020 留守番
アーシャに魔素を巡らせるやり方を教わってから、お祈りするときと夜寝る前にはいつもそれを練習した。これまでは
そうするようになってはじめて気づいたんだけど、大人たちの中にも同じように立ち止まってお祈りしてる人がたくさんいた。この街の人たちはみんな神様を大切にしてるんだ。
あっという間に10日が過ぎた。アーシャに会う約束の日の前日は地の曜日で、本当ならぼくたちの集団が奥の森に行く日だった。でもその日はちょうど雨が降って、奥の森には行かなかった。
「ミルコ、これを運んでちょうだい」
ニーナおばさんがぼくに指示する。森にも買い物にも行かない日は留守番で、隣に住む父さんの妹のニーナおばさんと一緒に家の手伝いをするんだ。
「あっちに積んでおけばいい?」
「そうね、そうしとくれ」
新市街まで働きに出てる母さんと違って、ニーナおばさんは平民らしいちょっと乱暴な言葉遣いだ。でもそれがニーナおばさんらしくてぼくは好きだった。
ぼくのおじいさんとおばあさんは、父さんのほうも母さんのほうもそれぞれ別のおじさんと住んでて、いつもはあまり会わない。うちは父さんと母さんがニーナおばさんとバシリーおじさんを引き取ってるから、負担にならないように気を使ってるらしい。こういうことも、ぼくは最近になってわかるようになってきた。
「おじさん、通るよ」
「ああ、どうぞ」
荷物を運んだ先では、バシリーおじさんが魔石の選別をしてる。父さんの工場の手伝いだ。粗く砕いた一次鉱石をさらに細かく砕きながら色ごとに分けていく。この砕いた一次鉱石を運んでるのはブルーノで、ブルーノが父さんの工場で見習いをするようになってからは、ずっとこうして選別の作業をしてる。
体の弱かったぼくは、よくその様子を見て過ごした。ダニロはかなり大きくなるまで近寄らせてもらえなかったっけ。やんちゃでいつ魔石を触って無くしちゃうかと心配されてたんだ。
荷物を置いたぼくは、しばらくその作業を眺める。
「……どうした、めずらしいな」
「うん。ちょっと魔石が見てみたくてね」
ブルーノが運んでくる鉱石はすこし砕いてあるやつだ。バシリーおじさんはそれをもう少し細かく砕いて魔石だけを取り出す。仕上げの作業はここではやらず、またブルーノが運んで工場まで持っていく。もともと鉱山で働いてたバシリーおじさんを信用して任せてもらってる作業だ。さらに父さんの信用もあるから持ち帰ってきてるけど、青い魔石は貴重だから混じってないらしい。だからバシリーおじさんの手元には、青以外の5色の魔石が色ごとに箱に分けてあった。
「おじさん、魔石ってなんなの?」
ぼくは近ごろ疑問に思ってたことを聞いてみた。魔石は平民には馴染みがない。でもぼくはたまたま父さんが鉱石工場で働いてたから見慣れてた。それが魔石と呼ばれてとても高いものだってことは知ってたけど、じゃあ一体なんなのかなんてこれまで考えたことはなかった。アーシャに会うまでは。
「魔石がなんなのか、か。詳しいことはあんまり知らんがな」
そう言ってバシリーおじさんは作業の手を止めると、黄色い魔石を一つつまみ上げた。削ったばかりの荒々しい形をした石だ。
「この黄色いやつは
「燭台の代わり、……光るの?」
「知らん」
バシリーおじさんはそう言って発光石をぽんと箱の中に投げて戻した。
「何か道具を使うらしい。魔道具ってやつだな」
魔道具、言葉だけは聞いたことがある。魔法の道具だってことくらいしか知らなかった。
「魔道具って魔石と一緒に使うんだ」
「知らん。実際にどういうもんなのかは見たことないからな」
そう言ってからバシリーおじさんはあらためてぼくを見た。
「そういえばミルコはちっせえときからよくじいっとこれを見てたな」
「そうなの?」
「ああ。何が楽しいのか知らんが、じいっとよく見てたな。……ま、子どもはたいてい色のついたもんが好きなんだがな」
それだけ言うと、バシリーおじさんはまた作業に戻った。
ニーナおばさんの手伝いをしながら、たまに休憩をする。部屋の奥側ではバシリーおじさんが魔石を砕いて仕分けを続けてる。
しばらくするとぼくは、バシリーおじさんがぽんと石を箱に放り込むたびに、それを見ちゃうことに気がついた。何か物を運んでるときも、椅子に座って待ってるときも、石が箱に投げ込まれたときの小さな乾いた音がするたびに思わずそっちを見ちゃう。
なんでだろう……? いつもはどうだったっけ……
こんなことが気になったことはなかった。でも今日はなんだかやけに気になる。そうして気にしてると、ふと風みたいなものを感じた気がした。
あ! これが気になってるんだ!
それは『笹舟』を見つけたときの感じに似てた。あのときよりもずっと小さくてかすかなものだけど、似たような何かだった。そういえばさっきバシリーおじさんは、魔石は魔道具を動かすときに使うらしいって言ってた。ひょっとしたら魔石には魔素がいっぱい詰まってるのかもしれない。
アーシャが言ってたのは「魔素を使う」だったっけ? それとも「魔素に魔法をさせる」だったかな?
