022 森の離宮

 アーシャは、前回と同じ場所に立って、同じように胸の前で小さく手を振ってぼくを迎えてくれた。いつもと同じ作りの服で、色がちょっとだけ違った。このあいだは白と青の組み合わせだったけど、今日は白の代わりに薄い緑色の服を着てる。あいかわらず小さくて、とっても可愛かった。


「おはよう、ミルコ」

「おはよう、アーシャ」


 アーシャに会うのはほとんど2週間ぶりだった。久しぶりだし、今日は来られないと思ってたからすごく嬉しい……はずだった。でも、ちょっと心が晴れない。そんなことを思ってたら、あいさつが終わるとすぐにアーシャが、真顔になってぼくをまじまじと見つめてきた。


「どうしたの?」


 ぼくがテオドーアのことを気にしてるのがすぐに伝わっちゃったんだ。きっと、なんだかもやもやしてきちんと笑えてなかったからだと思う。


「えっとね。今日、ここに来るのに大人のクァトロに一緒についてきてもらったんだ」

「……誰かに話したの?」


 アーシャが心配そうな顔になる。ぼくは慌てて付け足した。


「あ、えっと……詳しいことは話してないよ。その人、テオドーアっていうんだけど、ぼくの家の上の屋根裏に住んでるんだ。小さい頃からぼくのことをよく見てくれてて、いつもいろいろ助けてくれるんだ。……今日でょっとここまで来れないかもしれなくなって、それでテオが一緒についてきてくれたんだ」

「そうなんだ。……その人は? どこにいるの?」

「それが……」


 ぼくはテオドーアがここまで来られなかったことをアーシャに話した。今日ここに来るのにほかの子どもたちと別々にならなきゃいけなかったこととか、先にアーシャに会ってデオドーアに湖を見せていいかを確認するつもりだったこととか、そんなこともぜんぶ話した。


「そっかー、入ってこられなかったんだ。やっぱりミルコが特別だったんだね」

「……どういうこと?」


 聞き返しながらぼくは、なんとなくわかる気がしてた。それでもアーシャに確認した。アーシャが答えてくれる。


「前にも言ったと思うけど、この湖は守られてるの。狼とか魔物とかが入ってこられないようになってる。でもそういうけものとかだけじゃなくて、知らない人からも守られてるの。だからあの建物を管理してる人が認めた人以外は入ってこられないんだと思う」


 アーシャは、湖の向こう岸にある建物をちらりと見ながら教えてくれた。


「ふーん。じゃあやっぱりテオは入れないんだね」

「うん、そうだね。そう思う」


 アーシャが残念そうにそう言った。テオドーアに話したこともあまり気にしてないみたい。アーシャが怒ってなくて、ぼくと同じように残念そうにしてくれてることで、ぼくはほっとした。でも同時に疑問も湧いてくる。


「じゃあ、ぼくはどうしてここに入ってこられるの?」

「そうなのよね。私も詳しくわからないんだけど……」


 そう言って右手の人差し指をあごに当てながらアーシャが自分の考えを教えてくれた。


「前に、私が誰かに見つけてほしくて『笹舟』を流したって言ったじゃない?」

「うん」

「ほんとならその『笹舟』も結界の外までは流れていかないはずなの」

「けっかい?」


 ぼくの知らない言葉だ。


「あ、結界っていうのはね。ある範囲を守るための魔法のことを言うの。ここには湖をぐるっと囲う範囲で大きな結界が張られてるわ」


 アーシャは左手を開いてぐるっと湖の周りを示しながらそう言った。


「その結界の外からも中からも、あの建物を管理してる人が認めないと出入りできないようになってるの」

「そうなんだ。そんな魔法があるんだね」

「そう。だから私の『笹舟』もほんとなら外まで流れていかないはずだったの」

「うん」


 ぼくは、前にもアーシャがそんなことを言ってたのを覚えてた。


「でもあのとき私は、と思って流したの。ミルコはあのときなにしてた? なにかを見つけたいとか、なにかが欲しいとか、そう思ってなかった?」

「うーん……」


 ぼくはあのときのことを思い出そうとした。


「あのときは、ちょと悔しいことがあって。もっと強くなりたい、もっと丈夫になりたいって思ってたかな。あとは、どうやって時間を潰そうかなって思ってた」

「じゃあ、きっとそのどっちかの気持ちが私の気持ちに重なって『笹舟』を呼んだんだと思う。ミルコは魔力に敏感だから、私の魔力と合わさって結界を越えていったんじゃないかな」


 アーシャが言うことはちょっとあいまいで、はじめて会ったときに聞いてもわからなかったと思う。でも自分で魔素を流せるようになったいまは、なんとなくわかるような気がした。


