023 治癒魔法

「これは私が勝手にそう思ってることなんだけどね」


 アーシャはまずそう前置きした。


「魔素は、なんていうか、世界のことがよくわかってる感じがするの」

「世界のこと?」

「そう。世界がどうやってできてるかっていうこと。物の理もののことわりって言ってもいいわ。つまり、世界が何でできていて、どうやって動いてるか。暖かくなったり冷たくなったりするのはなぜか。そういう、っていうことを魔素は知ってると思うの」


 アーシャは両手を広げてひらひらとその手を動かす。


「風が何でできてるか、水はどうして流れていくのか、りんごはどうして木から落ちるのか、とかね」

「どうしてなの? ぼく、そんなこと考えたこともないよ」


 アーシャの言い方だと、いま言ったぜんぶに理由があるみたいだった。でもそんなののことで、なんてこと考えたこともない。


「アーシャは知ってるの?」

「私? うーん、たぶんみんなよりちょっと知ってると思う」

「そうなんだ……」


 お姫さまだと、こんな小さな頃からそういうことを教わるのかな。


 ぼくはアーシャの賢そうな目を見ながら、そんなことを思った。


「それでね。魔素はその物の理もののことわりをちょっと強くしたり、ちょっと弱くしたり、そんな感じに動いてくれるみたいなの」

「それが、魔素を使うっていうこと? 魔素に何かを、だったっけ?」

「そうそう! 私、前にそんなこと言ってたね」


 ……アーシャは時々ちょっといい加減だ。


「でも、それだとをぜんぶ分かってないと魔法が使えないじゃん。ぼく、そんなのわかんないよ」

「そこまで難しく考えなくていいわ」


 アーシャは両手を振って否定した。


「ミルコは擦りむいたりとか、怪我をしたりしても、そのうち治るでしょ?」

「うん、そうだね」

「その手足の傷も」

「まあ、放っておけばそのうちなおるよ。今日中にはなおらないけど」


 だから困ってるんだ。


「つまりね、ミルコには元々傷を治す力があるっていうこと」

「ぼくに?」

「うん。ミルコだけじゃなくて、私も、ミルコのお友だちのテオも、みんなの体には自然に傷を治す力があるの」


 アーシャのその言い方で、ぼくははっと気がついた


「……そっか。小さな傷は自然に治る。それはぼくの体に、自然に傷を治す力があるからっていうことなんだ」

「そういうこと」


 小さな傷が治るっていうのことには、体には自然に傷を治す力があるっていう理由が、つまりっていう理由があるんだ。すごい!


「でね、さっき言った通り、魔法は魔素に物の理もののことわりをちょっと強くしたり弱くしたりさせることなの。だから治癒魔法っていうのは……」

「体が自然に傷を治す力を、ちょっと強くする」

「そう! そういうことなの! すごいよ、ミルコは賢いね!」


 アーシャが褒めてくれた、かわいい。なんだかそれだけで傷がなおっちゃいそうだ。でも褒めてくれたけど、ぼくがすごいんじゃなくてきっとアーシャが教えるのがうまいんだ。だってぼくはもう、魔法を使うっていうことがどういうことなのか、ちょっとわかるような気がしはじめてた。


「ほんとは『皮膚』がどうなってるかとか『細胞』のこととかまで分かった方がいいんだけど、今はそこまで分からなくてもいいわ」

「『皮膚』?」

「うん、それはまたいつかね」


 アーシャがよくわからない言葉を使うのはまだ小さな子どもだからだと思ってたけど、でも本当にぼくが知らないこともたくさん知ってるのかもしれない。


「ミルコは魔素を自分の体に流す練習してるでしょ。たぶんそれだけでも傷の治りが早くなるよ」

「えっ、本当? ぼくもう治癒魔法できてたの?」

「ううん、治癒魔法っていうわけじゃなくてね。魔素を意識して体に流してると、体を良好な状態へと改善してくれるの。……体調を整えてくれるの。……要するに元気になるの」


 むずかしい言葉にぼくが首をひねってると、アーシャが簡単な言葉で言いなおしてくれた。でもそれでときたんだ。


「そうか! それでぼく元気になったんだ!」


 近ごろぼくはすごく元気だ。熱も出なくなったし、今朝も奥の森までとっても簡単に来られた。


「もう実感してるの?」

「うん! ぼくすごく元気になったんだよ」

「よかったね」


 アーシャもとっても嬉しそうにそう言ってくれた。さっきまでぼくのことを話してたから、ぼくが体が弱くて苦労してることもアーシャは分かってて喜んでくれてるんだ。


「それなら、ミルコはきっと治癒魔法なんてすぐできるよ」

「アーシャがそう言うならできる気がしてきた」

「うん、きっと簡単だよ。……じゃあまず自分の体に魔素を流してみて」


 ぼくは早速、両手を合わせてお祈りする姿勢になると、目を閉じて魔素を流そうとした。


「あ、ちょっと待って」


 魔素を流す前にアーシャがそれを止める。


「足の裏も合わせられる?」

「……こう?」


 ぼくは草の上にじかに座ったまま、両足の靴の裏を合わせた。


「靴は履いてていい?」

「たぶん大丈夫。そのまま手だけじゃなくて足にも流してみて」


 ぼくはあらためて目を閉じると、言われた通りに足にも魔素を流してみる。左足から太ももを通って腰へ、そのまま右の太ももを通って右足へ、靴を通り抜けてまた右足へ。足を意識してたら自然と手にも流れはじめたのが分かった。手と足と、二つの輪の中を魔素が流れていく。


