031 説得

 午後、奥の森から帰ってくるとレオンはまるで一日中そこでそうしていたみたいにいつものつくえでお茶を飲んでた。ぼくはテオドーア以外の付き添いのクァトロたちに声をかけて子どもたちを送ってもらえるように頼むと、テオドーアと一緒にレオンのそばまで近づいていった。


「ただいま、レオン」

「おかえり、ミルコ。そこへ座るといい」


 ぼくはまだ何も言ってないのに、レオンはまるでいまからぼくたちと話すのが決まっていたみたいな感じで椅子に座るように言った。


「ちょっと待ってろ、お茶を淹れてやる」


 そう言って小屋の中に入っていった。


「テオ、レオンにもう話してあるの?」

「ううん、まだ何も言ってないよ」


 テオドーアが先に話してくれてたってわけでもないみたいだ。でもテオドーアはレオンの態度をまったく不思議がってない様子で、にこにこと楽しそうに椅子に座った。小屋の中からレオンが奥さんとなにか話す声を聞きながら、ぼくも椅子に座る。そしたらすぐにレオンが薬缶と陶器のカップを二つ持って戻ってきた。


「いつもブルーノが使うやつだ」


 そう言ってぼくの前にカップを置くと、つくえにあった道具を使ってお茶を淹れてくれた。レオンが淡々とお茶を淹れるのを見てるだけの不思議な時間が過ぎたあと、「飲め」と言って差し出されたカップを両手で持ってお茶を飲む。冷えた指先が盃の暖かさでじんじんと気持ちよく痺れた。


「ああ……あったかい」


 もう秋も深まってて、半日森の中で動いてたぼくの手と体はだいぶ冷たくなってたみたいだ。ちょっと緊張してた気持ちが、あったかいお茶を飲んですこし楽になった気がした。そうやってカップを持ってあったまってるぼくの手元をしばらく見つめてから、レオンが口を開く。


「うまいか?」

「うん、おいしい」

「そうか、それはよかった」


 レオンの入れてくれたお茶はほんとうにおいしかった。やさしい香りがして、味も渋くなくて飲みやすかった。


「……」


 お茶の味を聞いたっきりレオンは何も言わない。このままだとせっかくあったまって楽になった気持ちが、また冷えて緊張してしまいそうだった。だからぼくは思い切って自分から聞いてみた。


「どうしてぼくが相談したがってるってわかったの?」


 するとレオンはゆっくりぼくのほうを見た。


「……何か相談があったのか?」

「え?」


 レオンの言葉に驚いて、ぼくはちょっとのあいだ口をぽかんと開けたまま固まっちゃった。てっきりぼくが相談したがってるのがわかっててお茶に誘ってくれたと思ってたのに。


「あー……うん。実は相談があるんだ」


 でもちょうどいいからそのまま話してみることにした。


「えーと、あのね。こんど採石場に行ってみたいんだ。テオドーアも付き添ってくれるっていうから。でも、ほら、採石場って遠いんでしょ? だからね、もしよかったら、ヴィーゼを貸して欲しいんだ。ヴィーゼに乗っていけば、なんていうか、採石場へも行って帰ってこられるかなって、思って……」


 ぼくは一生懸命に説明した。家族以外の大人にきちんとお願い事をするなんてはじめてのことで、なのにほんとうはアーシャに会いに行きたいんだっていうことを隠してて、そのことが気になって途中からなにを話してるのか自信がなくなっちゃった。でもなんとかレオンには通じたみたいだ。


「どうして採石場に行きたいんだ?」


 レオンが理由を聞いてくる。ぼくはまた一生懸命に、ぼくが来年見習いに出られそうなこと、近所のワレリーさんが石工いしくなこと、先月は砕石場に石工いしくの仕事を見に行ったことなんかを話した。ぼくが話し終わると、しばらくじっとぼくの目を見てからレオンが口を開いた。


「ミルコは石工いしくになるのか?」

「うん。たぶんそうなると思う。ワレリーさんは、ぼくが嫌じゃなければあとは父さん次第だって」

「そうか」


 そう言ってレオンは、またしばらくぼくの目をじっと見た。


「ミルコは石工いしくになりたいのか?」

「え? ……うーん」


 レオンの言葉に、ぼくは少し答えに詰まった。さっき話しはじめたときは、アーシャに会うためにどうやったらヴィーゼを借りられるかっていうことで頭がいっぱいだった。でも、石工いしくになりたいのか? って聞かれて、思わず真剣に考えちゃったんだ。


