027 平民の事情

「じゃあ、おじさまの体に魔素を流したってこと?」


 アーシャが少し眉を寄せてぼくに聞いてきた。アルマとおつかいに行った4日後の地の曜日に奥の森まで来ることになって、木霊石こだまいしのおかげですんなりアーシャと会えたんだ。いつもみたいに小川の脇に腰を下ろして、ぼくはバシリーおじさんのことをアーシャに話したところだった。


「うん。はじめはなんとなく手を当てただけだったんだけど、気づいたら流してたって感じかな」

「ふーん……」


 アーシャはちょっと考え込んで、それからぼくの目をのぞき込むみたいにして言った。


「すぐに流れた?」

「……うん、たぶん、すぐに流れた気がする」

「ふーん……」


 アーシャはまたちょっと考え込んだ。


「ダメなことだったのかな?」


 ぼくはなんだか不安になって思わず聞いた。


「あ、ううん、ダメじゃないと思うよ」


 そう言って両手のひらをを胸の前でふるふると振ると、アーシャは続ける。


「何かに魔素を流すのってそんなに簡単にできないはずなんだよね。ほら、ミルコも前にストロジオに魔素を流したら嫌がられたって言ってたでしょ?」

「ああ、ヴィーゼだね……うん、嫌がられた。でもあのときは自分で流せたかどうか自信がなかったけど」


 はじめてアーシャに会った帰り道で、ヴィーゼの背中に乗ったぼくがアーシャに教えてもらったことを思い出してたら、ヴィーゼがなんだか迷惑そうに鳴いたんだった。でもあのときはまだ自分が魔素を流せてるかどうかをぼくは感じられなかった。


「うん。それね、たぶんほとんど流せてなかったと思うよ。自分以外の何かに魔素を流そうとしても抵抗があるはずなの」

「ていこう……?」

「あー、えっとね。流れにくいっていうか、流れないように押し返される感じがするの」


 そのあとアーシャが説明してくれたのは、つまり魔素を流すのは不自然なことだから、本当はがあってすんなり流れないってことだ。アーシャがぼくを治癒してくれたときみたいに、いまから流してもらうっていうつもりがあればそんなにもないみたい。でもヴィーゼのときは背中に乗って首の後ろにいきなり魔素を流そうとした感じだったから、ヴィーゼも嫌がったしほとんど流れなかったんじゃなかって。


「じゃあ、おじさんにもほとんど流れなかったのかな」

「ううん、流れたんだと思う。ミルコはもう魔素の流れを感じられるでしょう?」

「うん、そうだね。感じられる」

「おじさまに魔素を流したときは、きちんと流れてるって感じた?」

「うん、感じた。おじさんはそれで気持ちよさそうにしてたし、あったかいって言ってたよ」


 ぼくがそう言うと、アーシャは何度か大きく頷いた。


「ミルコとおじさまの間に信頼関係があるから、おじさまの体がミルコが流す魔素にほとんど抵抗しなかったんだと思う」


 それからぼくたちは、小川の脇に落ちてる木の葉や笹の葉、小枝なんかを使って自分以外のものに魔素を流してみたりして過ごした。ぼくは、とくに薄っぺらい木の葉や笹の葉なんかにはほとんど魔素を流せなかった。




 その週末の夕食どき。父さんがぼくのことをレオンから聞いてきたと話しはじめた。


「ずいぶん丈夫になって、同い年の子たちと変わらないくらいだって言ってたぞ」


 近ごろ自分でも感じてる通りに、ぼくは体が強くなってた。周りの子たちと同じふうに動いても全然疲れないし、息も切れなくなってた。むしろみんなより強くなってるんじゃないかって思うくらいだった。でもアーシャと会うためにまだちょっと弱くて疲れてるふりをしてるんだけど。おとといなんか、みんなが疲れてしゃがんでるときでもぼくが平気そうな顔で立ってるのをエルマが見つけて「なんで大丈夫なの」って聞かれてちょっと困った。平気じゃないよ、すごく疲れて動けないだけだよって誤魔化したけど。


「ミルコも8歳から見習いに行けそうね」

「そうだな、9歳か10歳まで無理かと思ってたけど、みんなに追いついてきたな」


 父さんと母さんがそう言ってぼくの肩をぽんぽんと叩いた。アルマと話してた通りに、ぼくも来年には見習いに行けそうだ。


「ミルコはどこに出すの?」


 ダニロが横から聞いてくる。


「そうだな……。加工場か竹取りに出せると安心なんだけどな……」


 加工場は父さんの職場、竹取りは母さんの籠工場の伝手つてでダニロが見習いをしてる仕事だ。なんとなくそのどっちかになるのかな、とぼくも思ってた。


「ダメなの?」


 はっきりしない言い方をした父さんにダニロが聞く。


「ダメじゃないんだが、ちょっとな」


 そう言って父さんは説明しはじめた。


「加工場にはブルーノを見習いに入れてもらっていて、たぶんそのまま続けさせてもらうことになるだろう。でもな。鉱山の方は人手はいくらでも欲しいけど、加工場の方は本当は鉱山を抜けた爺さん連中や工場街の母親たちの職場なんだ。だから若い人手はそんなに何人も必要としてない。俺が班長をやってるからって、その伝手つてで息子を何人も引き込むのはちょっとな」


