047 諫言
石工になれない。見習いに出られない。そのことは、一晩寝たあとになってじわじわとぼくの気持ちを落ち込ませた。
『父さんみたいに家族を守る側になれるんだ』
冬になる前に湖畔でそうアーシャに話した。だけどこのまま夏になってもぼくは家計を助けられない。アーシャに話したことが嘘になっちゃう。それに、グラバルラたちとのつながりはどうなっちゃうんだろう。
ぼくが石工になれないって知ったら、三人ともがっかりするかな。
そんなことばかり考えて、沈んだ気持ちのままその日は過ごした。一緒に留守番してたアルマにも、夕方帰ってきた家族にもたっぷり慰めてもらったけど、沈んだ気持ちは治らなかった。
こんな気持ちを送ったら、アーシャが心配するだろうな。
でも寝る前に
次の日の夕食前。約束通りに森番小屋に来ると、グラバルラはもうそこにいた。ガルデルデとギルガルデも一緒だ。グラバルラだけだと話が進まなそうだったから、2人がいてくれてちょっとほっとした。みんなとあいさつを交わして
「三人とも来てくれたんだね」
「そりゃそうだ。三人とも忠誠の証を贈った仲だろうが」
ガルデルデが、にっと笑う。
「相談ごとだって聞いてな。こりゃ行かにゃならんと思ったわけだ」
ギルガルデも、にっと笑う。
「……聞いてもらってもいいのかな?」
「どういう意味だ?」
不思議そうな顔をする2人に、どきどきしながら打ち明ける。
「もう石工になれなくなっちゃったし……」
「……なんだと?」
お茶を淹れてくれてたレオンの手が止まる。グラバルラも表情を変えた。ぼくはおととい父さんに聞いた話をみんなに話す。見習がなくなった話をしなきゃいけないのはわかってたから、ぼくでもすんなり説明できた。話す前はみんながどんなふうに思うか気が重かったけど、話してるうちにみんなの表情から険しさがなくなっていった。
「気に病むな、ミルコ。たまにあることだ」
そもそも見習いは親と同じ仕事に出されるのがふつうだった。父さんとは違う仕事に出されるぼくよりも、同じ石工の子どもたちが優先されるのはおかしなことじゃない。そう言って、レオンはぼくの前に
「それで『聞いてもってもいいのか』って言ったのか?」
「関係ない」
低く唸るように言ったのはグラバルラだ。
「石工に渡したんじゃない。わしの忠誠はお前さんのもんだ」
グラバルラがそう言うと、ガルデルデとギルガルデも頷いた。
「俺は席をはずそう」
グラバルラの言葉を聞いて、レオンは立ち上がって小屋の中に入ってった。卓には三人のドワーフが残った。
レオンのほうがずっと長い付き合いなのに……なんだか不思議な感じだな。
ドワーフたちが忠誠を贈ってくれて、ぼくが受け取った。その関係のほうが、ぼくとレオンの関係より深いんだっていうことを感じた。
「さあ、すっかり話してみろ」
「大丈夫だ、秘密は守るぞ」
「ああ、必ずお前さんのことを守る。約束しよう」
ガルデルデとギルガルデが口々に話を急かした。
「うん、ありがとう。じゃあ、すっかりぜんぶ話すね」
ぼくは三人の様子を心強く感じて、さっきよりずっと安心した気持ちで話しはじめた。
「これはぼく以外はテオドーアにしか言ってないことなんだけど。あ、テオドーアっていうのはぼくの親友のクァトロのことなんだ」
「採石場に来てたやつだろう?」
「うん、そう。それでね……」
それから少し長くなったけど、この前の夏から起こったことをすっかり話した。ぼくがもともと体が弱かったこと。7歳になってようやくはじめて奥の森に行ったこと。疲れてヴィーゼと一緒に切り株の広場で休んでたこと。その近くに小さな川があること……。三人は、はじめのうちは楽しそうに聞いててくれた。ほう! とか、それで? って相槌を打ってくれて、それはなんて言うか、父さんや母さんやアルマがぼくの話を聞いてくれるときみたいな感じだった。
「それで、そこに小さな葉っぱが流れてきてね……」
川の上流にふつうは通り抜けられない蔦の壁があること。その先に湖があって、森の離宮って呼ばれる建物があること。そのほとりでアーシャと知り合って友達になったこと。森を抜け出してたまに会いにいってたこと。テオドーアが秘密を知って何度か手伝ってくれたこと。木霊石を使って連絡をとってること……。話してるうちになぜだか三人の顔から笑顔がなくなってきて、相槌もなくなってきた。それどころかギルガルデなんか、木霊石のことを説明しはじめたら口をあんぐり開けちゃった。ぼくはちゃんと伝わってるのかどうか、ちょっと心配になってくる。
