019 手ほどき

 アーシャは小川の、ぼくがまえ来たときに水の橋をつくってくれたところに立ってた。ぼくは息を整えるために時間をかけて、滝の脇からアーシャのすぐ近くまでゆっくり歩いていった。それをアーシャが笑顔で待っててくれる。


「おはよう、ミルコ」

「おはよう、アーシャ」


 アーシャと向かい合って立ってると、今日こうして会うことがはじめから決まってたことみたいな気がした。なんだか変な感じだ。


「やっと会えたよ。ぼく、あのあと2回ここまで来たんだ」

「そうなんだ。私も何度かここに来てたけど、ちょうどすれ違っちゃったんだね」

「うん、そうだね」

「ここまで来るの大変なんでしょう? 今日は会えてよかったね」


 アーシャはぼくの春の外着の袖についた葉っぱをいくつかつまんでとりのぞきながらそう言った。会えてよかった、本当にそう思う。ぼくは、滝を登ってるときにアーシャが見える前からここにいるってわかったよ、って言いたかった。でもなんだか変なことみたいな気がして言えなかった。なのに……


「いまね、なんだかミルコが来てくれるのがわかったよ」


 アーシャがそう言ってきた。


 なんだ、恥ずかしがって言わなかったのがばかみたいだ。


 ぼくはそう思った。でもアーシャが言ってくれたからぼくも言いやすくなった。アーシャにとっては変なことじゃないんだ。


「うん、そうだね。ぼくもアーシャがいるってなんとなくわかったよ」

「ほんと? 不思議ね」

「えっ? そうなの?」


 ぼくはアーシャはその理由がわかって言ってるんだと思ってた。


「アーシャにも不思議なの?」

「うん、ちょっと不思議。……なんとなくわかるけど」

「わかるんじゃん。なんとなくでいいから教えてよ。ぼく、すっと魔法の話が聞きたかったんだ」


 ぼくはそう言って、その場に腰を下ろした。前のときと同じように、魔法の話をいろいろ聞きたかった。それになにより、アーシャと話がしたかったんだ。

 でもアーシャは座らなかった。


「あー……えっとね。あんまりお話できないんだ」


 アーシャは立ったままそう言った。


「いまはちょっと時間がないの」

「……そうなんだ」


 ぼくは、アーシャと会えればたくさん話ができるってそう思っちゃってた。だけど考えてみればそうだ、アーシャにだって都合はある。

 ぼくががっかりしてるのを見てアーシャが言った。


「ねえ、せっかくだから魔法の練習しよ? 次に会うときまでミルコが自分で練習できるように」


 そう言って、ぼくの前に両膝で膝立ちになった。


「魔法の練習? 本当? やった!」


 魔法の練習と聞いて、ぼくはうれしくなった。それに、次に会うときまでにっていうことは、また会えるんだ。


「どうやるの?」


 ぼくは期待を込めてアーシャを見る。


「前回、魔素を流したのは覚えてる?」

「うん覚えてるよ」


 前に魔素を流してもらったときは、アーシャと向き合って両手を繋いで、左手から背中を通って右手にとぐるぐる魔素を動かしたんだ。ほとんど毎日それを思い返してたからはっきり覚えてた。


「ぼく、あのあとそれを思い出してたら、自分でも魔素が流せたんだ」

「ほんと!?」


 アーシャが驚いて聞いてきた。


「うん。アーシャと会った日の帰りに、ぼくストロジオに乗って帰ったんだ」

「ストロジオ、飼ってるの?」

「ううん、飼ってない。領主さまの森番のレオンが貸してくれたんだ。ヴィーゼっていうんだけどね」


 そういえばアーシャとはそんなことも話してないんだな、と思いながらぼくは続けた。


「ヴィーゼの背中に乗るときに両手でヴィーゼの首元をこうやって掴むんだ」


 ぼくはヴィーゼの背中に乗ってるときの姿勢をやって見せながら話した。


「この格好のままアーシャが魔素を流してくれたときの感じを思い出してたら、ヴィーゼが嫌がったんだ」

「魔素を流されるのが嫌だったのね?」

「うん、たぶんそうだと思う。ぼくはよくわからなかったんだけど、ヴィーゼは魔素が流れたのがわかったみたいだった」


 そう、ぼくはわからなかったんだ。ヴィーゼに乗ったそのあとも何度も思い出してみたんだけど、結局自分ではわからなかった。そのことをアーシャに話すと、アーシャが感心して言った。


「そうやって魔素が流れる感覚を思い出すのが基本になると思うわ。すごいね、ミルコはもう自分で練習始めてたんだね」


 そう言ってからぼくに両手を差し出した。


「できるだけ正確に思い出せるように、また流してみましょう」


 アーシャが前のときみたいに、また大人みたいな言い方でそう言った。ぼくはだまって差し出された両手を握る。小さくて白くて柔らかい。


「目を閉じた方がいいわ。いくよ……」


 ぼくはアーシャが目を閉じるのを待って、その様子をちょっとだけ眺めながら目を閉じた。

 アーシャが魔素を流しはじめる。前のときは両手がだんだんあったかくなって、それが背中のほうに広がっていった。でも今日はあったかいのを感じはじめるのと同じくらいすぐに、魔素が流れて動いてるのを感じられた。


