046 籠り明け
「気をつけてね」
「うん、いってきます」
階段を降りたところで母さんたちと別れて、子どもたちが集まる井戸端へ行く。春は忙しい。平民はいつも忙しいけど、春と秋はとくに忙しいんだ。だから今日は、子どもたちの付き添いはクァトロたちだけだった。そうやって集まって、あとエルマひとりを待ってるぼくたちに、ワレリーさんが声をかけてきた。
「あっ、ワレリーさん。今日は仕事は?」
「ああ、ちょっと用事があって近所を回ってる。……親父さんは今日は仕事へ出てるか?」
「うん。いつも早くから出かけてるよ。班長だから安息日以外はいつもそうだよ」
父さんはいつも周りの大人たちより少し早く出てく。病気になったら別だろうけど、ぼくは父さんが病気したところなんて見たことなかったから、結局いつでも早く出かけてく。
「そうか。親父さんにも用事があるんだ。ことによっちゃ工場街まで行かなきゃぁな。ありがとうよ」
ワレリーさんはそれだけ言うと、少し遅れて着いたエルマと入れ違いに井戸端から出ていった。
「おはようエルマ」
「これで揃ったよね?」
「そうだね、これで全部だね」
「うん大丈夫」
「じゃあ行こうか」
テオドーアたち3人のクァトロが口々にそう言って、子どもたちを引き連れて歩き出した。
雪が溶けはじめて、冬は白く覆われてた街の様子がまた見えてきた。街区を抜けて、旧い東門をくぐる。城塞の門も、よく考えたら石工の仕事だ。城下へ向かって石畳の坂を下りる。
……この石畳も、よく考えたら石工の仕事なんだ。
石畳はそのまま森を抜ける街道に続いてる。この街道も、もっと綺麗にしたら馬車も通れるようになるかもしれない。そうすればもっと工場街が近くなって、きっと父さんも朝はもう少しゆっくりできる。
「おはようみんな」
東城下のいつもの広場で仲間たちと合流する。城下の町は木造だ。街区はしっかり石工が作ってるけど、城下は平民たちが勝手に作った街だった。道も街区と違って土がむき出しで、雨が降るとぬかるむ。
ここなんかも、本当は石を敷いたらいいのに。
エムスラントの領主さまは街を清潔に守ってくれてるって母さんがよく話してる。だけど、城下は汚れてて病気が多いって父さんが言ってた。そう考えると、石工はみんなを病気から守ってるんだ。
「レオン! おはよう!」
森番小屋ではレオンがアードリアンと、ほかの何人かとお茶を飲んでた。アードリアンは行商人のお爺さんだけど、レオンの友だちだ。だから森を行き来する大人たちからは信用されてるみたいだった。
「ミルコじゃな」
「おはようございます」
アードリアンと話すのは、なんだか久しぶりだ。
「噂をしとったのじゃよ」
「……ぼくの?」
「おお、そうじゃ。新しいけん引役は誰かといっての」
森に入る子どもたちの集団は多い。子どもたちをぜんぶ覚えてる大人はほとんどいないけど、けん引役はそんなに数がいないから名前をみんなで確認してるんだ。
「ミルコが生まれた時は少し話題だったからな、俺たちの世代はよく知ってるんだ」
見たことのない男の人がそう言った。見たことないのはぼくだけで、男の人はぼくのことを知ってるみたいだった。
「オリバーの三男だろう。生まれる時にオリバーが森を駆け抜けたのは有名な話だったからな」
「虚弱だったのに、よくここまで育ったなって言ってたんだ」
自分が話題だったときいて、ぼくはちょっと居心地が悪い気がした。それに、レオンの視線が気になった。籠り明けのあと何度か森に入ったけど、冬の森に入りたがったときのことは結局そのままになってたんだ。
「今日は奥まで行ってくるよ」
レオンにそれだけ告げると、ぼくは逃げるようにそそくさとその場を離れてみんなのところへ戻る。後ろから「よい一日であらんことを」という声が追いかけてきた。
「森林の神よ」
