017 隠しごと

「ミルコ! よかった! どこ行ってたの?」


 戻ってみると、ヴィーゼのそばにはエルマがいるだけだった。ほかの子やクァトロたちの姿はまだなかった。


 よかった、ちょうど今きたところかな。


「ちょっと……川を散歩……してたんだ」

「ヴィーゼの近くにいなきゃダメじゃない」


 ぼくはすぐに言い訳が思い浮かばないのと、駆けてきたから息が切れてるのとで、エルマに答えずにしばらく息を整えてた。


「どこまで行ってたの? なんだかつらそうだよ?」


 つらいのはエルマに呼ばれて走ってきたからなんだけどね、とは言わない。


「葉っぱもいっぱいつけて」


 エルマはそう言って、ぼくの服やズボンについた葉をぱたぱたと払い落としてくれる。


「……ちょっと向こうで……川を見てたんだ……そしたら藪に……はまっちゃって」


 自分でもわざとらしい言い訳だけだと思うけど、息が切れてるからうまくごまかせないかなって考えてた。体が弱いことを言い訳にするなんて、情けないけど。


「もう! 川に落ちたら風邪ひいちゃうよ?」


 エルマはそう言って「座ろ?」とぼくを切り株に座らせる。なんとかごまかせたみたいだ。隣に並んで座って心配そうに見てくるエルマに、申し訳ないような、ほっとしたような複雑な気分がした。立ち止まって、座ったことで汗が一気に噴き出してきてた。


「エルマ! だめじゃんか一人で先に戻っちゃったら」


 年長の男の子がそう言ってテオドーアと戻ってきた。すぐ近くまできて立ち止まってから、テオドーアがぼくに声をかける。


「やあミルコ。寂しくなかった?」


 テオドーアは基本的にぼくに甘い。今日も大人の人数がもう少し多かったらぼくと一緒にヴィーゼと待ってくれてたと思う。


「うん……大丈夫だよ」


 ぼくはヴィーゼをちらっと見ながらそう答えた。エルマは何も言わない。エルマはだれかが大人に叱られそうなことをしても、それを大人に言ったりしない。ヴィーゼも喋れない。だから、ぼくがここにいなかったことはエルマ以外には知られないですむ。でもヴィーゼはそれを知ってる。きっとちゃんとわかってるような気がした。




 そのうちすぐに、みんなが戻ってきた。少しだけ採れたての木の実を分けあって食べる。奥の森まで来る楽しみの一つがこの木の実だ。果物は買うととっても高いから、ぼくたちみたいな平民は自分たちで採ってくる。


「おいしい!」

「ね、おいしいでしょ?」


 木の実を食べたぼくの言葉に、エルマが自慢げに答えた。いつもダニロがとってきてくれた木の実を家で食べてたけど、採れたてを森の中で食べるのはぜんぜん違った。すごくおいしい。


 じぶんで採ってきて食べたかったな……


 そう思ったけど、でもそんなに悔しくなかった。一緒にここに残ったことで、アーシャと出会えたから。ぼくはなんとなく、アーシャのことは内緒にしないといけない気がしてた。ヴィーゼと一緒にここで待ってなかったことを知られたくなかったし、アーシャが「誰にも知られたくなかった」って言ってたから。


「そろそろ戻ろうか」


 けん引役の年長の男の子が座ってた切り株から立ち上がって言った。思い思いに休憩してた子どもたちが立ち上がって荷物を担ぎなおす。ぼくは何も持ってない。いま食べた分の木の実は分けてもらえたけど、それ以上は分けてもらえない。採集してないんだから当然だった。


 火起こし用の薪ぐらい拾っておけばよかったな。


 きっと父さんや母さんは手ぶらで帰ったからって怒ったりしない。それよりも採集ができなかったことで体のことを心配すると思う。また心配をかけちゃうと思うと、薪を拾っておかなかったのが心残りだった。


「行こう、ミルコ」

「うん。……行こう、ヴィーゼ」


 エルマと一緒にヴィーゼを連れて歩きはじめる。みんなと合流して休憩してる少しの時間で、なんだかすっかり落ち込んだ気分になっちゃった。湖でアーシャと過ごした時間がまるで夢みたいに感じた。




