035 湖畔の誓い

 じっと魔石匣ませきばこを握り込んだ右手を見つめて、権威石の魔素を感じる。そうしてるぼくの手の脇に、アーシャが顔を寄せてきた。


「ねえ、最近はどんな風に過ごしてたの? 話して」

「あ、うん、そうだね。いろいろ話したいことがあるんだ」


 そうだった、ドワーフや権威石のことに気を取られて、話したいことがいっぱいあること忘れてた。


「子どもたちのけん引役になったって言ったでしょ?」

「うん、聞いたよ」

「それでね……」


 それからぼくは、会えなかった間に起きたいろいろなことをアーシャに話した。けん引役になってから経験したいろんなこと。ダニロとけんかしたこと。テオドーアが「蔦の向こう」に行くやり方を考えてくれたこと。ブルーノとお茶を飲んだこと。


「それで、ぼくが相談したがってるってバレてたのかと思って聞いたら『何か相談があったのか?』って言ってさ」

「あはは! じゃあどうしてお茶に誘ってくれたの?」

「わかんない」

「なにそれ!」


 レオンにヴィーゼを借りたこと。はじめて父さんとブルーノの工場に行ったこと。


「なんだかいつもの父さんと違ってさ」

「そうかもね。仕事の時と家にいる時で気持ちも態度も違うものよ」


 アーシャがまたいつもみたいに、大人の女の人みたいなことを言う。


「……」

「……なあに?」

「アーシャってさ……」

「レディに年齢聞くの禁止!」


 がなんなのかはよくわからなかったけど、聞く前に禁止されたからそれ以上は聞かなかった。そして、そのあと採石場に行ったことまでを話したときには、話しはじめて半刻くらいは経ってた。


「そのとき反対側の斜面に見たことない感じの人が立っててね」

「それがドワーフだったのね」

「うん、そう」


 そう答えてから、ぼくは湖の右の奥に見える山を見上げた。


「あの山の辺りなんだけど、こっちからだと見えないね」

「そうね。そもそもこの湖は外からじゃ見えないけどね」


 そういえば、があるって言ってたっけ。


「それも魔法なんだよね? 結界?」

「うん。ほんとなら出入りもできないし、見ることもできないの」

「不思議だね」

「そうだね、不思議だね。私も結界がどういう仕組みかまだわからないの」


 アーシャでもわからないなんて、結界はすごく難しい魔法みたいだ。


「アーシャにも採石場も見えたらよかったのに。すごく広かったんだよ。この湖よりはずっと小さいけど」


 ぼくはそう言ってなんとなく山のほうを見てた。


「……ミルコ、ちょっと変わったね」


 急にそう言ったアーシャのほうを振り返る。アーシャも同じ山のほうを見ていると思ってたら、どうもぼくのことを見てたみたいだ。


「変わった?」

「うん。前は少しでも魔法の話をすると、もっともっとって聞きたがってた気がする」

「そうかな?」


 そんなに魔法のことばっかり聞いてたのかな。ちょっと恥ずかしい。


「きっと子どもたちの代表になって責任感が出たんじゃない? あとは石工の仕事にも興味が出てきたんだね」

「代表ってわけじゃないけど……」


 もしかしたら、ぼくがアーシャと話すことよりもほかのことのほうを大事に思ってる、って思われたのかな。そうだとしたら、なんだかちょっと気まずい。そんなことないのに。


「石工の仕事とかより魔法のほうがずっと気になるよ。ほんとはもっとたくさん教えてほしい」

「そうなの? でもいろんなことに興味を持つのもいいことよ」

「興味っていうか、いままでずっとなんにもできなかったから」


 そう、いままでは興味を持つ意味もなかった。


「ぼくはずっと守られてたから。ずっとみんなに助けてもらって、待ってもらって。でもアーシャのおかげで力も強くなって体も丈夫になったから、ぼくもみんなみたいに働ける。父さんみたいに家族を守る側になれるんだ。だから興味っていうか、やっとほかのみんなみたいに考えられるっていうか」


 アーシャや魔法のことに興味が無くなった訳じゃない、って言いたいだけなのに、なんだか話してるうちに訳が分からなくなってきちゃった。でもアーシャは気にしてないみたいだった。


