは内科の医師による診察を受けた結子は、医師から同病院内の心療内科を紹介され、そちらにも赴いた。
徹底的に自身の心と体を調べ上げることを自らに課した結子は、病院内を移動する。結子がエレベーターにひとり乗り込むと、突然、エレベーター内に未成仏な幽霊が入ってきた。結子には未成仏な女性の幽霊がはっきりと見えているものの、肉体に負荷をかけて来る未成仏な存在から自身を守るために結子は幽霊を無視し続けた。エレベーター内には結子と未成仏な幽霊が並んで立っており、目的の階までエレベーターは静かに上昇してゆく。
「助けて・・・」
結子の方に首を傾け、覗き込むように結子へ目線を送りながら助けを求めて
「もう、勘弁して」
エレベーターが目的の階で止まると、結子は正面を向いたまま振り返ることなく速やかにエレベーターを出た。病院内の廊下を歩く結子の後ろには、何処からともなく次々と姿を見せた未成仏な霊たちが追いかけ近づいて来た。
その気配を察知して足早に歩みを進める結子ではあるが、大量の未成仏霊が縋る想いを結子に向け、何とか救ってもらおうと必死に付いてくるのであるから
「神様、教えて! どうすればいいですか?」
「私に意識を集中してください」
女神の指示に従い、結子は心を鎮めて女神に意識を集中した。すると結子の双眸が蒼く煌めき、その瞬間、清らかな気が結子の全身から強烈に放出されたかと思うと未成仏な霊たちは次々と結子の前から姿を消した。
「消えた・・・」
「凄い! こうして清らかモードにシフトするれば、幽霊との距離が出来るんだ・・・」
女神の力の「ON / OFF」をコントロールする術を学習した結子は、更に歩みを進め、心療内科で受付を済ませてからロビーで診察の順番待ちをした。
暫くすると名前を呼ばれ、結子は個室で専門医による診察を受けた。数分後、医師に頭を下げて御礼を伝えた結子は廊下に出て「ふっ」と溜め息をつき、今度は精神科へ向かうのである。
精神科の待合室に着いた結子は、虚ろな眼差しで佇んでいる女性に入り込み憑いている幽霊を見つけた。結子はその患者に近づき、そっと肩に手を当てた。
「大丈夫だから、安心して」
結子の双眸が蒼く煌めき、肩に当てた掌から清らかな気を患者に送ると体内に入り憑いていた未成仏な幽霊が静かに消えてゆく。
結子に清らかな気を当てられた女性の表情は一変し、生気が甦った。
「私、どうしたんだろう? ありがとう、ありがとう!」
結子の手を握り締めながら歓喜する女性を笑顔で見つめる結子は、人を救うことが出来た嬉しさと同時に余りにもの未成仏霊の多さに行く末を心配しつつ、
「大神さん?」
名前を呼ばれ診察室に入り、こちらでも専門医による診察を受ける結子。見目麗しく淑やかな身のこなし、飾らず、取り繕わず、正直な物腰と清らかな気を身に纏い、淡々と医師からの質問に受け答えする結子の姿は、病に伏したものとは違うことは言うまでもなく、逆に医師たちの心と体の疲れを癒すのであった。
その後は、めまい外来にも訪れ専門医の指示でいくつかの検査を受けた。
「診断結果の数値は、どれも正常の範囲、異常なしか・・・」
病院を出た結子は、分かりきっていた結果を目の当たりにして、救いようの無い孤独感を味わいながら空を見上げ溜め息をついた。
「あっ・・・」
偶然に結子を見つけて立ち止まる青年がいた・・・朋友である。結子も朋友の姿に気づき、何方からともなくふたりは互いのもとへ歩みを進めた。
朋友は祖父である頼光の代わりに病院へ薬を受け取りに来ていた。薬と言っても痔の薬である。其れ以外は健康そのものである祖父であり、朋友にとってみれば頼光は神様を信じ過ぎている変わり者の爺さんである。
結子は町井から朋友の家が神社であることを聞いたと朋友に伝えると、朋友から将来は父親の跡を継いで神主になる予定であることを聞いた。
「ねぇ、ところで朋友くん、誰か好きな子はいるの?」
「と、唐突に何だよ!」
突然の虚をついたストレートな質問に
結子の可憐な瞳でマジマジと見つめられて、朋友は更に緊張して照れるあまり結子の表情を凝視出来ずにいた。純粋な心をしている朋友の聡明さと、真っすぐな正義感を垣間みた結子(女神)は、朋友を鍛え上げる妙案を思いついた。
「俺の好きな子は・・・」
結子の表情を見返した朋友ではあるが・・・
「うっせぇ〜何でお前に言わなきゃなんねえんだよ!」
朋友は冷静さを取り戻し、結子からの質問を受け流すのだが、結子は透かさず次の質問を朋友に投げかけた。
「ねぇ、匂い、匂い嗅いでみて」
「な、何だよ!」
結子が朋友に体を近づけるので、朋友は驚き戸惑いながら顔を赤らめて、更に照れている。
「だって、神主さんになるんでしょ? だから大切なこと、教えてあげる!」
「えっ!?」
結子が更に体を近づけるので、朋友の鼓動は激しさを増し、ドキドキする朋友。
「だから、心、動かさない、心を静かにして、感じてみて」
「えっ?」
結子に心の動揺を悟られることにより、今一度、冷静さを取り戻した朋友は、落ち着いて結子の言葉に耳を傾けた。
「心を鎮めて、集中力を高めて、そう、全身で感じるの」
朋友は言われるがままに心身の動きを鎮めて空間からの情報に集中すると、結子の人体から他の人たちと同じように生暖かい「モヤッ」とした感じや、ちょっとした悪臭すらしないことを体感した。
目に見えないものを繊細に感じ取ることが出来ている朋友の姿を見て、結子は澄んだ双眸を輝かせながら微笑した。
そんな結子の人体を感じると無味無臭なだけではなく、清々しく、凄く心地よい気が周囲に放出されていることを朋友は静かに感じていた。
それは決して香水やボディークリームの香り何かじゃない。そんなものが一切なくても、それ以上に爽やかで澄んだ風が全身を貫いたような甘やかで清らかな気なのである。朋友は結子から教わったはじめての体験に驚き、それと同時に結子の凄さと素晴らしさに感心するのであった。
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