ぼくはバシリーおじさんの足元にある箱に近づいて、作業の邪魔にならないように気をつけながら、一番手前に入ってる白い魔石を手に取った。
「熱っ!」
ぼくはそう叫んで思わず手を離す。白い魔石が元あった箱の中にコトンと落ちた。
「どうした!? 大丈夫か?」
バシリーおじさんが慌ててそう聞いてきた。
「うん、大丈夫、なんともない」
「そうか。……砕いて直ぐは熱くなってることがあるんだ。
そしてこう付け加える。
「気をつけろよ。触ってもいいけど、無くさないようにな」
「うん、わかった」
おじさんが作業に戻ったのを見ると、ぼくはさっき白い魔石をつまみ上げた右手の指を見た。
熱かった?
確かに熱を感じたんだ。まさか熱いなんて思ってなかったからびっくりした。それにぼくが摘んだ石は砕いてすぐのやつじゃなかった。
気のせいかな?
ぼくはもう一度つまみ上げようとして魔石に手を伸ばした。でもそのときちょうど、ニーナおばさんに呼ばれちゃってそっちを手伝いはじめた。そしてそのうち母さんも帰ってきて留守番はおしまいになった。だから魔石のことはそれっきりになった。
午後、母さんが帰ってきてから一緒に井戸端に降りた。雨で朝できなかった水汲みをしたかったし、今日は行けなかった奥の森のことについて近所の子どもたちと話をするためだ。雨は昼には止んだみたいで、みんなと話すにはちょうどよかった。エルマも一緒だ。テオドーアは、いまは日雇いの仕事に行ってていなかった。
「一昨日も雨だったし、奥の森は予定通り森の曜日にして、あしたはいつもの森にしとこう」
そう言ったのは、ぼくたちの集団のけん引役をしてる年長の男の子のカールだ。ダニロが見習いに出てからはもうすぐ8歳のカールが最年長で、みんなの面倒を見てる。
「奥まで行こうよ」
ぼくは言った。アーシャとの約束はあしただ。だから奥の森まで行きたかった。
「だめだめ、きっと森の中ぐしゃぐしゃだよ。あしたはほかの街区の子たちもきっと奥の森までは行かないよ」
カールは手前のいつもの森にしようって言った。
「いつもの森でも泥だらけになりそう」
「そんなに降ってないから大丈夫だよ」
集まってる子どもたちが口々に意見を言った。
「ミルコは奥の森まで行きたいの?」
エルマが聞いてきた。
「うん、奥まで行きたい」
「ミルコはどうせ疲れて切り株のところで休んでるだけだろ?」
「それはひどいよカール。ミルコはだいぶ疲れなくなってきたんだよ」
カールの言葉にエルマが反発してくれる。でもぼくは、切り株のところでみんなと離れるほうが都合がいいんだ。だからカールの言う通り、奥の森まで行っても結局採集するつもりはなかった。そう考えると、なんだか申し訳ない気持ちが広がってきた。父さんも母さんも毎日いっぱい働いてるのに、ぼくは働かないでサボることを考えてる。
「エルマ、もういいよ。カールの意見が正しいと思う」
ぼくはそう言った。採集もしないのにみんなを説得して奥の森に行こうとするなんてわがままだ。あしたは奥の森までは行かない。アーシャには会えない。そうするしかなかった。
「じゃあ、さっき言った通り、あしたはいつもの森に行こう」
そう言ってカールが周りの大人たちにもあしたの予定を伝える。子どもたちはみんなそれぞれの家の手伝いに戻っていった。ぼくも水汲みの続きに戻った。
最近は一度に何回も水汲みができるようになってた。何度か家まで往復してから、最後に井戸の脇の祠にお祈りをする。両手を合わせ、目を閉じて、お祈りしながら魔素を流す練習をする。この10日間でだいぶ慣れてきて、背中がほんのりあったかく感じる……ような気がしはじめてた。
両手を離し、お辞儀をしながら手のひらを上にあげて持ち上げる。お祈りが終わると水桶を抱えて井戸端を離れた。
次の日の朝、いつもの森まで歩いてるときに、テオドーアがミルコに話しかけてきた。今日もテオドーアは一緒に来てくれてた。
「ミルコは奥の森に行きたいの?」
「……だれかに聞いたの?」
「さっき話が出てたんだ」
振り返ると近所の子どもたちがいつも通りはしゃぎながら歩いてる。なにかのついでに話が出たのかもしれない。ぼくは前に向き直ってテオドーアに答えた。
「まあね。行ってみたかっただけ」
そう言うぼくを、テオドーアはちょっと首を傾げて眺めてた。頭のてっぺんのつんつんと立ってる毛が揺れてる。
「奥の森まで行ってみようか」
「え?」
テオドーアの提案に、ぼくは一瞬何を言われたのかわからなかった。でもテオドーアはもう話を進めちゃう。
「カール! ぼくはミルコと一緒に奥の森まで行くね」
「なんで? ミルコとテオだけ行っても何もできないんじゃない?」
「ミルコは奥の森まで行く練習が必要だよ。行きたい気持ちがあるうちに行こう」
最後のはぼくに向かっていった言葉だ。
「ヴィーゼがいなくてもミルコ一人ならぼくが背負って帰ってこられるしね」
テオドーアがにこにこと毛を揺らしながらそう言った。テオドーアは本当にぼくに甘いんだ。
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