044 空回り
「おはよう、レオン」
「おはよう、ミルコ」
レオンは珍しく薪を割ってた。いつもお茶を飲んでるような気がしてたけど、もちろんそんなことはない。森番だから。
「どうした、雪合戦はしないのか」
「しない。……レオン、冬の森に入るにはどうしたらいいの?」
どうしても行って確認したかった。
「冬の森には入れない」
「どうして?」
「危険だからだ」
これ以上の理由はない、っていう感じできっぱりとそう言うと、探るみたいな感じでぼくの目をじっと見る。もともとあまり喋らないレオンだけど、たまにこんな感じで考えてることを見透かすみたいに覗いてくるときがあって、そんなときは余計に話しづらい気がした。
「ミルコ!」
レオンにじっと見られてちょっとどぎまぎしてると、そこへエルマが走ってやってきた。
「雪合戦しないの?」
「うん、今日はしない。……ちょっと頭が痛いんだ」
「大丈夫?」
そう言って気遣ってくれる。体が弱いときはいつも寄り添ってくれるエルマが嬉しかったけど、いまはそれがなんだか少し鬱陶しかった。レオンにもどうやって話そうか困ってるのに、エルマがいるとなんだか余計に話しづらい。
「エルマは戻って雪合戦してきたら」
「ええぇ、……どうしようかなぁ」
戻ろうかどうしようか、という感じで体を揺らすエルマに、レオンが声をかけた。
「二人とも、お茶を飲むか?」
「えっ?」
エルマを追い返してレオンとふたりで話したかったのに、そのレオンがエルマを引き止めちゃった。いまから大事な相談があるのに。
「いいの? 飲みたい!」
「ぼくがレオンと話してたんだよ!」
エルマの無邪気な返事に、なんだかいらいらして思わず大きな声が出ちゃった。ダニロと喧嘩するときくらいしか、だれかにそんなふうに言うことはなかったのに。エルマがびっくりしてるけど、ぼくもびっくりしてる。エルマがすごく悲しそうな顔をして、胸がちくりと痛んだ。なのにどうにも不機嫌な顔がやめられない。
「ミルコ……」
エルマが何か言おうとしたそのとき。
ごつん!
突然大きな痛みが頭のてっぺんに襲ってきた。
「〜〜〜!」
ぼくは声も出せないまま突然襲ってきた痛みに頭を抱える。
「名付け祝いの歳にもなって、女の子にそんな口を聞くんじゃない」
レオンに怒られた。ぼくにとってははじめてのことだ。よっぽどの悪餓鬼じゃないとレオンに怒られることなんてないのは、みんな知ってることだった。つまり、さっきぼくがしたことはそれくらい悪いことなんだ。
「ごめんなさい……」
「座りなさい」
そう言ってレオンはお茶の支度をしに一旦森番小屋へ入っていった。もう怒って追い出されるかと思ったけど、お茶を飲むことは決まってるみたいだ。エルマと気まずい雰囲気のまま
「飲め」
エルマには赤みがかった
なんだかレオンに、アーシャに会うためのお願いばかりしてるな。
でも今日は前のときより大事なことだった。なのに全然うまく行く気がしない。前のときはどうやって話すか決めてたし、テオドーアも手伝ってくれてた。今日はレオンと話すのも思いつきだし、テオドーアはいないし、エルマが横で聞いてるし、とてもうまくいく気がしなかった。
でもどうしても行かないと。きっとひどいことになる。っていうかもうなにかが起こってるってわかってるのに……。
何をどうお願いしていいかわからないまま、でも声をかけようと顔を上げる。
「飲め」
話しはじめようとしたぼくに、レオンがもう一度お茶を勧めた。
「……うん」
ぼくは両手で盃を包むようにして持つと、レオンの入れてくれたお茶を飲んだ。口に入れたお茶はちょうど飲めるくらいの熱さで、少し冷えた体に気持ちよくて、ぼくはそんなつもりはないのに一気に飲み干しちゃった。
「ふう」
と息をついて盃を置くと、レオンはすかさずそこにお茶を注ぐ。
「もう一杯。飲んだほうがいい」
そう言われて素直に飲む。熱いお茶が喉を通り抜けて、お腹の中から体をあっためてくれるのがわかった。なんだか頭がすっきりして落ち着いてくる。問題は何も解決してないのに、すこし考える余裕ができた気がした。
「どうだ? ……頭がすっきりしたろう」
「うん。なんだか急にすっきりした。っていうか、気づいてなかったけどさっきまで頭が重かったみたいだ」
「そうだな。二日酔いだったんだ」
「二日酔い?」
エルマが不思議そうな顔でぼくを見る。それを見返すぼくも、たぶん同じような顔をしてた。だって、お酒を飲んだ覚えなんかない。その様子を見てレオンが鼻を鳴らした。
「ふん……一服もられたな」
そう言って片方の眉を少しだけあげると、悪戯っぽく少しにやりと笑った。
「夜中に目が覚めたか、悪い夢でも見たか、そんなとこだろう。子どもを寝かしつけるのに濃いお茶に酒を入れるんだ。たまに入れすぎると二日酔いみたいになることがある」
「どうしてわかったの?」
聞いたのはエルマだ。