「いいね、そういうの。いいと思う。家族を守るなんて、すごいね」

「すごくなんかないよ、みんなやってることだよ」


 褒めてもらってうれしかったけど、でもそれが何だかくすぐったくて思わず否定しちゃう。


「アーシャの家族もみんなそうじゃない?」

「私の家族? どうかな」


 そう言って首を傾げたアーシャの顔は少し笑顔がぎこちなくなった気がした。


「私にはヒンメルブラウくらいかな」

「ヒンメル……きょうだいなの?」


 ふつうは両親のことを呼び捨てにしたりしないよね。


「ペットよ」

「ペット?」

「動物を飼ってるの」

「飼ってる? そうなんだ」


 森の離宮で飼ってるのかな。ぼくは、やっぱりお姫さまっぽいな、って思った。

 平民は街区ごとに小さなヅァグリを飼ってるところもある。ただそれはみんなで飼ってるだけで家族みたいに考えたりはしない。でも貴族なんかは家でヅァグリとかきれいな小鳥なんかを飼ってるっていうのを聞いたことがあるから、アーシャもそうなのかもしれない。


 家族、いないのかな。聞いちゃいけないことだったかな。


 ぼくは余計なことを聞いちゃったような気がしてちょっと居心地が悪い感じがした。


「でも、そうね。……みんなやってること。誰でも当たり前にやってること。そういうことを当たり前にきちんと頑張るのは、とってもいいことね」


 アーシャはなんだか、なにか決心したみたいな顔をして遠くを見ていった。それはアーシャがたまに見せる、大人の女の人みたいな表情だった。

 ぼくの話がひととおり終わったから、そのあと結局魔法の話になった。これまでは治療魔法を教わったこと以外はずっと魔素を流すことばかりやってたから、それ以外のことを聞いてみたかったんだ。でもよく考えたら、ぼくはそもそも治療魔法以外にどんなことができるのかも知らなかった。


「魔法ってどんなことでもできるの?」

「もちろんできないこともあるよ。っていうか、できないことの方が多いと思うよ」

「そうなんだ」

「ミルコは魔法でどんなことがしたいの?」


 魔法でしたいこと。前にアーシャが教えてくれたのは、を動かすとが使える、ということだ。神様はあんまり関係ないっていうことも教えてもらった。ぼくはもし魔法が自由に使えたら何がしたいか考えてみた。


「……アーシャは、空を飛べるの?」

「空を飛ぶ? 考えたこともなかったわ」


 アーシャはちょっとびっくりした顔をして、それから首を傾げた。


「でも、そうね。飛べるかも」


 そう言って立ち上がる。騎士団の物語では、竜騎士が飛竜に乗って空を飛ぶ。ぼくはなにかそういう、大きな動物に乗って飛ぶことを考えて聞いただけだった。でも……


「あ、できた」


 アーシャはその場で空中に浮いちゃった。ぼくも思わず立ち上がる。


「すごい! 浮いてる!」


 ぼくより背の低いアーシャの顔が、ぼくの顔よりも高い位置にある。ふわふわと少し揺れながら浮いたアーシャは、髪の毛や服の裾も少し浮き上がって揺れてる。まるで水の中にいるみたいだ。でも浮いてたのはほんの短い間だけで、すぐにすとんっていう感じで地面に降りた。


「うん、飛べそう。でもちょっと練習が必要ね」


 あんまりあっさりと空を飛んだアーシャを見て、ぼくはぽかんと口を開けて固まっちゃった。でもアーシャはなんでもなかったみたいな顔をしてる。


「ミルコは発想が自由だね。やっぱり考え方が柔らかくないとダメだな。ねえ、ほかに魔法でやってみたいことある?」

「……ぼくがやってみたいことでいいの?」

「うん、どんなことがやってみたいか教えて」


 ぼくはそう言われて、思いつくことをいろいろ口にしてみた。


「炎で切り裂く」

「うーん、それはイヤ。たぶん怖くてできない」

「水で切り裂くのは?」

「……ミルコは水で物が切れるって知ってるの?」

「騎士団の物語に出てくるんだよ」

「ふーん……」


 アーシャはちょっと考えてから、竹林のほうに振り返って両手を前に出した。


「水が近くにあればできるかも」


 アーシャがそう言うと、足元の小川から白い筋が竹林のほうにまっすぐ伸びた。目で追えないくらいの速さで伸びたその筋は、一本の竹に当たるとその向こう側へ弾けるように広がって霧みたいになった。