「うん、なんとなくわかった。でも、それじゃあやっぱりテオは呼んでこられないんだね」

「……そうね。残念だけど」


 本当に残念だ。でもアーシャが残念に思ってくれてるのがわかったから、そのことはぼくはもう満足だった。


「アーシャはここから出られないんだね」

「うん、今はね」

「そのうち出てくるの? エムスラントに?」


 エムスラントはぼくの住んんでる街だ。


「エムスラントにはいかなと思うな。私はこことは別の国から来たの」

「くに?」


 ぼくはがなんのことだかわからなかったけど、アーシャが教えてくれた。ぼくの住んでるエムスラントは、エムスラントの領主さまが治める大きな領地の中心で、そういう領地がいくつも集まったのが「国」っていうものらしい。王さまとか、ほかにも領主さまより偉い人がいたりするらしい。すごすぎて全然わかんないや。


「平民の子どもにはあんまり関係ないもんね」


 アーシャがそう言ったけど、本当にそうだった。ぼくが知ってるのは領主さまとか貴族とか、あとは領主さまに女の子が生まれればお姫さまって呼ばれるってことくらいだ。街にしたって、エムスラントから出るなんて想像もつかないからよその街のことなんて知らないし、いままで興味もなかった。


「で、私は元の国に帰るか、森の離宮にずっといるか、そのどっちか。あ、森の離宮ってあそこのことなんだけどね」


 アーシャは湖の向こう岸の建物を顔全体で示しながら言った。


 ここにずっといるかもしれないんだ。


 ぼくはこれからもアーシャと会えるんだと思って、ちょっと嬉しい気持ちになった。


「ねえ、今日はまだ大丈夫?」

「うん、1刻くらいって言ってたから、あと3四半刻くらいは大丈夫」

「じゃあさ」


 アーシャは小川の脇に腰を下ろす。そして、その隣に座るようにぼくに示しながら言った。


「ミルコの街のこと教えて」

「うん、いいよ」


 話をねだってぼくを見上げるアーシャは、やっぱりとってもかわいかった。ぼくは少しどきどきしながらアーシャの隣に座ると、そういえばはじめてアーシャとゆっくり話せるなと思いながら、まずテオドーアのことから話しはじめた。




 あまり大きな声を出さないように気をつけながら、ぼくたちは座っていろんな話をした。結界で守られた森の離宮の湖は、ずっととぎれることなく小さなさざ波を立てて、ぼくたちの声を隠してくれた。ぼくは家族のこととか、森での採集のこととか、市場での買いもののこととか、雪が積もったあとの冬ごもりのこととか、そういういろんなことを話した。アーシャはすごく楽しそうにそれを聞いてた。それが嬉しくて、ぼくはいっぱい話をした。

 そうして半刻くらい経ったとき、ふとアーシャがなにかに気づいてぼくの手元を見た。


「ミルコ、また傷ができてるね」

「ん? ……あ、本当だ」


 今日はいつもの森に行くだけのつもりだったから、夏の外着で出かけてきたんだった。はじめてここに来たときみたいに、ぼくの手足は小さな傷がいっぱいついてた。


 あのときは切り傷をいっぱいつくって、母さんを心配させちゃったんだ。


 ぼくはそのことを思い出した。


「どうしよう。また母さんに心配かけちゃう」

「治してあげるよ?」


 アーシャがそう言ってくれる。でもそれじゃだめだ。


「ありがとう、アーシャ。だけど帰りにも傷ができちゃうんだ」

「じゃあ、ミルコが自分で治せばいいんじゃない?」


 アーシャがさらっとそう言った。


「ぼくが?」

「うん」

「自分で?」

「うん」


 なおすっていうことは治癒魔法だ。平民では手が出ない、特別でとっても高い魔法だ。もちろん、平民にとってはどんな魔法も手が出ないくらい高いんだけど。


「そんなこと……できるの?」

「ミルコならできるんじゃない?」


 本当に軽い感じでアーシャが言う。


「本当にできるなら、そりゃやりたいけど……」

「できるよ。やってみようよ」


 やってみたい。ぼくはそう思った。


「うん、やってみる! どうやるか教えて」

「いいよ! やってみよ!」


 アーシャはそう言って、はじめて会ったときみたいに膝立ちになってから自分のかかとにすとんと座った。アーシャの目の高さが、草の上に直に座ってるぼくの目の高さよりも少し上になる。


「じゃあ、まずはちょっとだけ座学からね」


 そう言ってアーシャは、ぼくが今まで聞いたこともないようなことを話しはじめた。

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