048 行商人からの知らせ

 明るく晴れた森の曜日、ぼくは久しぶりにアルマとおつかいにでた。


「あ、春の山菜があるね」

「うん、たくさん採れる時期だからね」


 市場にはいつもぼくたちが採ってくる山菜もあった。ぼくたちが採ってきた山菜は、それぞれの家で食べる分以外は市場に買い取ってもらうことがある。ふつうはそのまま新市街の市場に出される。新市街に住む平民の子どもたちは、ぼくたちみたいに森に採集に出かけたりしないから、山菜は市場で買うんだ。でもたくさん採れる時期には、こうして旧市街の市場に並ぶこともあった。


「ぼく、東街区の子でよかった」

「どうして?」

「新市街の子たちは森に行かないでしょ? そんなの退屈だよね」

「そっか。ミルコは森に行けない退屈さを嫌と言うほど知ってるからね」


 ぼくの見習いの話がなくなったことは、アルマたちにも伝わってた。でもいつもと変わらないように明るく振舞ってくれた。こうやってアルマとおつかいに行ったり、森に採集に行ったり、どちらもなければニーナと留守番だ。留守番のときはバシリーおじさんの話し相手になったりして過ごす。前の夏と変わらない毎日が続く。


 大人になっても。こんな毎日なのかな。


 見習いの話がなくなってから、ふとしたときにそんな不安を感じるようになった。でもそのたびにグラバルラに言われたことを思い出す。


 『できることを一つひとつ増やしていけ』


 できることって言ってもなあ……


 こつこつとできることを増やしてくのは得意だ。階段を一人で上り下りできるようになるまでに何年もかかった。水を汲み上げられるようになるのも何ヶ月もかかった。時間がかかってもじっくり取り組むのは好きなんだ。でも、それをいつまで続けなきゃいけないのか、わからないことがつらかった。


「よいしょっ!」


 考えごとをしてたら、アルマが重そうに荷物を持ちなおした。


「あ、それぼくが持つよ」

「本当? 助かるわ」


 アルマが重そうに抱えてた荷物だったけど、思ったより全然軽かった。


「そんなに重くないじゃん」

「すごい! ミルコ強くなったね!」


 そう言って撫でてくれるアルマの手も、前より小さくて軽く感じた。確かにぼくは強くなってる。前の夏に比べたら、できることはずっと増えてる。それを続ければいいっていうグラバルラの答えはほんとうに簡単でわかりやすくて、そしてすごくむずかしくて根気のいることだった。


 アーシャに会いたいな。


 慌てて行こうとしなくても、そのうち森の離宮に行けるときがあるはずだ。ぼくはそのときを待ち遠しく思った。




 次の週の地の曜日は晴れたから、奥の森まで採集に来てた。春はたくさんの山菜が採れる。


「わあっ! あれがみんなが言ってた大きな木なんだね?」

「そうだよ。すごいでしょ?」


 今日はじめて奥まで来た子に、6歳の子が自慢げに言った。そういえばぼくも、はじめて奥まで来たときは大きな木の幹をみんなで手を繋いで囲んでみたいって思ってたんだ。いろいろなことがあったから、結局一度もやったことなかった。


「あれやろうよ! 手つないで囲むやつ!」

「今日はまだ日が短いから、またこんどね」


 小さな子に引率のクァトロが優しく言い聞かせてるのを、ぼくはちょっとつまらない気分で見てた。せっかくこうして奥の森まで来てても、けん引役だからアーシャには会いに行けない。むしろいまのぼくの体力だと、手前のいつもの森に行くときにちょっと抜け出すほうが会いに行きやすかった。でもけん引役を任されてるし、この春から森に出はじめた小さな子たちもたくさんいるから、とても抜け出すわけにいかなかった。


「さあ、この辺りにたくさんあるはずだよ」

「大きすぎるのは採っちゃだめだよ」


 ぼくも声をかけて、一緒に山菜を採りはじめる。近ごろは手に握ってなくても、袖に入れた木霊石こだまいしを感じられるようになってきてた。石が届けてくれるアーシャの気持ちは落ち着いてる。近くにいるのに会えないもどかしい気持ちで、ぼくは森の離宮のほうを見上げた。




 奥の森から戻ってくると、森番小屋の脇にヴィーゼが出てぼくたちの帰りを待ってた。何度か一緒に森に入ったから、ヴィーゼが子どもたちに会いたがるんだ、って前にレオンが教えてくれた。ヴィーゼがいると、しばらくみんなの相手をしてくれる。


「ミルコ、こっちに座れ」


 レオンがお茶の相手にぼくを誘う。近ごろ気持ちが沈んでたぼくは、気晴らしにヴィーゼと遊んでたい気もした。だけどせっかく声をかけてくれたから、おとなしく一緒にお茶を飲むことにしてレオンの隣に座った。


「どうだ?」


 なにを聞いてるのかまるでわからない言い方だけど、ぼくはなんとなくなにを聞かれてるのかがわかった。レオンから見ればきっと、ぼくの気持ちが沈んでるのなんかすぐにわかるんだ。ぼくは手元のカップを見ながら答えを考える。