「……ぼく、働きたいんだ。ぼくが元気になったから、来年から見習いに行けるからって、先月みんなで一緒に考えたんだ。父さんも母さんも、ブルーノもダニロもすごく真剣に考えてくれた。そのときね、みんなに育ててもらったんだってすごく感じた。だから見習いになって、しっかり働いて、みんなの力になりたい。……あと、弟や妹にも会いたい」


 ぼくはレオンに聞かれて思いついたことをそのまま話した。なぜかさっきまでと違って、すんなりと思った通りのことが話せた。


「そうか、それが理由か」

「うん、そう……そうだね。それが理由」


 レオンがまたしばらくぼくの目を見る。


「いいだろう。ヴィーゼを貸そう。乗っていくといい」

「ほんと!? やった! ありがとう!」


 レオンの許しが出た。ぼくは思わず大きな声をだして、つくえの上で両手を握りしめた。


「テオも一緒だな?」

「うん、そのつもりだよ」


 テオドーアが請け負ってくれる。


「テオなら少しヴィーゼを急がせても一緒についてこられる。いつも奥の森に行く時と同じくらいに帰ってこい」

「うん。そうする」

「いつ行くかはオリバーと相談しろ。そうすればオリバーが知らせてくれるだろうから準備しておく」

「うん。父さんと相談する」


 そこまで話してからぼくはテオドーアに抱きついた。


「テオ! ありがとう! よろしくね」


 テオドーアは抱きついたぼくをそのまま持ち上げて、しばらくくるくるまわってくれる。そしてぼくを下ろしてから言った。


「ミルコ、帰らないとマーレが心配するよ」

「あ、そうだね。レオン、もう行っていい?」

「ああ。よい夕べにならんことを」

「おたがいに」


 自分でお願いごとをしてヴィーゼを借りられたのが、なんだかすごいことのような気がした。それになにより、久しぶりにアーシャに会えるんだ。ぼくは朝の機嫌の悪さもすっかり忘れて、興奮してテオドーアと駆け出した。走りながら全身に魔素をぐるぐる巡らす。気づいたら手の甲の青あざもすっかりなくなってた。




 父さんにも話して、次の週の地の曜日に採石場に行くことになった。エルマたちが見習いに出なければ、最後の奥の森行きになるはずだった日だ。起きたらすぐに出発したいくらいだったけど、朝の水汲みを手伝ってるうちに結局いつも森に行くくらいの時間になっちゃった。ダニロも今ごろはもう工場街の方まで行ってると思う。竹取りをする竹林は工場街の近くにもあるみたいだから。


「工場街ってかなり遠いの?」


 ヴィーゼの背中に揺られながら、隣を歩くテオドーアに聞く。体の中だけで魔素を巡らせられるようになったから、こうしてヴィーゼに乗ってるときにも魔素を巡らす練習ができた。ヴィーゼもとくに嫌がってない。もうほとんど癖みたいになってきて、歩いてないときならこうしてだれかと話してても魔素の流れは消えなかった。


「いつも奥の森に入るあたりは、工場街までの半分より向こうだよ」


 ぼくを少し見下ろしながらテオドーアが教えてくれる。背の高いテオドーアは、ぼくがヴィーゼに乗っててもぼくより高いところに顔があった。


「じゃあ、奥の森まで往復するよりは近いんだね」

「そうだね。でも砕石場はもうちょっと先だから、奥の森まで往復するくらいだと思うよ」


 いつもは奥の森まで行ってから1刻半くらい採集して、四半刻くらい休憩してから戻ってくる。今日もそれと同じくらいには戻ってヴィーゼを返さなきゃいけなかった。


 採石場まで行って戻ってきたら、どれくらい時間が残るかな……。


 時間が気になってそわそわするぼくを見て、テオドーアが「走ろうか」と聞いてくる。


「いいの?」

「いいよ、ぼくは採石場まで走って往復しても大丈夫だからね」


 テオドーアがそう言って、ぼくの返事を待たずに少し駆け足になって進んでいく。


「ヴィーゼ少し走れる?」

「ピー」


 ヴィーゼは相変わらず大きさに似合わないかわいい声で鳴くと、テオドーアに続いて少し駆け足になる。


「じゃあ、ぼくが疲れないくらいに走るね。きっとヴィーゼの方が速いから大丈夫だと思う」


 そう言ってテオドーアはさっきより速く走り始めた。ヴィーゼもそれに合わせて速くなる。


「うわぁ……!」


 二人は森の中をすごい速さで走ってく。ヴィーゼは走っても、乗ってて全然怖くなかった。ぼくはいままで見たこともないような速さで過ぎていく景色を見ながら、頬を撫でる風を感じる。そうやってヴィーゼの背中に乗って走るのは、まるで空を飛んでるような気分だった。



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