018 幼い逢瀬

 アーシャと会ってから四日後の地の曜日、ぼくたちはまた奥の森に行くことになった。奥の森には夏の盛りを過ぎたこの時期に何度か続けていく。夏の盛りは果物も少ないし、暑過ぎて子どもたちの体力が続かないんだ。だから暑さが少し和らいだ頃から秋の半ば過ぎ頃までがちょうどいい。

 一年は4季節12ヶ月あって、冬は冬一月から冬三月、春は地一月から地三月、夏は夏一月から夏三月、秋は天一月から天三月ってなってる。夏二月から夏三月が一番暑くて、遠出には向かない。次の天一月になると涼やかになってきて、木の実も増えはじめる。そして天二月は農作物も含めて最も大地が豊かになるんだ。

 でも秋が深まって天三月になっちゃうと獣たちが少し獰猛になってくるし、寒くなりはじめるから子どもたちにとっては危険が多い。だから、これから二月ふたつきほどの間がちょうどよくて、毎週のよう奥の森まで行くんだ。


「……ミルコ、ミルコ。朝よ、起きなさい」

「……ん、起きた……。起きたよ母さん」


 母さんに起こしてもらっていつもの朝が始まる。着替えようとして、服が違うのに気がついた。


「あれ? これ春の服だよ?」


 いまはまだ天一月になったばかりだった。この時期は半袖半ズボンのゆるい夏の外着を着て過ごすんだ。なのに母さんが用意してくれてたのは春の外着だ。ゆるいけど、長袖長ズボンだからこれだと暑い。

 ぼくの声に、居間に戻ろうとしてた母さんが振り返った。


「そうよ。今日はそれを着ていってね」

「え〜、暑いよ」

「でも先週、奥の森に行っていっぱい傷をつくってきたじゃない」

「あ……」


 そうだった。湖まで行く途中はどうしても手足に小さな引っかき傷ができちゃうんだ。


「……でも暑いよ」

「森に着くまでは袖をまくっておきなさい」


 そう言って母さんは居間へ戻っていっちゃった。心配かけるのも嫌だし、このまま着たほうがいいんだろうな。暑そうだけど。


 しょうがないや。今日も湖まで行くつもりだったし。


 ぼくはひさしぶりに着る春の外着の前後ろをたしかめると、それを頭からかぶった。




 先週、奥の森まで行ったのは森の曜日だ。一週間は7日間で、六大神ろくだいしんと呼ばれる神様のための曜日が6日間あって、最後に安息日がある。六大神はそれぞれ天空、大地、夏、冬、森林、人々の神だ。曜日を言うときはよく二つずつ繋げて「天地、夏冬、森人、安」って言ったりする。

 ぼくたちの集団はなんとなく収穫が多いような気がして、地の曜日と森の曜日に奥の森まで行くことが多かった。もちろん、天気次第ですぐに予定は変わっちゃうし、ほかの集団があんまり多いときなんかにも行くのをやめたりする。行けるときに行くっていう感じだった。今日は晴れたから予定どおりだ。


「おはようレオン!」

「おはよう」


 子どもたちのあいさつにレオンが答えてくれる。子どもたちが森へ行くときはいつも森番のレオンに声をかける。いつもならそのまま通り過ぎるところだけど、ぼくが奥の森に行くときはヴィーゼを貸してくれることになってたから、みんなで立ち止まってレオンがヴィーゼを連れてきてくれるのを待った。言葉を理解するヴィーゼは、手綱たづなをたわませてきちんとレオンに従いてくる。


「気をつけろよ」


 そうぼくに声をかけながらレオンが手綱をはずした。先週もヴィーゼは手綱無しでぼくたちに従いてきた。


「うん。……ねえ、レオン」


 ぼくは聞いてみたいことがあったから、ヴィーゼを借りたところであらためてレオンに声をかけた。


「なんだ?」

「森の入り口にはほこらはないの?」


 そう、アーシャにお祈りは大事だって言われてから、ぼくは祠がそこら中にたくさんあることに気づいたんだ。いつもは気にしてなかったけど、よく見ると街路にも市場にも、家の中にもいっぱい祠があった。でも森の入り口や街道に入ってからは見かけたことがない気がしてたんだ。