「酒の匂いがしたからな」
レオンの言葉に、ぼくとエルマはお互いの顔を見て首を傾げた。そんなに匂いがしたなら、今朝、街区で会ったときにエルマが気付くはずだと思ったんだ。考えてもわからないと思ったのか、エルマはそのままぼくに向かって話を続けた。
「怖い夢だったの?」
「夢っていうか……」
「森に入りたいっていうのと関係があるのか?」
レオンがそう言うと、エルマが目を丸くした。
「森に入りたいの!? 今から?」
ぼくは答えない。っていうか、なんて答えていいかわからなくて、さっきからほとんどなにも言えないでいる。
「石工のこと?」
「いや、いい。理由に興味はあるが、言わなくていいぞ」
なんとか聞き出そうとするエルマをチラッと見て、レオンが言った。
「どうして?」
「聞いても聞かなくても答えが変わらないからな。冬の森には入れない」
それはもう絶対変えられないこと、っていうきっぱりした言い方だった。さっきまでよりも少しすっきりした頭でその言葉を聞くと、レオンに相談しても無駄だっていうことがはっきりわかる。
「落ち着いてよく考えろ。何かはわからないが、それはそんなに緊急か?」
なにも言わないぼくに、言い聞かせるような感じで続ける。
「本当に取り返しがつかないようなことか?」
その言葉に、ぼくは胸の中がどくんと跳ねたような気がした。
取り返しがつかないって、どんなことだろう。
夜中に感じた怖い気持ちが戻ってきた気がして、ぼくは気持ちを落ち着かせようと手元の盃に目を落とした。今朝感じたアーシャの気配は、なにかを後悔する気持ちでいっぱいだった。それは、なにかはわからないけど、もう取り返せないなにかが起こってしまった、っていうことだと思う。いまアーシャに会いに行きたいのは、アーシャの様子が分からないからだ。わからないから、知りたい。そう、よく考えてみれば、ただ
……そうだよ。ぼくが行っても意味なんかないよね。
ぼくは袖の中の木霊石を服の上から掴む。気配を探すと、すぐにアーシャの気配が見つかった。その気配は重くて、今朝みたいに深く沈んでる。ぼくは励ますような、慰めるような気持ちを送ってみる。送って、じっと返ってる気配を待った。レオンとエルマがぼくを見ているのを感じる。なにも言わないぼくを急かしたりしないで待っててくれるのがありがたかった。
あ、返ってきた。
アーシャから帰ってきた気持ちは、急ぐ感じでも、助けがほしい感じでもなかった。いつもみたいに優しくて、すこし励まされてる感じだ。むしろぼくのほうが慰められてるみたいな感じだった。きっとぼくが送った気持ちに、怖くて焦ってる様子が混ざってたんだ。
「……そんなことない」
長く考えてたふりをして、ぼくはそう答えた。アーシャはいますぐぼくを呼んだりしてない。いま、ぼくに来てほしいなんて思ってなかった。
「そうか。なら春まで待つんだ」
「春まで……」
春までにあと何日待てばいいんだろう。
ぼくはちょっと途方に暮れた感じになって、レオンを見上げた。
「どうしようもないこともある」
レオンはぼくの目をしっかりと見たまま話した。
「
まわりの人も傷つける。そう言われて、ぼくは思わずエルマを見た。エルマが不安そうにぼくを見てる。いつもぼくを守ってくれてたエルマ。心配そうにぼくを見る目が、まるで母さんや従姉のアルマの目みたいに見えた。
「うん……わかったよ、レオン。春まで待つよ。お茶をありがとう。……このままここにいてもいい?」
「わたしもいていい?」
「もちろんだ。べつのお茶を淹れよう。それはちょっと特別なやつだからな」
ぼくが両手で包んでる盃をひょいと取り上げると、のっそりと小屋の中に戻っていった。それを見てぼくは、だらんと背を丸めた。春まで待つって決めた途端に、なんだか張り詰めてた気持ちが緩んでどっと疲れちゃった。
「ミルコ」
盃を取り上げられて卓の上に残されたぼくの手に、エルマが手を重ねる。手袋を脱いだエルマの手があったかかった。
「困ったことがあってもひとりで抱えないでね。わたしも、……わたしたちもみんないるんだからね」
「……うん、そうだね。ありがとう、エルマ」
アーシャのことを子どもたちのだれかに相談しようとは思わなかった。それに相談してもなんにもできないと思う。でも、いまはエルマのその言葉がとっても嬉しかった。
「さっきはごめんね」
「いいよ。……ミルコに大きな声出されるのって
「そう? ダニロとはよく喧嘩するんだけどな」
「そうなの? ミルコの兄弟は仲がいいから喧嘩しないんだと思ってた」
「昨日も喧嘩したんだよ。ダニロが夜中まで叱られててさ……」
その日はそのまま森番小屋の庭先で過ごした。遠くに雪合戦の声を聞きながら、エルマといろんな話をした。春はまだしばらく先だった。
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