「張り合いがないよ」

「……」

「……石工になれなくなったからね」


 レオンがなんにも言わないから、自分から理由を言ってみる。でも口に出してみたら、結局それが原因だったんだ、っていう気がしてきた。ぼくの気持ちがずっと沈んだままなのは、アーシャに会えないからじゃなくって石工になれなくなったからだ。アーシャに会えないこともあるけど、でもいまはもうそんなに心配なわけじゃない。アーシャがいま危険じゃないことは、木霊石を通してとっくにわかってた。


「それが夢だったのか」

「うーん、そうじゃないかも」


 いい仕事だとは思う。ワレリーさんやドワーフたちと話して、誇らしい仕事なんだろうなって思う。でもそれが夢かって言われるとそうじゃない。ぼくはアーシャとの会話を思い出した。


「ただ、……みんなみたいに働きたかった、って思うよ」


 そうだ。みんなみたいに働いて、家族を支える側になりたかった。そうなれると思ってた。


「よかったな」

「え?」


 思いがけない言葉に、ぼくは顔を上げてレオンを見上げる。


「そう思えるようになるなんてよかった」


 レオンは少し嬉しそうな顔でぼくをじっと見てた。


「ミルコが、こんなに元気になるなんて思ってなかった」

「……そっか」


 そうだ。その通りだった。もともと見習いには9歳か10歳で行ければいいと思ってた。元に戻っただけだ。それどころか、この歳まで生きられなかったかもしれないんだ。それがこんなに元気になった。けん引役までやってる。


「ぼくは元気になった」


 つくえの上で両手を握りしめる。ここまで育ったのは家族のおかげだ。そしてこんなに体が丈夫になったのはアーシャのおかげだ。魔素を巡らせる練習のおかげだ。半年経つあいだに、はっきり感じてた。


「森に出るのもやっとだったのに」


 前の夏は奥の森にはじめて行くってだけであんなに嬉しかったのに。不幸だと思いはじめてた。でもぼくは十分に幸運だ。足元に置いた籠にはたくさんの山菜が入ってる。だれよりもたくさんの山菜がそこに山盛りになってた。前はダニロが採ってきてくれてたけど、いまはぼくが採ってきた山菜で母さんが料理して、みんなで食べてるんだ。一つひとつできることを増やせてる。毎日感じてるのに、どうしてこんなに沈んでたんだろう。ぼくはきちんと前に進んでる。


「……レオン」


 ぼくはレオンを見た。自分の顔がいつのまにか笑ってるのを感じながら。


「レオン、ありがとう!」

「ああ。だが、それを言う相手は俺じゃない」

「うん、そうだね」


 ぼくはぽんと椅子から降りると、籠を担いでみんなのところへ駆け出す。


「お茶をありがとう! よい夕べであらんことを!」

「おたがいに」


 どうしてあんなにうじうじしてたんだろう。こんなにいい季節なのに!


 早く帰って家族の顔が見たかった。みんなを連れて帰りながら、こんど奥の森へ行ったときは、みんなで手を繋いで大きな木の幹を囲ってみようって盛り上がった。




 結局グラバルラの答えが正しかったんだ。


 ぼくは毎日、アーシャに言われたことを守って過ごした。体に魔素を巡らせて、きちんとお祈りをする。礼拝堂の神々、市場の脇のほこら、森の入り口の祠。ほかにも、旧い東門の脇、街区の入り口や井戸端にもある。いつもアードリアンと遊んだ広場や、父さんがよく飲みに行く路地の脇にも。目にするたびに小さく一言、祈りを捧げた。よく考えたらずっと母さんがしてることだ。母さんの隣で、ずっとぼくもしてたことだった。

 そういえば母さんの祈りを、一度アーシャに教えたことがあった。でもアーシャがいつもしてるのがどんな祈りなのか、聞いたことなかった。こんど会ったら聞いてみよう。もう半年近く会ってない。でも木霊石を通して感情が届くから、会えないことはもうそんなに気にならなかった。

 うちに突然の客が訪れたのはそんな毎日を過ごしてるときだった。




 春二月はるにがつの終わりの安息日、降りしきる雨の中をだれかが訪ねてきた。


「誰? ニーナ?」


 少し遅い時間だったから、不思議そうな顔をして母さんが出る。親戚以外にうちを訪ねてくる人はいなかったし、午後井戸端から引き上げてきたあとにお互いに声をかけることなんかほとんどなかった。


「やあ奥さん。突然すまないね」


 扉の前に立ってたのは、行商人のおじいさん、アードリアンだった。帽子を少しだけ上げてあいさつをする。


「オリバーはいるかね?」

「ああ、どうしたんだ? 狭いけど中へどうぞ」

「おお、すまんの。お邪魔するよ」


 アードリアンのことは、不思議と家族のだれもが知ってる。でもよく考えると、だれとも大した接点はなかった。ただレオンと仲がよくて森を行き来してる人たちにはよく知られてるし、市場の脇の広場に時々いるから、母さんとも見知った仲だった。


「ちと急ぎの話だったんでな。突然すまんね」


 平民の家に、そんなに縁が深くない人が突然訪ねてくることはあまりなかった。人を招くような広さじゃないし、そもそも大人は子どもたちのいないところに集まりたがるんだ。少なくともうちではとても珍しいことだった。


「なに、悪い話じゃない。ミルコのことじゃ」


 母さんが淹れた白湯さゆをおいしそうに飲んだあと、アードリアンは話しはじめた。それは本当に突然の話だった。


「ミルコを商店で働かせる気はあるかの?」



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