 いい見習い先はみんなが行きたがる。ケガの心配がほとんどなくて仕事もなくならない鉱石加工場の見習いは人気があるんだ。


「それにミルコは三男だ。無理して俺の職場に引き込んだとしても、結局下働きで終えるしかない。兄弟を何人も上役に引き上げると周りからの反発があるからな」

「そうだね。そもそも今年も来年も新しい見習いが決まってるんだ。その子たちはそのうち鉱山に回す予定だけど、でもこの先2〜3年はもういっぱいだよ」


 ブルーノも少し複雑そうな顔をしてそう言った。


「竹取りもそんなに人数のいる仕事でもないしな」

「ええ! すっごく忙しいのに」


 父さんの言葉にダニロが声を上げた。


「そんなの当たり前だよ。暇な職場なんてあるわけないだろう」


 ブルーノがぴしゃりと言い聞かせる。


「じゃあどっちにも行けないの?」


 そもそもぼくはいつ見習いに出られるかもわからなかったから、自分がどんな仕事をするかなんてこれまで考えてこなかった。ブルーノやダニロのところに行けないなら、他にどんな仕事があるのかな。


「ミルコ、猟師になったらどうだ。狼に会えるぞ」


 ダニロがにやりと笑いながら言った。


「やだよ! だいたいダニロは騎士になりたかったって言ってたじゃん。ぼくが代わりに竹取りやるから、衛兵になって騎士を目指せばいいじゃん」

「ダメだよ。ぼくはもう仕事で頼りにされてるんだ」


 偉そうにそう言うダニロに言い返そうとして、でもぼくは言葉に詰まっちゃった。ダニロは小さいころからすごく元気で、近所の子たちから頼りにされてた。きっとほんとうに頼りにされてるんだと思う。それに比べて体の小さなぼくは、どこに行っても頼りにされないかもしれない。


 見習いに行って、だれにも頼られなかったらどうしよう。みんなみたいに働けなかったら、どうしよう……。


 言い返せない悔しい気持ちと、見習いに出ることへの不安な気持ちが膨れてきた。食べかけの皿の両脇に置いた拳に力が入る。机の脚が軋んでパチンと音を鳴らした。


「……!」


 父さんとブルーノが目配せをする。ぼくの隣に座ってた母さんがさっとぼくに体を寄せて背中を撫でてなだめてくれた。


「ミルコ……。私は猟師も衛兵も、危ない仕事は嫌よ」


 そう言ってぼくの頭を胸元に抱き寄せた。ぼくは役に立てなかったらどうしようって考えてたのに、母さんは危ない仕事のことで不安になってるって勘違いしてるのかな。でもギュッと抱き寄せてもらった頭が気持ちよくて、不安な気持ちは少し楽になった気がした。


「計算ができるから商人に見習いさせてもらえばいいじゃん」

「買いものの計算ができるくらいで商人が見習いに受け入れたりしないだろ」


 母さんの胸に埋まっちゃったぼくを放ったらかして、ブルーノとダニロが話を進めていく。商人のところに見習いに行けるならそれはとてもいいことだ。身入りもいいし、安定してるって。でも親の仕事や身分も関係してて、仕事の中身がかけ離れてたり身分に差があったりしたら見習いにしてもらえない。


「それで言うと父さんの仕事って何になるの?」


 ダニロが父さんに聞いた。


「広い意味では鉱業の人夫だな。鉱石加工場は手仕事だけど職人扱いじゃなくて専属人夫になるんだ。そもそも鉱業関係は職人ギルドじゃなくて領主さま直轄だからな」


 父さんは元は加工場の人夫だけどそこで出世してきてるからただの人夫じゃなくて、加工場の班長になってる。いまはそれが父さんの仕事だ。その三男のぼくじゃそう簡単に商人の見習いにはなれない。でも例えば衛兵みたいに、家の仕事はあまり関係ないっていう仕事もあるみたい。もし衛兵になる事ができれば実力が大事な職業だから、場合によっては騎士の端くれに取り立てられることもあるんだ。でも衛兵は体の大きな子たちがなるものだ。


 ぼくの小さい体じゃ、衛兵もないか……


 農業は農家のものだし、狩猟は危険で長く続かない。商人になれればいいけど高嶺の花。結局、ぼくの立場で考えたときの一番の目標はできるだけ大きな工場で専属の人夫になること。日雇いで毎日どこで働かせられるかわからない人夫と違って、専属なら仕事も覚えられるし父さんみたいに出世することだってある。


「ただし鉱山以外でね」


 母さんが釘を刺した。鉱山の仕事はバシリーおじさんの事故もあって家族はみんな賛成しない。そうなるとあとは街の中の仕事とかになる。父さんが言うには、木工、石工、鍛冶、屋根工あたりはあまり家の仕事も関係ないみたい。でも全然知らない仕事ばっかりだ。


「ま、竹取りがダメって決まったわけじゃないし、一度聞いてみたらいいじゃん」

「そうだな。工場街も、うちの加工場じゃなくてもどこか見習いの口があるかもしれない」


 なんだかんだ言ってダニロも真剣に考えてくれてる。ブルーノは工場街で周りに聞いてみるって言ってる。ぼくの家族はいつでもこうやってぼくのことをみんなで考えてくれてた。ぼくはそれを小さなころからずっと見てきた。こうやっていつもの自分の椅子から、みんながぼくのことを話す様子を見てきた。


 みんなの役に立ちたいな。


 ぼくの体は強くなってきた。もう周りのみんなに追いついてきたんだ。早く見習いに出てみんなの役に立ちたいっていう気持ちが大きくなる。そして、奥の森に行ったときにそんなに疲れてないのに疲れたと嘘をついてアーシャに会いに行ってることを、いつもよりもずっと後ろめたく感じた。



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