026 アルマとおつかい

 アーシャから木霊石こだまいしをもらった次の週、ぼくはアルマとおつかいに来てた。今日は森の曜日で、いつもより少し大きめのいちが立つ。本当ならぼくは奥の森に行きたかったけど、付き添いの大人の人数が足りなくて今日は奥までは行かない。テオドーアも今日はいなかった。だから森の曜日に合わせて仕事を休んだアルマと一緒におつかいに行くことにしたんだ。


「おいで、ミルコ」

「うん……」


 井戸端に降りると、アルマがてを差し出してきた。ぼくはちょっと照れくさい気持ちになりながら、その手を握って一緒に歩き出す。実はアーシャに出会った頃から、ぼくはアルマのことを女の人だって意識するようになっちゃってた。アルマはぼくの周りにいる女の人では、なんていうか、一番「年ごろ」だった。小さな頃からダニロとはよくケンカしてたけど、ぼくにはずっと優しかったし、よく面倒を見てくれて本当のお姉さんみたいな存在だ。アルマのためにバシリーおじさんを治してあげたかった。それができなくてなんだか申し訳ない気持ちだった。




 アルマと二人で出かけるときも、母さんと出かけるときみたいにはじめに教会に行く。ぼくの地区の教会は、街の内側の新しい城壁にある新しい東門の門外広場に面してる。いつも森に行くときに通る外側の城壁の旧い東門に比べると、新しい東門は大きいしすごく頑丈そうだ。門の両側に続いてる新しい城壁も旧い城壁に比べて高くて分厚い。


 厚みは見ただけじゃわからないんだけどね。


 なんとなく、城壁の厚みってどれくらいなのかなと考えながらアルマに手を引かれて教会に入る。入ったところが部屋ホールになってて、そのすぐ奥が礼拝堂だ。正面に六大神の彫像が飾られてる。周りには六大神が一柱ずつ肖像画になって飾られてる。礼拝堂に椅子はなく、正面の肖像画と平行に細長い絨毯が何列にも敷いてある。祈るときはそこに両膝をついて祈るのが正式なお祈りだ。手前よりの絨毯にアルマと並んで座ってお祈りする。


「世界に遍く満ち満ちたる 力の源である神々よ 我の願いを聞こし召さらば 我が家に平安を与え給え」


 祈りが終わるのに合わせて、両手をひろげて戴きあげる。とくにお願いごとでもなければお祈りはこれでおしまいだった。


「周りも見ていい?」

「いいわよ」


 アルマにお願いして周りの肖像画にもお祈りをしていく。祈り方がわからないから「天空の神よ」とか神様の名前だけのお祈りをする。一柱ずつお祈りしてもそんなに時間はかからない。そうやってお祈りをして回るぼくを見て、いいことだよと言ってアルマが褒めてくれた。




 小さい頃は、アルマとおつかいに来てもお手伝いどころかむしろお荷物だった。おつかいじゃなくて子守で連れられてたんだからあたりまえなんだけど。でもいまはきちんと荷物を持ってお手伝いできるようになってた。


「こんにちは」

「いらっしゃい」


 アルマがもうおばあさんのような歳の女の人に声をかける。母さんともいつも来る野菜の店だ。市場では、いつも同じ値段のものを売ってるお店はツケ払いだけど、野菜なんかは日によって値段が違うからその場で支払う。ここのおばさんはいつも売ったものの値段をきちんと覚えてて最後に全部でいくらになるか教えてくれる。どんな下町のお店でも商人はやっぱり頭がいい。簡単な計算なら父さんもできるけど、いつも買いものをする分だけ母さんとか近所の母親たちの方が少し計算がうまい。


「今日は全部で1オード2エンスだね」


 おばさんがそうと言うと、アルマがぼくを見る。ぼくはずっと母さんと一緒にお買いものに来てたから計算が得意だった。


「うん、あってるよ」


 ぼくがそう言うとアルマは安心して払う。おばさんも悪い顔はしない。ぼくが小さいときから計算の練習をしてたのを知ってるし、間違えるよりずっといいから。


「はい、たしかに。まいどありがとうね」

「ありがとう。また来ます」

「またねー」


 その後もひと通り買いものをして、荷物を抱えてアルマと並んで歩く。この地区、ぼくの住んでる東の街区は人の住んでる建物がひしめき合うようにして建ってて、その間を縫うようにして街路が走ってる。井戸はそれぞれの街区の内側の路地にあるから、表側は市場通りを除くとほとんどぜんぶ街路だ。建物は3階建てで、でもほとんどの屋根裏にはクァトロが住んでるから4階建てみたいなものだ。そういえばアーシャがクァトロはもともと鳥なんじゃないかって言ってたけど、みんなが屋根裏に住んでるなんて確かに鳥みたいだ。


 でもクァトロって飛ばないよね。


 そんなことを思いながら狭い街路に切り取られた空を見上げると、クァトロの子どもたちの声が屋根裏の窓から聞こえてきた。


「よい午後であらんことを」

「おたがいに」


 たまに建物の入り口に腰掛けたおじいさんやおばあさんがあいさつしてくれる。それに対してぼくもなにげなくあいさつを返す。そんなぼくをしげしげと見てからアルマが言った。