「流れてる。……すごい、なんだかすごくよくわかるよ」

「うん、前回よりもとっても流しやすくなってるね」

「どういうこと?」

「ミルコが魔素に慣れてきてるんだと思うよ」


 ぼくたちは目を閉じて言葉を交わしながら、しばらく魔素を流しつづけた。前のときみたいに、両手をつないだぼくたちの間を風がくるくると回ってるような感じがした。


「……一旦終わるね。離すよ」


 アーシャが手を離す。魔素が少しだけ勢いを残して回り続けようとして、でもすぐに止まった。目を開けて、ぼくがぼうっとして魔素が流れてるときのあったかさを思い出してると、アーシャが聞いてきた。


「ミルコ。魔素が流れる感じを思い出そうとしたときに、どうやってやってた?」

「どうやって? ただなんとなく思い出してた」

「どんなときに?」

「うーん……歩いてるときとか、寝るときとか」


 そう、森の行き帰りに歩いてるときとか、寝る前のぼうっとしてるときとか、そういうときに思い出そうとしてたんだ。だれとも話してないようなときに。


「お祈りはしてる?」

「ああ、そういえば、あれからいつも以上にお祈りしてるよ」

「そう。……じゃあ、こうしましょう」


 そう言ってアーシャはお祈りをするときのように胸の前で両手を合わせた。


「寝るときとお祈りするとき。こうして手を合わせて魔素を流すといいわ」


 ぼくもアーシャのように胸の前で両手を合わせる。


「こうして、そうね……手を胸から少しだけ離すといいわ。さっきの感じを思い出しながら、右手の手のひらから左手の手のひらに向かって魔素を送るの。それを背中を通してまた右手の手のひらに流すの」

「さっきのを一人でやるんだね」

「そう、そういうこと」


 アーシャの言う通りにやってみる。目を閉じて、魔素が流れてたときの感じを思い出す。左手から入って、背中を通って、右手から出て行く。それが右手のひらから左手のひらに渡って、また流れてくる……。


「あ……なんとなく、あったかい?」

「ほんと? どこが暖かい?」

「手のひらが」


 そう、思い出そうとしてるのは体の中を魔素がながれる感じだ。でもいまは合わせた手のひらがなんとなくあったかく感じる。


「しばらく続けてみて」


 アーシャにそう言われて、ぼくはしばらくそれを続けた。自分でもなんとか魔素を感じようとして、手のひらの位置をそのままに肘をあげてみたり、合わせた手のひらを少し前や後ろに動かしてみたりした。

 そしたら、最初の姿勢よりちょっとだけ肘を張ったような姿勢が一番流しやすいような気がした。あんまり自信ないけど。


「うん! いいんじゃない? ちゃんと魔素が流れてるわ」


 アーシャがお墨付きをくれた。ぼくは魔素が流せてるらしい。

 目を開けて自分の両手のひらを見る。


「すごいや。ぼく、自分で魔素を流せたんだね」

「そうだね。すごいと思うよ!」


 それからアーシャは、できるだけ何回も繰り返すこととか、間を空けないで毎日やるといいとかいったことを教えてくれた。うまくできるようになると、両手を合わせなくても体の中で魔素をぐるぐる回せるようになるみたい。


「きちんと続ければ、そのうち魔法の使い方も教えてあげられると思うわ」

「本当? また教えてくれる? ぼく、地の曜日と森の曜日にならたいてい来られるよ」


 また教えてもらえる、また会える、と聞いてぼくは嬉しくなった。でもアーシャはちょっとだけ難しそうな顔をした。


「来週はたぶんここに居られないの。その次の夏の曜日は?」


 アーシャが逆に曜日を指定してくる。でも夏の曜日はいつもなら奥の森までは来ない。


「ミルコが来なくても一人で遊んでるから、気にしなくてもいいよ」

「ううん、なんとかする。再来週の夏の曜日に来るよ」


 ぼくはそう言い切った。大丈夫、なんとかして来ればいいんだ。


「そう、わかった。再来週の夏の曜日ね」


 そこまでで時間切れだった。アーシャはもう湖の向こうの建物に戻らないといけない。


「じゃあね。またね」


 ぼくはそう言って小川を飛び越えると、滝のほうへ戻っていった。本当は岸辺に残ってアーシャを見送ろうとしたけど、見送るから先に帰ってって言われちゃったんだ。

 ぼくは前のときみたいに滝のところで振り返る。アーシャが胸の前で小さく手を振ってた。

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