森の入り口の祠に、みんなで揃ってお参りをする。ぼくとエルマがはじめたことだけど、ぼくがけん引役になってからは仲間たちみんなでするようになったんだ。でもエルマは籠り明けから見習いに出るようになったから、もういなかった。
「小さい子もいないし、足元に気をつけてしっかり歩こうね」
今日はこの季節はじめての奥の森だ。まだ少し雪が残ってるし、そもそも奥の森までは小さな子は連れて行かない。森の様子を確認しながら、山菜とか、いつもの森では減っちゃってる火おこし用の細い薪なんかを集めるつもりだ。
「北風が強くなりそうだから、長居しないで早めに帰ってこようね」
そう注意してくれたのはテオドーアだ。テオドーアは付き添いでよく森に来てるから、クィンクの大人たちよりよっぽど森とか天気とかに詳しい。今日は午後から冷えてきそうだったから、無理をしないで早めに帰ることにした。せっかく奥の森まで行くのに、アーシャのいる湖畔へはとても行けない。まあ、時間があったとしてもぼくはけん引役だ。一人でみんなから離れるわけにはいかなかった。
籠り明けって、もっと楽しいと思ってたんだけどな。
せっかく体が丈夫になったのに、籠り明けにこんなふうに気持ちが沈んだままなのが変な感じだった。もうすっかり平気になった奥の森までの道のりを、足を滑らせて遅れ気味になった5歳の子の手を引いて歩く。歩きながらなんとなく気配を探ると、
戻ってきたときにも、森番小屋にはまだ客がいた。
今日もちょっと相談しにくいな。
あんなに春になるのが待ち遠しかったのに、春になっても何もできないのがなんだか情けない感じだった。ぼくは仲間の子たちをクァトロたちに任せて、レオンに戻ってきたことを知らせるために小屋のほうに近づいていく。
「ミルコ!」
声をかけられて振り返ると、父さんが手を振って走ってきた。
「父さん! 早いんだね」
「ああ、まだそんなにやることがなくてな」
山の上のほうの、鉱山付近の道はほとんど使えないから、鉱石加工場もあまりやることないみたい。昨日までで籠り明けの作業がだいたい終わっちゃったんだ。
「今日は奥まで行ったんだろう?」
「うん、いまからレオンに報告に行くところ」
森番小屋に向かって並んで歩きながら、どうやって湖畔に行こうか考える。父さんに相談ってわけにもいかない。
ほかに話せる大人ていうと……テオドーア? でもそれだと結局レオンに相談ってことになっちゃうし……
考えがまとまらないまま、森番小屋に着いちゃう。帰ってきたことを報告すると、思いがけずにレオンが答えをくれた。
「ミルコ、明後日もここまで来られるか?」
「あさって? あさっては森に出ない日だけど……」
「グラバルラを呼んである」
そう言われて、思わず父さんを見た。
「石工に関係することか?」
「あ、えーと……」
「いや、いい。どんな内容でもいいんだ」
余計なことを言ったという感じで、父さんは手を振ってぼくの言葉を遮った。
「お前とグラバルラとの間のことだ。自分で考えて自分で動け」
「……いいの?」
ぼくの問いかけに、笑って頭を撫でた。
「もう夏には見習いに出るんだ。城下までなら自由に動けばいい」
「……うん!」
そのやりとりを待って、レオンが話を続ける。
「夕食前のほうがいい。あまり明るい時間はグラバルラがつらいだろう」
「うん、わかった」
冬にぼくが話したことを、ずっと気に留めててくれたんだ。レオンに感謝する気持ちがぼくの中で広がって、なんだか一気に元気になった気がした。話が終わるのを待ってたみたいに、レオンの後ろにいた男の人から父さんに声がかかる。
「オリバー、少し寄っていかないか」
「そうだな。ついでにここでブルーノを待ってたい。いいか?」
「構わない」
レオンがそう答えると、父さんはそのまま
