037 森番小屋の井戸

 母さんと漬物をつけた日の夕方、井戸端に降りてダニロと一緒に夜の分の水を汲んでたら、そこへ父さんが加工場から帰ってきた。


「ただいま」

「おかえり父さん」

「水汲みか」


 ちょうどダニロが運ぶ分の水桶がいっぱいになったところだった。


「昼間の分は全部使っちゃったんだ」

「持ってやりたいが、ちょっと荷物が多くて持てないな」


 大きな袋を背負って、両手にも袋を持った父さんがそう言う。


「なんだ、持ってもらえるかと思ったのに」


 ダニロがちょっとがっかりしたみたいにそう言うと、父さんが体を揺らせて笑い出した。


「なに言ってるんだ、ミルコの分もあるんだから、もし手が空いててもお前の分は持ってやらないぞ」

「大丈夫だよ、ぼくのは自分で持てるから」


 自分が運ぶ分を井戸から汲み上げながらぼくは言う。そしたらダニロがぼくが運ぶ分の水桶を見ながら眉をしかめた。


「おいミルコ、そんなにたくさん汲んで、運べないだろう?」

「え? 運べるよ?」


 ぼくは水桶になみなみと目一杯まで水を汲んでた。近ごろぼくが水を汲むときはいつもそうしてる。でもダニロのほうの水桶を見たら、いっぱいにまで汲まないで少し浅くなってた。


「いや重いだろうそれ。ぼくがそっちを運んでやるよ」


 そう言ってダニロは、ぼくが目一杯まで水を汲んだほうの水桶を手に持った。そしてぐっと力を入れて持ち上げて、そして少しよろけた。


 あれ? ぼくが毎日運んでる量が、ダニロには重い?


 よたよたとふらつきながら歩き出したダニロを見て、ぼくは不思議な気分になってた。

 この秋に子どもたちのけん引役になったぼくは、小さな子たちよりも自分のほうが力が強いのはわかってた。でも体格のいいダニロは、いつもぼくの面倒を見てくれてて、ぼくのできないことを代わりにやってくれてた。父さんやブルーノが家にいないときの力仕事は、いつもダニロの役目だった。そのダニロが、ぼくがいつも運んでる水桶を持ってあんなに重そうにしてる。


「ミルコ、持てるか?」

「あ、うん、大丈夫だよ」


 父さんに声をかけられて、ぼくも慌てて水桶を持って歩き出した。いつも魔素を体に巡らせるようになったぼくは、ひょっとしたらもうダニロよりも重いものが持てるのかもしれない。


 ……ダニロには言わないようにしよう。


 自分の力がすごく強くなってることに気づいたけど、ぼくはそのことをダニロには言わないことにした。


「ブルーノは? 一緒じゃないの?」


 ブルーノは今朝出かけるときに早めに帰ってくるって言ってた。父さんが帰ってくる時間もいつもならもっと遅い。きっと一緒に帰ってきてるはずだった。


「レオンに誘われてお茶を飲んでるよ」

「また?」

「はははっ。レオンも冬支度でばたばたしてるから、息抜きしたいんだろう。あの街道を行き来するやつの中で、レオンのお茶に付き合う変わり者はブルーノくらいだからな」


 そうかもしれない。行商人のおじいさんはたまにしかいないからね。


「冬はレオンもこもるのかな」

「いや、冬もレオンは忙しい。ムゲーリとか、他にもいろんな動物たちが森を荒らさないようにしなきゃいけないからな」

「ふーん。……どうやって?」


 獣みたいな見た目のレオンだけど、森を出入りしてる子どもたちはレオンが優しいことを知ってる。ぼくはムゲーリと闘うレオンが想像できなくて、思わず聞いてみた。


「跡を残すらしい。冬でも人が活動してるっていう様子を、森のあちこちに跡を残してわかるようにしておくんだ。そうすると、ムゲーリより小さな生き物は人の気配を感じて近寄らないし、ムゲーリも少しは人を警戒する。でもそれよりもっと大きな生き物にはあまり効果がないようだから、そういう本当に危険な生き物が近くに来ていないかを見張る必要もあるらしい」


 前の森番に聞いたんだけどな、と言いながら父さんが説明してくれた。


「森番って大変なんだね。でも、いつもお茶飲んでるだけに見えるよね」

「はっはっは。そうだな、レオンはいつもお茶を飲んでるな」


 ふうふうと息を切らせながらゆっくり階段を登るダニロの後について、ぼくと父さんは話をしながらゆっくり登ってく。


「そういえば、森番小屋の井戸はドワーフが造ったって聞いたよ。ワレリーさんが言ってた」

「へえ、それは知らなかったな。でもワレリーが言ってたんならそうなんだろう。……そういえば、あそこの井戸はミルコが生まれたあとにできたんだ」

「そうなの? ずっと前からあると思ってた」


 父さんが言うには、美味しいお茶を飲みたいレオンが東城下の井戸では満足できずに、いい水の出る井戸を森番小屋の脇にわざわざ造ったみたいだ。


「じゃあ、森番小屋の井戸は特別製なんだね」

「ああ、水がすごくおいしいらしいぞ」


 その特別製の井戸を、ドワーフが造ったっていうことみたいだ。ぼくは父さんの話を聞いて、やっぱりグラバルラと話をしてみたいって思った。


 どうしたらいいんだろう。思い切ってだれかに相談してみようかな。


 ダニロが階段の上でふうっと息をついて、水桶の水を少しだけこぼした。ぼくはそれをなんとなく眺めながら、グラバルラのことを話しても大丈夫そうな相手はだれだろうかと考えはじめた。