「……えっと、これがその木霊石なんだけど……」
袖から木霊石の
「たまげたな……お前さん、森の離宮に入ったんか?」
ギルガルデが魔石匣を見つめたまま聞いてくる。
「ううん、離宮には入ってないよ?」
「ああ、いや、そうだな。……でも、湖の畔まで行ったんだろう?」
「うん、そうだね」
「そりゃあ……たまげたな」
ギルガルデはそう言って、大きな手のひらで自分の顔を上から下へべろんと撫でた。
「……なんでそんなに驚いてるの?」
確かにアーシャは、森の離宮は結界で守られてる、って言ってた。でも三人は森の離宮を知ってるみたいだったし、なににそんなに驚いてるのかがわからなかったんだ。ガルデルデが、さっきまで笑って話を聞いてくれてたのとは全然違う真剣な目でぼくを見た。
「そこは伝説なんだ」
「伝説?」
「そう。森の離宮そのものが伝説なんだ」
ギルガルデがうんうんと頷きながら聞いてる。
「森の離宮はそこにあるってことになってる。でも、誰も見たことがない」
「……だれも見たことがない?」
こんどは三人が同時に頷いた。
「すぐそこにあるのに? あんなに大きな湖なのに?」
「……すぐそこなのか?」
聞き返してきたのはギルガルデだ。
「うん。ここからだと、鉱石加工場の街より近いよ」
「そんな近くなのか……」
「湖も大きくて、たぶん採石場のすぐ裏まであるはずだよ」
「なんと……」
三人が顔を見合わせる。
「まあ……でも、そうだな。確かにそういう話になってる」
「 ……そういう話?」
「森の離宮はエムスラントの脇にあるっていう話だ。っていうか、エムスラントが森の離宮の脇に造られたって言われてるな」
もともと森の離宮が先にあって、その近くにあとからエムスラントの城塞ができた。だからエムスラントの近くには森の離宮がある。そういう話が伝わってるんだっていうことを、ガルデルデが教えてくれた。
「でも誰も近づけないし入れない。どこにあるかもわからない」
「アーシャは結界で守られてるって言ってたけど」
「ああ、そうだろうな。その森の離宮の姫さんと、お前さんは繋がってるってことか」
ガルデルデはもう一度、魔石匣に目を落とした。伝説の森の離宮に住んでるからなのか、アーシャのことはいつの間にかお姫さまってことになってるみたいだ。ぼくは実際に会って話してるけど、ドワーフたちにとっては伝説の中の登場人物みたいに感じるのかもしれない。ぼくがもし自分じゃないほかのだれかからこの話を聞いたら、やっぱりアーシャのことはお姫さまだって感じると思う。伝説の離宮に住んでるなんて、まるで物語みたいだ。
「……嘘だと思ってる?」
「いや、そんなことねえ。嘘だとは思わん」
「ああ、お前さんじゃなきゃ信じなかったかもしれんがな」
よかった、ちゃんと信じてくれてるんだ。
ぼくがほっとしたところで、グラバルラが口を開いた。
「それで?」
「え?」
「相談ごとの続きだ」
「ああ、そうだった。それでね……」
そこからの話は、説明するのが難しかった。寝てるうちにアーシャの様子が見えたこと。夢みたいだけど夢じゃないって感じたこと。嫌な感じの男の人と、言い争いをしてたこと。なにか大事なものが奪われそうになってるか、もう奪われたかもしれないこと。
「ふーむ……」
「ひとつ確認だが」
ガルデルデが唸り声を上げる横から、ギルガルデが指を立てた。
「その姫さんは、歳はいくつくらいだ?」
その質問に三人ともが動きを止めて、強張った顔でぼくを見つめる。
「ぼくより小さいよ。4歳か5歳くらい」
ぼくは7歳半だけど、体は6歳の子より小さいくらいだ。アーシャはぼくより背が低かったから、たぶんそれくらいだと思う。ぼくの答えを聞くと、三人はそろって肩の力を抜いて、ほぅ、と息を吐いた。
「お前さんの話ぶりだと、もうちっと大きい姫さんかと思ったぞい」
「ああ、うん。アーシャはちっちゃいんだけど、話してると大人の人みたいな感じなんだよね。……小さな子だとなにかまずいのかな?」
