049 勧誘
アードリアンの言葉に、家の中は
「わしもこう見えて商人の端くれじゃからの」
ぼくたちの反応を楽しむみたいに、アードリアンはにんまりと笑ってみせる。
「そこ此処の商店との繋がりが、それなりにはあるのじゃよ。当然、人手を探すことも多い」
「……人を斡旋してるのか?」
「いいや。
父さんの言葉を訂正する。
「いやなに、
アードリアンが、なんてことはない、っていう感じでひらひらと手を振った。
「まあ、商人の子息でもない相手に商店の見習いの口を紹介するのは、確かに珍しい。ただな、ミルコは算術ができるじゃろう?」
そう言って母さんを見上げていたずらっぽく笑う。
「算術と言っても……買いものの金額がわかる程度で、たいしたことでは」
「それだけできるということでも十分に得難い人材じゃ」
「く、詳しく話してくれ、どんな店なんだ?」
「ほっほっ、落ち着きなされ。きちんと話しましょうぞ」
それからアードリアンはかいつまんで、どんな仕事なのかを話してくれた。店は新市街にあって、母さんも聞いたことがあるみたいだ。お金持ちや貴族も買いに来るような店だけど、貴族本人が店まで来るわけじゃないから粗相をして
「だ、だとしても。だとしてもだ。……うちの子を、ミルコを商店に見習いに出してもいいんだろうか? どうなんだ?」
商人は平民の中でもお金持ちになりやすい仕事だ。だから人気があるし、ふつうは親が商人をしてないと見習いにすらなれない。石工の見習いだって、父さんが石工じゃないからって断られたばっかりだった。いくら父さんが近所で尊敬されてるからって、新市街の商店に三男を出せるなんて考えられなかった。
「大丈夫じゃ。きちんと聞き込んで確認しておる」
「……ミルコでいいんだな?」
「ミルコ
父さんの顔が、泣いてるような笑ってるような不思議な顔になった。
「ありがとう……ありがとう! アードリアン!」
「ほっほっ、どうということはない」
父さんは立ち上がってお礼を言った。母さんはぼくの見習いの話にほっとしたのか、目尻に涙が溜まってた。
「商店だって。すごいわね」
そう言って嬉しそうにぼくの顔を撫で回す。
「ちょっと心配だけど」
でもちょっぴり複雑な表情でそう言った。住み込みだと家族とは一緒に暮らせないし、ひどくこき使われるかもしれない。母さんの様子を見て、アードリアンが問題ないと言い聞かせる。
「安息日には休めるし、そのうちすぐ出歩けるようになる。ここからだと森に行くよりも近いしの」
「ん〜、それもそうね」
母さんが意外にあっさり笑顔になった。
「ならば、これで決まりでよいかな?」
「あ、いや……ちょっと待ってくれ。どんな店か、この目で見てみたい」
「もちろん、かまわんよ。きちんと確認するのがよい」
結局、父さんが次の安息日にその商人に会いに行くことになった。もし父さんが決めたのなら、それでほぼ決まりだ。
「なに、何度も言うがわしの道楽みたいなもんじゃで、断るなら断ってくれてもよいのじゃ。気楽に構えてきちんと見極めてから返事をしてくれればよい」
そう言うとアードリアンは、
「必要があったら呼んでくだされ。しばらくはエムスラントにおるでの、市場あたりで声をかけてくださればすぐに顔を出しましょうぞ」
そうして最後にぼくの肩を叩いて「よい生であらんことを」と言って帰ってった。
「で、結局そこに見習いに出ることになったのね?」
森から街区まで戻ってきた井戸端で、見習いから早めに戻ってきたエルマとばったり会った。エルマが見習いに出はじめてからは、こうして井戸端でたまたま会ったときにしばらく話をして過ごしてる。話は自然とぼくの見習いの話になってた。
「うん、おとといようやく決めたみたい」
その場で決まったみたいに見えたぼくの見習いだったけど、父さんが決めるまでにそれから2週間もかかった。直接店を見に行ったり、店の主人の商人と話をしたり、まわりにその店の評判を聞いたり。アードリアンにも3回も会ったっていうし、レオンにアードリアンのことを聞いたりもしたみたいだ。石工のときはもっとあっさりしてたのに、商人の見習いは父さんにとってもそれくらい縁のないことだったんだ。
「じゃあ、住み込みなんだね」
「うん。なんか、やらなきゃいけないことがいっぱいあるんだって。それで昨日から急にばたばたしはじめちゃって」
ぼくの家族は急に準備に追われはじめてた。店からは、必要なものはぜんぶ用意するからなにもしなくて大丈夫だ、って言われてる。旧市街の上階住まいが無理してなにか用意しても、新市街の
「でもひと月より先の話でしょ?」
「それが、思ったより急になってさ」
ぼくは
「どんなお店なの?」
「ぼくもまだ見てないんだ」
店は新市街の中央広場のすぐ脇だって聞いてた。商店街に面してるっていうから、きっとすごく大きな店だ。
「ふーん、楽しみだね」
「うーん……ちょっと緊張するけどね」
商店のことはぜんぜん知らないから不安だった。買いものにはよく行くけど、ふつうの平民は市場で買いものをするから商店なんて縁がなかった。ぼくのまわりでそういうのがわかりそうなのは、アーシャくらいだ。アーシャなら商店がどんなところか、どんな人がいるのかも知ってるかもしれない。
でも小さすぎて買いものに行ったことないかも。こんど聞いてみよう。
「森の引き継ぎも急がなきゃだね」
「そうなんだよね。なんか落ち着かなくてさ」
けん引役の引き継ぎも半月もなかった。引率がいるから大丈夫のはずだけど、それでもきちんとやっておかないといけない。
「たまには戻ってくるんでしょ?」
「うん。森に行くより近いくらいだって」
「じゃあ、また井戸端で会えるね」
エルマはちょっとほっとした顔で笑った。ぼくにとっても、たまに帰って来られるのは安心だった。近所のみんなと急に離れるのはそれだけで不安だから。
「あら、ミルコ。聞いたわよ、商人になるんだって?」
「
井戸端に降りてきた母親たちは、もうぼくの見習いの話を知ってた。街区の人たちはお互いのことをよく知ってる。隠しごとなんてできなかった。
「すごいじゃない、商人の見習いなんてなかなかなれないわよ」
「新市街の店なんでしょ? どんなところか教えてよ。昨日マーレに会えてないからまだ聞いてないのよ」
そのあとぼくは井戸端に降りてきた母親たちにせがまれて、エルマに話したのと同じ話をなんどもさせられちゃった。そのあいだエルマは、小さな子どもたちと追いかけっこをして遊んでた。エルマの赤みがかった髪が揺れるのを、ぼくはなんとなく目で追いかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます