030 作戦会議

 ぼくはけん引役に選ばれたことをうれしく思う気持ちと、アーシャに会えなくなるっていう残念な気持ちが両方あって、家に帰ってきても自分からけん引役のことを言い出せないでいた。でもぼくがけん引役になるってことは、ぼくが話す前に父さんとブルーノに伝わってた。


「聞いたぞミルコ」


 父さんと一緒に帰ってくるなり、ブルーノがぼくの顔を見てそう言った。工場街から帰ってくる途中でレオンが話してくれたんだ。


「やったな、ミルコ!」


 ブルーノの話を聞いたダニロが、そう言ってぼくの背中をばんばん叩いた。けん引役は子どもたちの中で信頼されてるってことだから、家族にとってはやっぱりうれしいみたいだ。


「ちょっとミルコ。どうして帰ってきたときに話してくれなかったの?」


 母さんもそう言いながらぼくを抱きしめてよろこんでくれた。父さんとブルーノはあまり何も言わなかったけど、その日はずっと笑顔だった。ダニロはずっと興奮してて、ぼくがどんなに弱っちくて頼りなかったかってことをずっと話してた。その晩ダニロが話したことは、ずっとぼくの家族が抱えてきた悩みそのものだった。きっと昨日までだったらこんなふうに笑いながら話すなんてできなかったと思う。


 やっぱりけん引役になってよかったな。


 楽しそうに話す家族を見ながら、ぼくはそう思った。どっちにしろ断ることなんてできなかったんだけど、それでも引き受けてよかったっていうふうに思ったんだ。アーシャに会えなくなるっていうもやもやした気持ちが、その晩の家族の顔を見て吹き飛んだように感じてた。




 子どもたちのけん引役になって、ひと月近く経った。結局、あれからアーシャには会えてない。木霊石こだまいしの合図はほとんど毎日送りあってるけど、合図の種類が少なくてきちんと会話できないのがもどかしかった。


 急に行かなくなって、アーシャ怒ってないかな。


 夜寝る前に寝台の上でくるまって、木霊石こだまいしをこつこつ叩きながらそんなことを考える。アーシャが怒ってる様子なんて想像できなかったけど、ぼくだったらきっとすごくがっかりするんじゃないかなってことは想像できた。


「こつこつうるさいな。静かにしろよ」


 ぼくが木霊石こだまいしを叩く音に、並んで横になってたダニロが文句を言ってきた。今日のダニロはちょっと機嫌が悪い。見習い先で嫌なことでもあったのか、ぼくにこんな風に言うのはめずらしかった。ダニロはよくぼくをからかうけど、怒って強く当たることはほとんどない。だからほんとうならぼくは、たまに機嫌が悪いくらいのことは気にしないでいればよかったんだ。でもこのときはぼくももどかしい思いで機嫌が悪かったから、思わず言い返した。


「ダニロの声のほうがでかいだろ。そっちこそ静かにしろよ」


 そう言い返したぼくの肩をダニロが小突く。それを振り払おうとしたぼくの手が寝台の角に当たってすごく痛かった。


「ダニロ、ミルコ、やめろよ。寝るときはちゃんと寝るんだ」


 部屋にいたブルーノがそう言ってぼくたちの頭を撫でる。ダニロはそれすら振り払ってたけど、ブルーノは何も言わなかった。ぼくはブルーノの指が髪の毛の間を通り抜けていくのを感じて、少しだけ気持ちが落ち着いた気がした。寝台にぶつけた手の甲をさすりながら、その日はそれで木霊石こだまいしに魔力を送るのをやめた。




 冬がぐっと近づいた翌日、今年最後になりそうな奥の森に年少の子どもたちを連れて行った。けん引役になってから続いてたやる気が昨日ダニロと言い合って萎んでしまってたぼくは、朝からずっとなんだか嫌な気持ちになってた。ダニロは朝になっても機嫌が悪かったし、手の甲は青くなってるし。森に行くのにこんな風に憂鬱な気分だったことははじめてだった。


「おはようレオン」

「ああ、おはよう」


 いつもみたいに森番小屋の前のつくえでお茶を飲んでるレオンに挨拶をする。


「今日は奥まで行ってくるからね」


 ぼくがけん引役になってから毎回森についてきてくれてるテオドーアが、ぼくの代わりにレオンにそう言った。


「ぼくたちは、今年はたぶんこれで最後だよ」


 ぼくはそう言って、テオドーアが言わなかったことを付け足した。


「そうか、気をつけてな。ただ、来週くらいまでは奥まで行ってもいいぞ」

「うん。そうなんだけど、来週はもうエルマたち7歳になる子が見習いでいなくなっちゃうから、奥まで行くのがぼくだけになっちゃうんだ」


 そう言ってぼくは、いつもより大きな背負い籠しょいごを担ぎなおしてみせる。


「だからほら、今日は採れるだけ採ってくるつもりなんだ」


 夏より前のぼくならとても担げないような大きな背負い籠しょいごの、幅の広い肩紐に両手をかけて揺すって見せた。


「そうか、気をつけてな」


 レオンはいつも通りのぶっきらぼうな言い方で、さっきと同じことを繰り返す。


「よい一日であらんことを」

「おたがいに」


 レオンに答えたぼくに続いて、子どもたちが口々にあいさつを返した。




 レオンとあいさつを交わして別れると、街道を東へ進んでいく。近ごろはこうして歩いてるときでも、魔素を体の中に巡らせてた。はじめのうちは歩くか魔素を巡らすかどちらかしかできなかったけど、木霊石こだまいしから届くアーシャの励ましの合図に背中を押されながら何度も繰り返してるうちに、いまでは同時にできるようになってた。そして、そうやって魔素を巡らせながら歩くと疲れにくいってことにもぼくは気づいてた。