 そうして結局ぼくはいま、ヴィーゼの背中に揺られてる。湖から帰ってくるのに体力を使っちゃって、木の実を食べてる間にも回復しきらなかったんだ。汗で体が冷えたのもいけなかったんだと思う。こんなに暑いのに寒気を感じ始めて、森を抜けて街道に出た頃には朝と同じで歩けなくなっちゃってた。

 ヴィーゼが歩くその横を、エルマとテオドーアが一緒に歩いてくれてる。


「……それでね、大きな木の幹のところでね」

「うん……」


 エルマが今日あったことを話してくれるけど、あんまり聞きたくなかった。奥の森のことはもうすっかり全部ダニロに聞かされてたし。それに、人に聞くんじゃなくてじぶんで見てみたかった。でもエルマがぼくを励まそうとしてることはよくわかった。だから一生懸命話してくれるエルマに、ぼくもできるだけ返事をしながら聞いた。聞きながらぼくは、アーシャと過ごした湖の岸辺のことを思い出してた。


 魔法……ぼくも使えるようになりたいな。


 魔法が使えれば、体が弱いことの助けになるかもしれない。いまは、みんなができてぼくができないことがたくさんある。でも魔法が使えれば、みんなができないことをぼくができるようになるかもしれない。そうなったらどんなにいいだろう。アーシャは誰でも魔法が使えるって言ってた。


 魔法が使えるってどんな感じかな。


 ぼくはヴィーゼの首元のたるんだ柔らかい皮膚を掴んだまま、アーシャと手をつないでた感覚を思い出そうとした。体の中を、がぐるぐると回るあの感覚だ。


「ピー」


 急に目の前から音が聞こえた。


「わっ、鳴いた!」


 突然の鳴き声に驚いてエルマが言う。ヴィーゼが歩きながら、ちらちらとぼくを振り返って鳴き始めたんだ。


「……ピー、……ピー」


 あ、ひょっとして……


 ぼくはの流れを思い出すのをやめた。そしたらすぐに、ヴィーゼは鳴きやんだ。


「ストロジオって大きな体なのに可愛い鳴き声なんだね」

「ね、可愛いよね」


 エルマの感想に、テオドーアが相槌を打つ。でもぼくはそれよりもすごいことで頭がいっぱいになった。


 ヴィーゼはの流れを感じた!? ぼくがを流せた!?


 ぼくはじっとヴィーゼの頭を見つめた。ヴィーゼは時々ぼくを振り返ってる。何か気になってるみたいだ。ヴィーゼがを感じられるんだとしたら、もう一度ぼくが同じことをしたらまた鳴くかもしれない。


 ちょっと嫌がるかな?


 そう思って少しためらったけど、ヴィーゼは立ち止まったり暴れたりしたわけじゃないから、きっとそんなに嫌じゃないんじゃないかな。ぼくはどうしても試してみたくなって、もう一度やってみることにした。

 アーシャと手をつないでた感覚を思い出す。背中があったかくなって、なにかが、が体をめぐるあの感じ。


 左手から背中を通り抜けて、右手に流れていく……。


「ピー!」


 ヴィーゼがまた鳴いた。


 やっぱりそうだ! を流せてるんだ!


 ぼくは嬉しくなってを流しつづけた。寒気がしてた体に、のじんわりとした温かさが心地いい。


「ピー! ピー!」

「……ねえ、なにか警戒してない?」


 鳴き続けるヴィーゼを見て、エルマが不安そうに声を上げる。そのとき、ヴィーゼが首を大きく振ってぼくの右手をくちばしの横で叩いた。


「あいたっ!」


 そんなに痛くなかったけど驚いた。なんかちょっと、うっとおしかったみたい。


 ……ごめん。調子にのりました。


「なんだろう。野犬かな? 狼かな?」

「大丈夫だよ、警戒してる声じゃないから」


 テオドーアがエルマをなだめる。


 なんだか悪いことをしちゃった。ごめんね、エルマ。


 ぼくは自分のせいでヴィーゼが嫌がったんだと気づいてたけど、それは黙ってた。ヴィーゼがうっとうしそうにぼくをちらちら振り返って、エルマがびくびく怖がって、テオドーアがあっけらかんとエルマをなだめて、そうしてぼくたちは街へ戻っていった。