 レオンはちょっと眉を上げてぼくを見つめたあと、口を開いた。


「そこの木の向こうにある」


 そう言われて、レオンが指差したほうを振り返る。


「あ、ほんとだ」


 街道を挟んだ森番小屋の反対側に、大きな木に少し隠れるみたいにして祠があった。石でできた、屋根のついた祠だ。ぼくの背と同じくらいある、よく見る街中まちなかの祠と同じくらいの大きさのやつだ。ちょっと気をつければわかりそうなところにいままで気がつかなかった。いつも森番小屋のほうを見てたからかな、とぼくは思った。


「大地の神の祠だね」


 ぼくがそう言うと「ほう……」とレオンが呟いた。


「よくわかるな」

「母さんとよく礼拝堂に行ってるから」

「そうか。それはいいことだ」


 レオンが褒めてくれた。


「あれ? 森林の神じゃないの?」


 エルマが横から聞いてくる。


「ああ。森の入り口にあるからよく森林の神と間違われる。でもそれは大地の神の祠だ」


 森林の神は少年の姿をしてる。でもこの祠の石像は女神だ。女神はほかにもいるけど、着物の裾がはためいてるように見えるのは風をつかさどる大地の神だった。


「そこに祠があるなんて知らなかったよ!」

「知ってたよ、でも森林の神だと思ってた!」


 子どもたちが口々に言う。


「気にするな。間違えてても問題ない」

「そうなの?」


 聞いたのはぼくだ。レオンがきちんと答えてくれる。


「神々は多少の間違いは気にしない。間違えてもいいから、祈らないより祈ることが大事だ」

「うん、お母さんもそう言ってる」


 ぼくはそう言ってから、もう一つ聞いてみたいことを思いついた。


「お願いよりお礼のほうがいいって本当?」


 アーシャに聞いたことだ。レオンは知ってるかなって気になったんだ。


「いいことを言うな。……そうだな、その方がいい」


 レオンはそう言った。アーシャは「いいことが起こりやすくなる」って言ってたっけ。アーシャにしてもレオンにしても、魔法が使える人はほかの大人たちみたいにはっきり言わないんだな、ってぼくは思った。

 そんなやりとりをしてから、みんなでそろって祠にお祈りをした。いままでそんなことしたことなかったから、なんだか不思議な感じだった。でも自然と気持ちが落ち着く気がした。それにぼくは、アーシャが言ったことをレオンが認めてくれたのがうれしくて、気持ちが明るくなってた。今日は奥の森までしっかり従いていける気がした。




 奥の森の切り株のところに着いたときのぼくは、先週来たときよりずっと元気だった。ほんの4日間でこんなに体が強くなったのかと思うと不思議な感じがした。でも、春の外着が暑くてかなりいっぱい汗をかいたぼくは、結局やっぱりへとへとになっちゃってた。


 まあ、今日もヴィーゼと待ってたかったからちょうどよかったけど。


 今日も子どもたちは先週と同じ人数で、大人たちも同じ、テオドーアたちクァトロが3人だけだった。だから切り株のところには今日もぼくとヴィーゼだけが残ることになった。


「ここを離れちゃダメだよ」


 とテオドーアがぼくに釘をさす。ぼくはちょっとどぎまぎしながら「大丈夫だよ」と答えてやり過ごした。ぼくが湖に行ってたことは知らないはずなのに、なにか気づいてるみたいな気がしたんだ。でもぼくがここを離れてたことを知ってるのはエルマだけのはずだった。


「じゃあねミルコ。あとでまた木の実を食べようね」


 エルマはいつも、余計なことを言ったりしない。


「うん。いっぱい採ってきてね」


 ぼくがそう言うと、エルマは手を振って、心配そうに振り返りながらみんなと一緒に離れてった。ぼくは先週と同じように、切り株に座ったままみんなを見送った。

 みんなが見えなくなったところで、さっそくぼくは湖に行くことを考える。今日はすぐにでも動けそうなくらいに、もう体が元気になってきてた。


 早めに戻ってくれば大丈夫だよね。


 前回と同じ道を辿ればいいだけだ。今日はみんなに遅れずに従いてきたから、時間も少し余裕があるはずだ。ぼくは息が整うまで少しの間だけ切り株のところで体を休めると、あいかわらずじっと見つめてくるヴィーゼに向きなおる。