「父さん、ちょっと相談があるんだけど」


 ぼくが父さんにそう話しかけたのは、安息日の午前中にバシリーおじさんの家で冬支度の手伝いをしてるときだった。


「なんだ?」

「あのね、ぼく、ドワーフに会いたいんだ」


 ぼくは結局父さんに相談することにした。よく考えたら、ぼくはグラバルラのことを父さんに話しておかなきゃいけないんだった。採石場でグラバルラから権威石を受け取ったとき、髭のおじさんにレオンと父さんには話しておくようにって言われたのを忘れてたんだ。森番小屋にヴィーゼを返しにいくときに、レオンには忘れずに話してあった。


 っていうか、テオドーアがレオンに話すように言ってくれたからっていうのもあるけど。


 今日はちょうどテオドーアもバシリーおじさんの家に手伝いに来てたから、一緒に話を聞いてもらえる。グラバルラと出会ったときにも一緒にいたから、きっと説明しにくいことも手伝ってくれると思った。


「ドワーフ?」

「うん、採石場のドワーフ。グラバルラっていうんだ」

「あの話は本当だったのか」


 ドワーフと聞いて、父さんはそう言った。


「え? 知ってたの?」

「ああ、このあいだ採石場に行ったときだよな?」


 そう言って父さんがテオドーアを見る。


「うん、そう。ドワーフと知り合ったよね」

「そうじゃなくて、魔石をもらったんだろう?」


 ぼくは、しまった、と思った。もっと早く父さんに話してなきゃいけなかったのに。


「……それも知ってたの?」

「採石場のやつが教えてくれたんだ。ミルコが、というよりもうちが、魔石を持ってるなんてことになったら盗んだってことになりかねん。それに狙われると危険だろう、ってことで内緒で教えてくれたんだ」


 そうだったんだ。ぼくはレオンには話してたけど、父さんには話してなかった。隠してた訳じゃないけど、木霊石こだまいしを隠して持ってることがバレちゃう気がして、なんとなく話せないでいたんだ。


「……ごめんなさい」

「……なにがだ?」


 父さんが眉を片方上げて聞き返してくる。


「ぼくが話さなかったから」

「ああ、そんなことか。いいさ、それは気にするな」


 父さんはそう言ってぼくの頭をわしわしと撫でた。そして、ほんとうにそんなことはどうでもいいって感じで話を続けた。


「そいつに会ってどうするんだ?」

「石工の仕事のことを聞いてみたいんだ」

「ほう。どんなことだ?」

「水道のこと」


 ぼくはワレリーさんに聞いた水道の工事のことを少し話した。どういう工事になるか、ワレリーさんでもわからないって言ってたこととか。


「……それに、森番小屋の井戸もドワーフが造ったってワレリーさんは言ってたんだ。そのことも聞いてみたくて」

「なるほどな。まあ、興味があるのはいいことだが……ドワーフねぇ」


 と父さんがつぶやく。


 父さんはドワーフをよく思ってないのかな。


 採石場の髭のおじさんが、ドワーフと人とを区別して言ってた。アーシャがそれをあまりよく思ってなかった。父さんもアーシャが嫌がるような考え方をするのかなっていうことが、ぼくは気になった。会っちゃダメだって言われるような気がしてくる。なんとか説得しないと。


「えっと、なんていうか……できることはやっておきたいんだ。ずっと家の中にいることが多かったし、ぼくはたぶん知らないことがみんなよりたくさんあるから。だから、いままでやれなかった分、いろいろ知りたいんだ。……だめかな?」


 父さんは少しの間だけぼくの顔を眺めると、さっきより優しくぼくの頭をわしわしと撫でた。


「いいだろう。ただし、もういつが降ってもおかしくない。そうすると採石場に行っても戻ってこられないかもしれん。だから春までは採石場にいくのはなしだ」


 春までか。……だいぶ先だな。


 そう思ってすこしがっかりしたぼくに、父さんは明るく付け加えて言った。


「でも大丈夫だ。あいつらは冬でも仕事をしてるからな、何日かに一回は東街区の砕石場に石を運んでるだろう。そのときなら街区の中で会える」

「ほんとう?

「ああ。レオンにでも聞いてみよう」

「やった!」


 ぼくはうれしくて握り拳を突き上げた。ドワーフと会える。っていうか、グラバルラと話ができる。もし会って話せたなら、クィンクとクァトロ以外ではぼくがはじめて話す種族の人だ。


「よかったね、ミルコ」


 テオドーアがぼくの真似をして握り拳を突き上げた。その拳が低い天井にごつんと当たって、テオドーアが盛大に顔をしかめた。



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