「そう。そのまま。……そのまま、傷がついてないきれいな手足を思い出してみて。例えば……今朝起きたときの自分を思い出してみて」


 今朝はいつものふつうの朝だった。手も足も傷がなくて、いつもとおんなじに起きてすぐに着替えたんだっけ。


「そのまま、流れてる魔素に、きれいな肌にしてってお願いしてみて」

「お願い?」

「そう。きれいにしてってお願いするの」

祝詞のりとじゃなくて?」


 物語の魔法使いは祝詞のりととなえて魔法を使うんだ。


祝詞のりとでもいいけど、今はなくてもいいわ」


 うん、アーシャならそう言うと思った。


 ぼくはそのまましばらく頭の中で「きれいにして」ってお願いしながら、魔素を流しつづけた。でも不意に、虫が耳元に飛んできて手で振り払っちゃったから、魔素の流れはそこで途切れた。


「……どう?」


 アーシャが聞いてくる。ぼくは自分の両手を見た。


「……すごい! 治ってきてる!」

「ね! できたでしょ?」


 すごい! 全部きれいになったわけじゃないけど、たしかに傷がよくなってる。ぼくにも治癒魔法が使えたんだ!


「……これ、祝詞のりとを唱えたらもっと早く治るかな?」


 ぼくは聞いてみた。祝詞のりとを唱えて治癒魔法が使えたら、なんだかかっこいい。


「きちんと唱えたら今より早く治るかもね。まあ、物語に出てくる祝詞のりとがどんなものなのかわからないけど」

「あ、そっか」


 物語の祝詞のりとは話す人によって全然違ったりする。どれが本当の祝詞のりとかなんてぼくにはわからない。


「ふつうにお祈りしてみたら?」

「お祈り?」

「うん。……いつもどんなお祈りしてるの?」


 首をかしげながらアーシャが聞いてくる。


「いつもは、お礼の気持ちを思い浮かべながら、神様の名前を呼んでる」

「神様の名前? 天空の神とか?」

「そう。天空の神よ、とかって言ってる」


 井戸端や街中まちなかでお祈りするときは、神様の名前を呼ぶだけだ。


「もうちょっとちゃんとしたお祈りはしないの?」

「ちゃんとしたのは……母さんと礼拝堂に行くときはちゃんとお祈りする」

「どんなの?」


 ぼくは両手を合わせてお祈りの姿勢になると、母さんのお祈りを思い出して唱えた。


「世界にあまねく満ち満ちたる 力の源である神々よ 我の願いを聞こしさらば 我が家に平安を与え給え、ってやつ」

「うーん……ちょっと治癒魔法には合わないかな……」


 アーシャはそう言うと、ぼくの目を見つめたままさっきと反対側に首をかしげた。だからそれちょっとずるい、かわいい。


「あのね、魔法で使われる祝詞のりとは、ほんとはきちんと管理されてるの。だから私がミルコに教えて、それが誰かに知られるとあんまりよくないと思う」


 アーシャはしばらく「うーん」と言ってから続けた。


「でも、そうね……。ミルコには特別なお祈りを教えてあげる」

「とくべつ? ……どんなの?」

「これはほんとに内緒だよ」


 アーシャはだれにも言わないとぼくに約束させると、またさっきみたいに魔素を流すように言った。ぼくは両手を合わせて、両足の裏を合わせて、目を閉じて魔素を流しはじめる。


「じゃあ、きれいな手足を思い出しながら、頭の中でこう言ってみて」


 そうしてアーシャがとくべつなお祈りの言葉を教えてくれる。


「『治れ』。……わかる? 私が以前いた国の言葉で「治れ」っていう意味なの。もう一回言うね。……『治れ』。」


 聞きなれない言葉だけど、ぼくは頭の中でそれを繰り返した。


 『治れ』……『治れ』……『治れ』……


 しばらくそうしてたら、なんだか手足があったかくなってきた。はじめてアーシャに会ったときに傷をなおしてもらった、そのときの感じによく似てた。だからぼくは、アーシャのとくべつなお祈りが効いたんだって、すぐに気がついたんだ。


「やった! もういいよ」


 アーシャの声を聞いてぼくは目を開ける。手足を見ると、そこにさっきまでたくさんあった治りかけの傷はぜんぶ無くなってて、朝起きたときと同じきれいな肌になってた。顔を上げるとそこには「どう?」って感じでほんの少しぼくを見下ろしてるアーシャの得意げな笑顔があった。

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