「ミルコ、元気出してね」


 奥の森までの道のりの半分くらいのところで、一緒に来てくれてるテオドーアが不意にぼくに話しかけてきた。ちょうどぼくの周りにだれもいないときだった。ぼくがけん引役になってからは、それまでいつも隣を歩いてくれてたエルマもぼくから離れて年少の子たちと並んで歩くことが多かった。ぼくを手伝ってくれてるんだ。ぼくは魔素の巡りを止めないように気にしながら、ちらっとテオドーアを見た。


「……みんな、ぼくは元気になったって言ってるよ」

「うん、そうじゃなくてね」


 テオドーアはいつもみたいにあっけらかんとした感じでそういうと、こう続けた。


「最近、つたの向こうに行ってないんでしょ?」


 ぼくはちょっとどきっとして、その拍子に魔素の巡りが消えちゃった。それでこんどははっきりテオドーアのほうを見た。


 ぼくにとっては湖なんだけど、テオドーアにとってはつたの向こうなんだな。


 テオドーアの頭の上でつんつんと揺れる毛を見ながら、なんとなくそんなことを思った。


「まあね。そんなにわかる?」

「うん、最近ちょっと元気ないよね」


 確かに今日はすこし気持ちが落ち込んでる。だけどけん引役になってからはやる気を感じて頑張ってるつもりだったから、テオドーアにそう言われるのは意外だった。でもテオドーアはぼくのことをよく見てくれてるから、自分で気付いてないだけでほんとうにちょっと元気がなかったのかもしれない。ぼくが答えないまま前を向いて歩いてると、テオドーアが続けた。


「ねえ、こんど一緒に行ってあげるよ」


 なんとなく、テオドーアならそう言うんじゃないかなっていうことをそのまま言ってくれた。ぼくはちょっとだけ嬉しい気持ちになったけど、すぐにそんなことできないって思って答える。


「無理だよ、みんなを見てなきゃいけないから」

「そうじゃなくて。子どもたちと森に来る時じゃない時に」


 そうテオドーアが言ったのと同じことを、ぼくも考えなかったわけじゃなかった。でも子どもだけで森に入るのは大人たちが許してくれない。そもそも子どもはそこまで自由に動けない。働かないで遊ばせておくほど平民は裕福じゃないし、それに城の外は意外と危険だ。この城東しろひがしも、山の向こうまで続く森があって本当ならけっこう危険なんだ。でもレオンがきちんと見てくれてるから、大人が一緒にいるときだけこうやって森に入れる。そんなふうだから、なにか森に入る理由がないとぼくたちだけで湖まで行くなんてできない。


「……なんて言って? ぼくたちだけで森に入るなんてできないよ」

「それはなんとかして」


 テオドーアがどこまでもあっけらかんとそんなふうに言った。


 そんなことできるのかな。


 ぼくは首をひねって考えた。


「……なんとかって?」

「採石場の見学とか?」

「採石場?」


 石を砕く砕石場じゃなくて、石を採る採石場っていうことみたい。


「工場街の先に、鉱山とは別に採石場があるよね」

「えっ、そうなの?」

「知らなかったの?」


 いま歩いてる街道の先には工場街と鉱山があることしかぼくは知らない。父さんやバシリーおじさんの話には鉱石に関係することしか出てこなかったから、この街道の先は鉱山だけがあるって思い込んでた。


「そっか。オリバーもバシリーも鉱山の仕事だからね。でも石工が使う石もこの街道の先で採ってるんだよ」


 そうテオドーアが教えてくれる。石工の仕事に関係のある採石場をテオドーアと一緒に見に行く。いいかもしれない、それなら許してくれそうだ。


「……でも遠いよね。工場街でも奥の森のさらに向こうなのに、それより遠いんでしょ?」

「うん。だから、ヴィーゼが借りられないかな?」


 テオドーアすぐにそう答える。確かにレオンは以前、ヴィーゼは大人でも乗れる強さがあるって言ってた。何度も乗ったけど、ぼくくらいなら乗せて歩いてもほとんど関係ないみたいだった。


「……うん。それならいけるかも」

「ね、帰りにレオンに聞いてみようよ」


 テオドーアがまるで、これで決まりっていう感じでそう言った。


「……ねえ、テオ」

「なに?」

「それ、ずっと考えてくれてたの?」


 ぼくは並んで歩くテオドーアを見上げて聞いてみた。テオドーアはにっこり笑って、でもそれだけでまた前を向いて歩き続けた。テオドーアはなんていうか、ほんとうにとことんぼくに甘いんだ。



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