第2話 小人の頼み事《ピグミー》
それは1年ほど前ことだ。
桜が散り始める春の中頃、当時、私がまだ大学院に通い、民族学を学んでいたころの話。
「え? 人形屋敷、ですか……?」
「あぁ、お前好みの物件だろう?」
ニヤリと嫌な笑み浮かべてそいつはクククと声を漏らす。
訝しげな視線を投げ返した、卒業論文を作成している私の机に、いくつかのファイルが投げ渡された。
フィールドワークと称され、同じ研究室仲間の先輩から渡されたそれは、随分古びていて、紙も経年劣化で黄ばんでいる。
投げ渡してきたそいつは、当然の権利とでもいうように私の隣の席に、ドスっと音を立てて飛び乗った。
低身長で髪はボサボサ、窪んだ隈で覆われた目を隠すようにかけられた眼鏡、シワシワで薄汚れた白衣をまとった、如何にもな人物。
私は彼のことを密かに、『ピグミー(小さい人の意)』と呼んでいる。
彼から渡された資料には、イギリスのロンドンから、日本に移り住んだとされる、『スミス』と名乗る人形師の古い館の情報が記されていた。
スミス本人は近隣に住んでいた名家に館を譲り渡し、50年ほど前に行方をくらませているという。
譲り渡された家も当初は別荘として利用しようとしたらしいが、改装しようと館の内部を視察するなり、気味が悪いと言って、それ以降一切触れていないらしい。
「勝手に入ったら不法侵入なのでは?」
「気に入った奴がいれば無償で譲ってくれるっていうんで、出入りは割と自由になってるんだと。
まぁ、見に行った奴のほとんどが気味悪がって近寄らないし、中のことも全然話してくれないんだけどな。」
「はぁ……。」
なぜそんな場所に私を行かせようとするのか……。
「先輩への見返りは?」
大方、その名家とやらに何かしら頼まれたに違いない。
気味が悪いから処分してくれ、とか、興味のありそうなやつを探してくれ、とか。
詳しく調べて調査結果をよこせ、とか。
「研究費の支援。」
そんなことだろうとは思いましたけどね。
「私に何をしろと?」
「内部調査。」
「調べてどうするんです。」
「お前に何もなければ資料として譲ってもらおうかと。」
一石二鳥ってわけか……。
「先輩が行けばいいじゃないですか。」
「オカルトとか苦手だし。」
「ただの洋館ですよね?」
「出るっていうんだよ。」
「何が。」
「幽霊。」
……殴ってやろうか。
「なんで私なんですか。」
「お前、人形とか、アンティークとか、好きだろ?」
確かにアンティークも人形も好きだけれど、好き好んでそんな噂の立っている場所に行く趣味はない。
「お断りします。」
当然だ、そんなものを受ける理由がない。
「学費。」
冷たい目で告げられる冷酷な一言。
「……。」
それを言われるとぐぅの音も出ない。
もともと私は孤児院出身で、中高と一緒の学校であった先輩にどういうわけか気に入られ、学費を肩代わりしてもらっているという恩があるのだ。
ピグミーの癖に……。
当然行くよな?という視線を受け、ため息をつきながら大げさに首を振って見せ
「わかりましたよ、行けばいいんでしょう? 行けば。 今度食事でもおごってもらいますからね。」
と渋々ながらも了承する。
仕方なく行ってやるんだ、というそぶりを見せておかないと、体の言いパシリにまで使われかねない。
特に進んでいなかった作成中の論文の入ったノートパソコンを閉じて、外出するための準備をする。
必要なものは、なんだろうか。
軍手に、とりあえず筆記用具とメモするものは必要だろう。懐中電灯も場合によっては入用になるかもしれない。念のための安全靴に……。
そう考えていると、ピグミーから横槍が入る。
「あぁ、そうそう。 一つだけ言っておくけど。」
「?」
「娘の部屋には入るなよ。」
なんだそれは、資料には娘の事なんて乗っていなかったぞ?
「娘の部屋?」
「スミスには娘がいたらしいんだけどな。 その娘のために作った部屋があるらしいんだよ。 まぁ、そんな奴がいた形跡はなかったんだけどな。 そこに入ったやつら、口々に化け物を見たって聞いてよ。 お前が使い物にならなくなっても困るからな。」
「そうですか……。」
何のための調査なんだよ……というツッコミはしておくべきだろうか。
いや、黙っておこう。一応彼なりの優しさなのかもしれない。
まぁ、私はそんなもの聞くつもりはないのだが、どうせ行くなら徹底的に調べてやるとも。
どうせそんなものは下らない噂に過ぎないのだから、せいぜい踊らされてやんの、とからかってやる。
「じゃ。せいぜい期待しないで待っていてください。」
必要最低限の荷物を持って、私は研究室を出た。
アンティークと人形の詰まった屋敷。 涎が出そうなほど魅力的な響じゃないか。
幽霊屋敷、というフレーズがなければ最高だったのに。
気に入ったものがあればいくつか貰って行ってしまおうか。などと考えていた私が、今となっては憎らしい。
どうしてあの時断ってしまわなかったのか。
あぁ、神よ……いや、神様なんて信じてもいないのだけれど。
古典探偵と自律人形の夜想曲 綾辻 言葉 @Ayane_0816
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