029 けん引役

「石工ってすごいんだね」


 砕石場からの帰り道、テオドーアと並んで街路を歩きながらいま見てきたことをあれこれと話した。ぼくの父さんや母さんは家から離れたところで仕事をしてるから、大人の人が仕事してるのをきちんと見るのはバシリーおじさんが内職をしてるの以外でははじめてだった。だからワレリーさんの働いてるところを見て、いろんな話を聞いて、ぼくは少し興奮してた。


 騎士団にもつながる仕事なんて、すごい。


 たぶん石工以外の仕事にもきっとすごいところがあるんだと思う。でもぼくは石工の仕事が街にとって大事だってことと、それに騎士団にもつながる仕事に自分が見習いに行けるかもしれないことにすごくわくわくしてた。


「そういえば、やっぱりクァトロのみんなにとってクアトロのユークレスは英雄なの?」


 騎士団の話でテオドーアがワレリーさんと盛り上がってたことを思い出して、そう聞いてみた。


「どっちかっていうと聖女さまが人気かな」

「クアトロのユークレスより?」

「うん。聖女さまがクァトロに優しかったから、みんな楽しく暮らせるんだよ」


 テオドーアはまるで自分が見てきてみたいに、あたりまえのことみたいにそう言った。


人間クィンクがクァトロに意地悪するところもあるって聞いてるよ。でもエムスラントは聖女さまが活躍したところだから、聖女さまがしたみたいにみんなクァトロに優しくしてくれる。ここではクァトロだからって意地悪されないんだよ。だからみんな聖女さまが大好きなんだよ」

「へえ」


 エムスラントの街がクァトロに人気があるっていうのはぼくも聞いたことある。ぼくは、いまテオドーアが話してくれたのがきっとその理由なんだ、と思った。


「でも、同じ町にいるのにクァトロはクァトロだよね」


 ぼくはたまに疑問に思うことを口に出した。


「どういうこと?」

「なんていうか、混ざらないんだね。クァトロの兄弟とかいたら楽しそうなのに」


 そういえばアーシャが人間クィンクとクァトロの違いを言ってたっけ。


「クァトロはクァトロだからね」


 クァトロはクァトロとしか夫婦にならない。人間クィンクとクァトロには子どもができないってテオドーアが言ってたけど、まだぼくにはよくわからなかった。クァトロたちは難しいことを聞いても「難しいよね」って言って終わっちゃうし、大人たちもあまりちゃんと話してくれない。


 見習いに行くようになったらそういうことも教えてくれるのかな。


 石工の仕事のことを考えてたはずなのに、いつの間にか大人になるってことを考えてた。でもそういうのはたいてい、考えてもなんにも答えが見つからないんだ。




 ぼくはほんとうに、どんどん体が丈夫になってきてた。いまではみんなと一緒に手前の森にいるはずのときでも、ぼく一人はぐれてアーシャに会いにいくことさえできるようになってた。木霊石こだまいしで合図を送れるから、すれ違いになる心配もない。だからわざわざ奥の森で疲れた振りをして誤魔化す必要もなくなった。いつも嘘をついてたのがすごく嫌だったから、嘘をつかなくてよくなってすごく楽になった。奥の森でみんなと一緒に動くのはとても楽しかった。


「……どう? 体の中を巡ってるのがわかる?」


 目を閉じて立ってるぼくの後ろから、アーシャが背中に両手を当てて聞いてくる。


「……うん、わかるよ。体の中だけでぐるぐる回ってる」


 あれから何度かアーシャと会ってたけど、魔法は教えてもらってない。ちゃんとした魔法をぼくに教えていいかがわからない、って言って教えてくれないんだ。だからいつもずっと魔素を体に巡らせるだけだった。今日は、いつも胸の前で手を合わせてできた輪の中に巡らせてる魔素を、手で輪を作らずに体の中だけで巡らせる練習をしてた。