 森番小屋で、レオンにヴィーゼを返す。ヴィーゼから降りる頃には、寒気も感じなくなってふつうに立ってられた。


「奥の森までいけたよ。途中で戻らなかった」

「うん、途中で戻らなかったね」

「そうそう、えらかったね」

「うん、ミルコはえらいよ」


 クァトロたちがそう言ってレオンに報告してくれると、「そうか。それはよかった」とそんなによくもなさそうにレオンは言った。


「奥の森についたときには動けなくなっちゃったけどね。帰りもヴィーゼに乗っけてもらっちゃったし」


 ぼくがそう言うと、ぼくに背中を向けてたレオンが振り返る。


「それが基準だ。そこからだんだんできるようになればいい。……それより、怪我は大丈夫か」

「けが? ……あっ」


 ぼくは自分の手足を見た。湖まで行くときの傷はアーシャになおしてもらったけど、戻ってくる時の傷がそのままだった。


「あー……これはちょっと、藪にはまっちゃって」


 ぼくはちょっときまりの悪い思いでそう言った。ヴィーゼがなんだか責めるような目で見てる気がする。でもそんなことは気にせずに、レオンは軽く聞き流してくれた。


「そうか。気をつけろよ」

「うん」

「次に行くときもヴィーゼを貸そう」

「ほんと!?」


 横で聞いてた子どもたちが喜ぶ。


「ああ、ミルコが慣れるまではそうする」


 レオンの言葉にしばらく子どもたちははしゃいだ。ぼくも一緒になってちょっとはしゃいだ。でも今日はもう、あんまり動かないほうがいいよね。

 最後にもう一度人数を確認してから、森番小屋を離れる。


「よいゆうべであらんことを」

「おたがいに」




 家までの道ではもうすっかり息も整ってたけど、旧い東門に向かう坂で少し疲れた顔をしちゃったからエルマが手をつないでくれた。エルマとはよく手をつなぐけど、いまはなんだかどきどきする。アーシャと手をつないだときの照れくさい気持ちが戻ってきてみたいだ。


「……」


 ぼくは黙ってエルマの横顔を見る。子どもらしく日に焼けて、暑さですこし頬が赤い。そういえばアーシャは白いだけじゃなくて、少し肌の色が違った。赤みがさしたエルマと違って、アーシャは市場で売ってる白い布みたいな、すこし黄味がかった白だった。


 エルマが日に焼けてなくても、アーシャとは違う色だろうな。


 そんなことを考えてたら、ふとエルマが振り向いてぼくを見た。ちょっととした。ぼく、なんだか今日は変だ。




 近所のおばさんたちが集まってる井戸端で、子どもたちと別れる。エルマも手を振って帰っていった。井戸端には母さんが待っててくれた。ぼくが奥の森に行くのが気になってたのかな。


「ただいま、母さん」

「おかえりミルコ。……あら、どうしたのこれ?」

「ああ、……ちょっと藪にはまっちゃって」


 小さな切り傷がたくさんあることをさっそく母さんに気づかれて、また言い訳をする。井戸端で傷を洗ってもらうと、ひりひりとしみた。


 治癒魔法っていいよな。


 別れてから半日も経ってないのに、またアーシャに会いたくなってた。約束すればよかった。でも次いつ行くかわからないし、どっちにしても約束なんてできなかったけど。


「体調はどう? 疲れてない?」


 母さんが聞いてくる。


「大丈夫だよ。帰りはヴィーゼに乗って戻ってきたんだ」


 ヴィーゼに乗ったと聞いておばさんたちが「へえ」と少し興味のありそうな声を出したけど、それ以上は何も聞かれなかった。レオンが、大人たちはあまり話さないように気をつけてるんだろう、って言ってのを思い出した。


 ヴィーゼがいたらまた少し無理できるかな。


 ぼくは東の方の空を見ながら、またアーシャに会いに行くことを考えはじめてた。

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