「うわっ!」


 白い筋と一緒にしゅばっと大きな音が出て、ぼくは思わず声を出しちゃう。白い筋が当たった竹を見ると、まるで剣で切ったみたいにすっぱりと切れて倒れていくところだった。


「すごい! できた!」

「うん、できたね。でも、もっと遠かったり大きいものはたぶん切れないわ。途中で拡散しちゃう」


 そう言いながら、アーシャはしばらく小川からさっきより細い筋をしゅっ、しゅっと試すみたいに出してた。


「……ねえ、身体強化はできる?」


 ぼくは待ち切れずに聞いてみる。


「それはミルコももうできるんじゃない?」

「え? そうなの?」

「うん。魔素を体に巡らせてるでしょ? 多分それで身体強化になってると思う」

「そうなんだ。魔素のおかげで丈夫になったってわかってたけど、それが身体強化なんだね」


 ぼくは自分の両手の平を見て、体に巡らせてる魔素を感じながらそう言った。


「ほんとは体の仕組みを理解すればもっと強化できると思うんだけどね」


 アーシャがそんなことを言う。アーシャにとってはただ強化するだけなのは簡単で、もっと工夫できるっていうことみたいだ。


「じゃあ、アーシャはぼくより強くなれたりする? ぼくを持ち上げたりとか」

「やらない。可愛くないもん」


 できるんだ。


「じゃあ、川を凍らせる」


 ぼくはちょっと悔しくて、アーシャでもきっとできないって思うことを言ってみた。氷を操るのは騎士団の物語の最高潮クライマックスを飾る大魔法だ。ちょっと意地悪のつもりで言ってみたのに……


「それは簡単。たぶん、熱の操作って一番簡単かも」


 アーシャがそう言ってる間に小川がみるみる凍っていく。あっという間に湖から小さな滝まで続く小川が全部凍って固まった。ぼくはアーシャが空を飛んだときよりもっと驚いて、目も口もこれ以上ないくらい開いて開きっぱなしになっちゃった。そんなぼくをアーシャは少しいたずらっぽく眺めたあと、小川に向かってひらひらと手を振った。


「でも危ないからあんまりやらない方がいいね」


 アーシャが手を振ると、じゅわっと氷が溶ける音がして、一瞬で元の小川の流れが戻った。さっき凍ってたことが嘘みたいだ。


「すごい!」

「すごいでしょ?」

「大魔法使いだ!」

「えっへん!」


 アーシャが腰に手を当てて胸をそらす。


「師匠!」

「……師匠はちょっとイヤ」

「弟子にしてください!」

「やめて! 変な『スポ根』に巻き込まないで!」


 そのあともアーシャは、ぼくが思いついたいろんなことを試してくれた。風を起こしたり、火をつけたり、土を固めたり。そうやっていろいろ見せてもらってるうちに、ひとつ気づいたことがあった。


祝詞のりとは使わないんだね」

「ああ、そうね。どうして魔法が使えるのかが判ってれば祝詞はなくてもいいのよ」


 そういえば前にも聞いたことがあった。


「……私からは、ミルコに祝詞は教えないわ」


 少し考えてからアーシャが続けた。


「魔素を流す練習は続けていいと思う。ミルコにはそれが必要だと思う。でも、正式な祝詞はミルコの自分の街できちんと教えてもらうまでは知らない方がいいわ。その代わり……」


 アーシャは湖まで歩いていくと、しゃがんで何かをすくい上げた。


「ミルコ、右手出して」


 ぼくが右手を出すと、その薬指にアーシャが何かを嵌める。


「それあげる」

「これって……氷?」

「そう。氷の指輪」


 氷でできたその指輪はひんやりとして、でも思ったより冷たくなくて、ぼくの薬指の上で光を弾いて輝いてた。


「この指に嵌める指輪は精神の安定をもたらせてくれるの」

「せいしん?」

「心のことよ。ミルコが本来の自分を発揮できるように。どんなときもミルコ自身で居られるように」


 どんなときもぼく自身で居られるように。


「……でも、溶けちゃうよこれ」

「大丈夫、溶けるまで嵌めてればずっと効果があるよ。……しらんけど」

「なにそれ」


 ぼくたちはそろって声を出して笑った。ころころと笑い転げるアーシャはいつまでもみてたいと思うくらいきれいで小さくて可愛らしかった。


「……ミルコ。いつもミルコで居てね」


 しばらく笑ってから、アーシャは笑いすぎて目にたまった涙を拭っいながら言った。


「……ぼくはいつもぼくだよ?」

「もう! そうだけどさ!」

「うそうそ、わかるよ、わかる」


 ほっぺを膨らましてぼくの肩を叩くアーシャをなだめながらそう言う。なんとなくだけど本当に、アーシャが何を言ってるのかがわかったんだ。


「大丈夫、ぼくはいつもぼくだよ」

「うん」


 それからそのあともう少しだけ、ぼくは湖畔でアーシャと一緒に話したり笑ったりしてた。あとになって思い出せば、いろんな魔法を見たりしてきっといつもより興奮してたんだと思う。湖にはふたりのはしゃぐ声が響いてた。それは対岸に届くほどだった。



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