「これができるようになれば、手を合わせていない時でもずっと練習ができるわ。歩いたり、誰かと話したりしてる時でもできるようになったら、きっととても役に立つはずよ」


 できるだけ自由に、考えなくても魔素を巡らせられるように。そればかりやってる。


「アーシャもそうやって練習してるの?」

「うーん、練習はしてないかな。私は物心ついたときには身体中に魔素を巡らせて生活してたから」

「……それってつい最近じゃないの?」


 さっき物心つきましたみたいな感じの小さなアーシャがそんなことを言うのは、なんだかすごくおかしな気がした。


「あはは! そうだねぇ。なんか今の偉そうだったね」


 そんなふうに言って笑い転げてる。こうして何度も会ってても、アーシャはやっぱりどこまでも不思議な女の子だった。




「ミルコは石工になるの?」


 別の日、みんなと一緒に手前の森にいるときにエルマが聞いてきた。今日は冬支度も兼ねてて、子どもたちは細かい薪をたくさん集めてる。めずらしく人間クィンクの大人たちもいて、この秋に実った高い木の上のほうにある大きな実をたくさん採ってた。


「うん、そうなると思う。でも来年の夏だね」


 名付け祝いは7歳か8歳になったときにする。たいていは7歳だけど、それぞれの家の事情で8歳にすることも多い。ふつうは名付け祝いをしてから見習いをはじめるんだ。


「わたしは次の春にはもう見習いに行っちゃっていないの。誕生月が冬だから」

「エルマは7歳で名付け祝いなんだね」

「うん。……わたしも8歳まで家に居たかったな」


 エルマが少し残念そうにそう言った。ぼくはみんなに追いつきたくて早く見習いに行きたかったから、家に居たいっていうエルマに少しびっくりしてそのまま口に出した。


「ぼくはずっとみんなみたいに見習いに行きたいって思ってたけど、エルマは違うんだね」

「だって、見習いに出たらみんなと一緒にいられなくなるし、たくさん怒られたりするのも怖いし……」


 エルマは俯いてそう言った。それを近くで聞いてた大人が、エルマをなだめて話しかける。エルマの街区に住んでるおじさんだ。


「7歳で名付け祝いができるってことは、それだけ丈夫に育ったってことだ。いいことさ、親に感謝しな」


 大人たちは、名付け祝いはほんとうの誕生日だってよく言う。それまでに死んじゃう子どもも多いけど、でも名付け祝いを過ぎれば世界に馴染んであんまり死ななくなるんだ。名付け祝いができるくらい体が強くなって病気で死んだりしなくなってから仕事をはじめないと、仕事場に迷惑がかかっちゃう。


「仕事場は2つ目の家族だ。親たちはきちんと名付け祝いまで育った子を見習いに出して、仕事場は見習いにしっかりと世間のことを教える。見習いに引き取ったからには、一人前に育てられないのは仕事場の恥だ。みんな大切にしてくれるさ」


 そう言い聞かされて、エルマの顔はちょっとだけ明るくなった。


 みんな自分の仕事場に誇りを持ってるんだな。


 おじさんの話を聞きながら、ぼくはそう思った。鉱石工場で下働きをしてるブルーノも、竹取りの見習いで毎日竹を運んでるダニロも、いつも疲れて帰ってくるしすごく大変そうだった。でもどの仕事もすごく大事で、この街に必要な仕事なんだ。ダニロなんて今年見習いになったばかりなのに、ぼくにはもう大人みたいに見える。ぼくは魔法騎士になると言ってはしゃいでいた小さいころの自分を、恥ずかしく、懐かしく思った。


「それにしてもミルコは本当に元気になったな。名付け祝いは9歳か10歳くらいになるかと思ってたぞ」


 おじさんがそう言って、不意にぼくの話になった。


「ほんと、もうわたしより足も速いし、息も切れなくなったよね」

「そんなにか。レオンとテオの言ってたことが正解だったんだな」


 みんなはぼくが元気になったのは奥の森まで行くようになったからだと思ってる。まあ、そのおかげでアーシャに会えたんだからそのとおりなんだけど。でもほんとうのことなんか言えなかった。