「ミルコ、籠り明け祝いにブルーノを連れて酒場に寄ってから帰るからな」
「また? わかったよ。じゃあね」
「気をつけて帰れよ」
母さんを真似てちょっと嫌味を言おうとしたけど、沈んでた気持ちが久しぶりに軽くなったからやめた。少し離されちゃたけど、いまならすぐにテオドーアたちに追いつける。ぼくは体に魔素を巡らせて駆け出した。
「ミルコ! よい夕べであらんことを」
後ろから男の人たちのあいさつが追いかけてくる。
「おたがいに!」
ぼくは走ったまま、大声であいさつを返した。
母さんとダニロと3人で一緒に家にいると、父さんとブルーノが帰ってきた。たぶんブルーノが一緒だったから、いつも酒場に行くときより帰りが早かった。
「おかえり。……どうしたの?」
ブルーノが怒った顔で帰ってくると、母さんに挨拶も返さないでぼくを抱きしめる。
「何があったの?」
ブルーノに続いて帰ってきた父さんに、母さんが聞く。ぼくもブルーノの肩越しに父さんを見た。父さんはしばらく言葉を探すような感じで黙っていたけど、わざと少し軽い感じの表情になって言った。
「ああ、ミルコの見習いの話がなくなった」
「ええっ!」
大きな声を出したのはダニロだ。
「そんな……決まってたじゃない」
母さんが見えないだれかを責めるみたいにそう言った。父さんが母さんの肩を抱いて宥めながら、酒場で聞いてきた話をしてくれる。そういえば今朝、ワレリーさんが父さんを探してた。
「去年も2人、今年はすでに籠り明けからもうも3人見習いがいるらしい。その3人は元々決まってた話だそうだが、そのうち2人はまだ6歳半だからワレリーもまだ先のことだと思ってたんだと。ところが、ミルコが入ることで人手が余ることを心配して早めに見習いに出したってことだ。どいつも石工の長男か次男だから、事情がわかってたんだろう。あと、再来年までにもう2人いるらしい」
ひとつひとつ、理由を言い聞かせるようにそう話す。
「東街区の石工はそれでもう手一杯だと断られたよ」
説明が終わったところで、ブルーノが声を荒げた。
「カミルのところは見習いになるって言うんだ! あいつの親父は石工なんかじゃないのに! ミルコは虚弱なんかじゃない! もうこんなに元気になったのに!」
「……どういうこと?」
そう言ったのはぼくだ。父さんの話にはぼくの体のことは出てこなかった。父さんはなんだかとても話しにくそうに、眉をしかめている。
「父さん。ぼくにもきちんと聞かせて」
「ミルコ……そうだな。マーレ、
母さんがみんなに白湯を淹れると、家の中は少しだけ落ち着いた感じになった。でもみんながなんだか怒ってる。家族がこんな感じになったことは、いままで一度もなかった。
「ミルコは思ったより有名だったんだ。いや、俺のせいかもしれんがな」
そう父さんは話し出した。
「ミルコが病弱だったのは近所ではよく知られてたが、うちがバシリーの面倒も見てることで山の採石場でもそこそこ知られてたらしい。近くの奴らはそれを応援してくれてたが、関係ない奴らから見たら厄介に感じたんだろう。三男で、病弱で、体も小さい。……敬遠されたんだ」
「そんなの去年までの話じゃないか! ミルコはこんなに元気になったのに! けん引役だってやってるのに!」
ダニロも声を荒げて怒ってる。
「ああ、そうだな」
父さんはそう言ったっきり、それ以上何も言わなかった。ぼくはどう考えたらいいのかわからない。どう思ったらいいのかわからない。怒ってもなければ、悲しんでもなかった。ただ、突然先のことが見えなくなって、ふわふわした感じだった。
「ミルコ……」
母さんがぼくを抱きしめる。ぼくはよくわからないまま、ただ背中を撫でてくれる母さんの手の温もりを感じてた。
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