「ミルコ急に元気になったね」

「…そう思う?」

「うん。荷物もたくさん持ってくれるし。それにこうしてお話しできるじゃない」


 そういえば前は歩くのに必死であいさつは母さんやアルマが返してくれてたっけ。いつの間にかぼくがあいさつするようになったんだった。


「やっぱり奥の森まで行くようになって体力ついたのかな」

「うん、きっとそうだね」


 ほんとうはアーシャのおかげだけどね。


「8歳になったら見習いに行けるね」


 ぼくは夏の生まれだから夏一月なついちがつの最初の日、立夏の日に8歳になる。つい2ヶ月くらい前までは8歳どころか9歳になっても見習いに行けないんじゃないかって心配されてたけど、でも確かにいまのぼくなら……


「うん、そうだね。8歳から行ける気がする」


 アルマに言われて突然そのことに気がついた。


 そうだ、ぼくはもうみんなと同じくらい強くなった。みんなみたいにもう見習いに行けるんだ!


 子どもたちはだいたいみんな6歳になると見習い先の話をしてるけど、これまでぼくには見習いの話は出たことなかった。だから、全然思いつかなかったけどどうするのかな。見習い先はふつうは父親が決めるはず。


「何になるのかな、父さんはもう何か考えてるのかな」

「どうだろうね。最近強くなってきたからできる事が増えたし、いろいろ考えてくれてるんじゃない?」

「まあ、強くなったって言ってもたぶんみんなと同じになっただけだけどね」


 でもみんなと同じになっただけでもいろんなことが変わるはずだ。たとえば周りの子どもたちは4〜5人の兄弟が多いけど、ぼくの家は兄弟が3人しかいない。ぼくが弱くて手がかかるから次の子を産めなかったんだ。もっと強くなって、きちんと働いてみんなの役に立ちたい。そしたらきっと母さんがかわいい弟か妹を産んでくれるんだ。クァトロみたいに兄弟がたくさんになったらいいのに。


「ぼくが見習いに行ったら兄弟が増えるかな」

「え、あー……」


 アルマを見上げながらそう聞くと、アルマはちょっと考えるような感じで斜め上を向いた。


「そ、そうね。……増えるといいよね」

「クァトロみたいにたくさん兄弟がいるといいのにな」


 なぜか顔が赤くなってるアルマにぼくのちょっとしたねがいごとを話す。兄弟が多いっていいよね。


「そっ……それはちょっ……ちょっと無理じゃない、かなぁ……」


 アルマは兄弟の話はあまりしてくれなかった。




「こんにちは、バシリーおじさん」

「ああ、ミルコ。ありがとうな」


 ぼくたちの街区に着いて買ったものをアルマの家まで運ぶと、バシリーおじさんにあいさつをした。こうしてバシリーおじさんと顔を合わせると、直してあげられなくて申し訳ないっていう気持ちが溢れてくる。


「今日は仕事してたの?」

「ああ、まあな」


 バシリーおじさんはたまに痛くて座ってられない日もあって、そんなときは仕事ができないって言ってた。でもケガしてから何年も経って近ごろはそういうこともあまりなくて、ほとんど毎日仕事ができてるみたい。


「ただ、だんだん寒くなってくるとたまに痛えんだけどな」


 そう言ってバシリーおじさんは左の手で自分の腰からお尻のあたりを撫でさする。


 痛いのだけでも治せたらいいのに……


 辛そうに撫でさする様子を見てたぼくはなんとなくそのすぐ隣の床に膝をつくと、たったいまバシリーおじさんが撫でさすってたあたりに右手を当てた。そして左手をバシリーおじさんの左の膝に乗せると、その姿勢のまま魔素を流してみた。ぼくの両手と、バシリーおじさんの左の太ももでできた輪の中にぐるぐると魔素を巡らせる。


「ああ……ありがとうよ。そうやって手を当ててもらうのはあったかくて気持ちいいんだ」


 バシリーおじさんはそう言って気持ちよさそうに目を閉じた。たぶんぼくがただバシリーおじさんの痛いところをただ触ってあげてるんだと思ってるみたい。アーシャとの約束もあるから、ぼくもただ手を当ててるだけの振りをしたまま魔素を流し続けた。


「ああ……」


 バシリーおじさんが小さな声を漏らす。その声を聞きながら、ぼくはさっきまで一緒におつかいに行ってたアルマが、ぼくが元気になったことをどれほど喜んでくれてたかを思い出してた。それからアーシャから、ぼくの治癒魔法ではバシリーおじさんを治せないだろうって言われたことも。


 ぼくはまだなんにも役に立ってないんだ。7歳なのにまだ見習いでもないし、おじさんも治せない。


 8歳から見習いに出られるっていう嬉しい気持ちはとっくに何処かへ吹き飛んじゃって、ぼくはただじっと『治れ』……『治れ』と頭の中で呟きながら魔素を流し続けた。バシリーおじさんはその間ずっとぼくの頭を優しく撫でてくれた。



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