「エルマのおかげだよ」


 ぼくはすこし居心地悪く思いながらそう言った。




 森から帰ってくると森番小屋の脇にヴィーゼが出てた。「わぁ!」と声を上げて子どもたちが群がる。ぼくが元気になって、少し前から奥の森まで一緒に行かなくなってたから久しぶりだった。


「前は一度も見たことなかったのに、今日はどうして外に出てるの?」

「みんなの気配がしたからな。この秋に一緒に奥の森まで行った子どもたちのことが気になるみたいだ」


 エルマの質問にレオンが答えてくれる。


「お前たち、少しヴィーゼと一緒にいろ。レオンと話があるんだ」


 大人たちがそう言って、レオンと何か話し始めた。ぼくはみんなに混じってヴィーゼを撫でに行く。背中の滑らかな毛並みを撫でてると、ヴィーゼがぼくのほうに頭を寄せてきた。長い首を器用に曲げてぼくの頬におでこを擦り付けてくる。


「ヴィーゼ、いろいろありがとうね」


 久しぶりに会えたヴィーゼに、ぼくはお礼を言った。奥の森に行けるようになったのも、アーシャに会えたのも、魔素を流せるようになったのも、そしてこんなに元気になったのも、みんなヴィーゼのおかげだ。ぼくはみんなと一緒になって、心を込めてヴィーゼの背中を撫でた。


「ミルコ、ちょっといいか」


 話し終わった大人たちが戻ってきて、ぼくに声をかけた。


「ミルコ、今度からお前が子どもたちのけん引役になれ」

「えっ、ぼく?」


 子どもたちが森に行くときには、必ず子どもたちの中のだれかがけん引役をやることになってる。どうせ大人たちが付き添ってくれるけどたまに小さな子の世話で手が埋まっちゃうから、森に慣れてて体力のある年長の子どもがけん引役になってみんなをまとめるんだ。


「今週から8歳のやつが見習いに出ちまっただろう。今日は俺たちがいたけど、今度からは最年長のお前がやれ」


 最年長なんだからけん引役をやるのは当たり前だった。でもぼくはこれまで体が弱かったから、自分がけん引役になるなんていう考えがすっかり抜けてた。


「でもぼく、ついこの間まで奥の森に行くのもやっとだったよ」

「今はもう行けるだろう。本当に元気になったからな」

「頭の出来もいいしな。引き継ぎもほとんどできないけど、お前なら大丈夫だ」


 いつも母さんと買いものに行ってたから、ぼくが計算ができることは近所ではよく知られてた。ほとんど力仕事しかしない平民の間では、計算ができるやつは頭がいいってことになってる。


「レオンとも相談したんだが、ミルコなら大丈夫だってよ」

「ああ、大丈夫だと思う。ブルーノもダニロもやってたんだ。わからないことがあったら兄貴たちに聞けばいい」


 レオンもそう言ってぼくをけん引役に推した。ちょっと前なら考えられない、ぼくにとってはきっとすごくいいことだ。もし3ヶ月前のぼくが同じことを聞いたら、すごくよろこんだかもしれなかった。でもいまは他のことが気になっちゃってた。


 どうしよう……アーシャに会えなくなっちゃう。


 ぼくは大人たちとレオンの顔を順繰りに見回しながら、なにも返事ができないでいた。大人たちはそんなぼくの様子を見て、自信がなくて尻込みしてるんだと思ったみたいだ。


「大丈夫だ、自信を持て」

「ああ、そうだぞ。まだ体は小さいけど、さすがはオリバーの子だ。今日もミルコの周りは安心して見ていられたぞ」

「あのミルコがこんなに元気になって、俺たちは嬉しいよ。しっかり頼んだぞ」


 父さんのことを持ち出されたら断れない。


 どうしよう……どうやってアーシャに会おう。


 しきりに励ましてくれる大人たちに囲まれて、ぼくはみんなの言葉とは全然違う悩みで頭がいっぱいになってた。



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