「いや、そんくらい小っさいなら、むしろまずくはないな」
アーシャの歳を聞いたら、三人とも少し安心した感じになった。小さな子のほうが危ないと思うんだけど。ぼくはなんだかすっきりしない感じだったけど、ガルデルデはギルガルデより少しだけ軽い声で聞いてきた。
「それで? お前さんの相談は、その姫さんのところに助けに行きたいってことか?」
「うん。まあ、そうだね」
「ふーむ……」
ガルデルデはもう一度唸り声を上げた。
「……なあ、ミルコ。そもそもその姫さんは、いまでもなんか危ない感じなんか? 初めは冬の森を抜けて行こうとしたくらいなんだろう? お前さんが命の危険を冒してまで駆けつけなきゃならんほど危ないのか?」
「それ、レオンにも言われたんだ。そんなに急ぐ必要があるのかって」
「どうなんだ?」
「……わかんない。わかんないから、それで春まで待ってたんだ」
ぼくの答えを聞いて、三人が顔を見合わせる。しばらく黙ってお互いを見てから、ガルデルラが話しはじめた。
「ミルコ。わしらはお前さんの味方だ。お前さんが望むなら手助けしよう。だが……」
卓に肘をついて少しだけ身を乗り出す。
「その話はお前さんが危険なだけじゃねえ。これまではたまたま気づかれなかったが、もし気づかれれば誰も彼も巻き込む。お前さんの家族も、森番のレオンも、友達のクァトロも巻き込む。どうだ? それだけのことをしなきゃならないほど危ないのか? その姫さんは?」
「……わからない」
「……まあ……そうだわな」
これが物語だったらいますぐにでも助けに行くんだと思う。でもぼくは急に怖くなってきてた。こうしていざドワーフたちが手伝ってくれそうになったら、これは物語じゃなくて本当のことなんだ、何かあったら本当に問題になっちゃうんだ、っていうことをひしひしと感じはじめたんだ。
物語みたいに助けに行って、アーシャを助け出したとして、それでどうすればいい? アーシャはどこで暮らすの? 父さんと母さんは困らないかな? あの男の人は追いかけてこない?
ぼくは自分の考えが間違ってるんじゃないかって思いはじめた。いまアーシャに会いに行くことが、本当はそんなに大事なことじゃないんじゃないかって。
「ミルコ」
ぼくが考え込んでると、ほとんど声を出さなかったグラバルラが、ぼくに言い聞かせるみたいに話しはじめた。
「お前さんには、いまやらなきゃいけない大事なことがある。わかるか?」
「……わからない」
「元気でいることだ」
「……それだけ?」
なにか決定的な答えをくれるのかと思ったら、ちょっと違った。
「お前さんの歳で、それより大切なことはない。さっき話してくれただろう? 前の夏からようやく元気になった。元気になって、みんな喜んだだろうが?」
グラバルラの話し方はゆっくりだったけど、ガルデルデたちは口を出さずに一緒に黙って聞いてた。
「お前さんは、そのままきちんとお前さんでいることがなにより大事だ」
「ぼくのままで……」
それはちょうどアーシャから言われたことと同じだった。
「木霊石で気持ちが通じる、そうだろう?」
卓の上の魔石匣を見ると、中で木霊石が静かにきらめいてる。
「そしたら、それを使うんだ」
「木霊石を使う……」
「お前さんの歳でできることは多くない。できることを一つひとつ増やしていけ。きっと多くのことができるようになる。強い、立派な男になれる。その手伝いならいくらでもしてやる。だからそれまでは……」
大きな手で魔石匣をつまみ上げると、ぼくに渡した。
「それを使って、元気なお前さんを見せてやるんだ。きっと姫さんは喜ぶ」
それは、そうかもしれない。グラバルラの言う通りだ。
「その姫さんは、助けを求めたのか? お前さんを呼んだか?」
「……ううん、そうじゃないと思う」
「ならば、いまやるべきことはそれじゃない」
グラバルラは、どん、とひとつ自分の胸を叩いた。
「そのままきちんとお前さんでいることが、なにより大事だ」
グラバルラがくれた答えはあっけないくらいに簡単で、でもなんだかすごく難しい気がした。
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