「ごめんねヴィーゼ。ここで待ってて」


 ヴィーゼにそう言い含めると、ぼくは小川を辿って湖に向かって歩きはじめた。




「よっ。ほっ」


 先週と同じところを辿って、ぼくは小川をさかのぼってく。今日は春の外着を着てるおかげで、腕とか足がちくちくしなかった。母さんのおかげだ。ちょっと暑いけど、いまはちくちくしないことのほうが助かった。

 歩きながらぼくは、湖がなかったらどうしよう、と思いはじめてた。ついさっきまで、切り株のところでヴィーゼと別れるまでは、そんなこと思ってなかったのに。でもいざこうして近づいてくると、先週の出来事があまりにも不思議なことに思えて、本当は湖なんてないんじゃないかっていう気がしてくる。ぼくはだんだん不安になりながら、それでも小川を左右に何度も渡って進んでいった。


「ここだ……」


 先週と同じように蔦の壁に行き当たった。ここまでは覚えてるとおりだ。そして今日はすぐに隙間を見つける。先週通ったところだからあたりまえのはずなのに、そこに覚えてるとおりに隙間があっただけで、ぼくはすごく興奮してた。

 どきどきする胸をおさえながら、そろりとその隙間を通り抜ける。


「で、少し行くとそこに滝が……あった」


 覚えてるとおりだ。向かって右の苔むした岩には、先週ぼくが滑るようにして降りた時の跡がのこってた。そこを滑らないように慎重に登ってく。そして……。


「あった……湖だ」


 そこには先週ぼくが来た湖が、変わらない様子で静かに広がってた。


 よかった。夢じゃなかった。


 ぼくは興奮して声をあげそうになったけど、アーシャが静かにしてといってたことを思い出して、あわてて口を閉じた。


 アーシャ、いるかな。


 ぼくは小川を飛び越えて、左のほうにある竹林を覗き込んだ。でもアーシャの気配はない。岸辺をぐるっと回って、湿地に足を濡らしながら少し右のほうへも行ってみた。でもアーシャはいなかった。


 少し待ってみよう。先週よりだいぶ時間も早いし。


 そうしてぼくは、そこで半刻ほど待ってみた。でもアーシャはそこに来なかった。湖の向こうのきれいな建物も、ぜんぜん人の気配を感じない。そもそも遠くて、建物の中に人がいたとしてもわからないと思うけど。


 約束もしてなかったし、しょうがないかな……。


 ぼくは湖が本当にあったことでちょっと安心してたこともあって、もう戻ることにした。いまアーシャに会えなくても、ここに湖があることははっきりしたんだ。だからまた来れば、いつかは会えるんだ。

 ぼくはアーシャに会えないまま、その日は切り株のところに戻って火おこし用の薪を集めることにした。




 次の森の曜日は雨で行かなかった。その次の地の曜日は行ったけど、また会えなかった。




 はじめてアーシャと出会って2週間後の森の曜日、4度目の奥の森は、もう息は切れなくなってた。だけどぼくはまだ元気が足りないふりをして、切り株のところに残ってヴィーゼと一緒にみんなを見送った。

 みんなはぼくがいつも少しずつこつこつ前進してきたのを知ってるから、近いうちに一緒に動けるようになるよって励ましてくれた。みんなに嘘をついてることがちょっとだけつらかった。


「ヴィーゼ、行ってくるね」


 みんなを見送ったあと、いつもみたいにヴィーゼに声をかける。ヴィーゼももういつものことと思ってるのか、とくに反応も見せないで、その場に座り込んでぼくを見送った。

 そして、またいつもみたいに小川を辿って、湖のほうへとゆるやかに上っていく。この道のりにもだいぶ慣れてきた。蔦の壁をすり抜けて、滝の脇の岩を登る。


 あ……いる。


 なぜだかわからないけど、岩を登りきる前にわかった。そこにいるっていうことが、はっきりと感じられた。ぼくはてっぺんの岩を登りきる。滝の音が、ふっと後ろに遠ざかる。

 顔をあげるとアーシャがいた。

 ぼくはちょっとだけそこに立ち止まって、すごく久しぶりみたいな、ついさっき別れたみたいな、そんな気がしながら、胸の前で小さく手を振るアーシャを見つめた。

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