014 少女
「あなたは誰?」
さっきからずっと答えられないでいるぼくに、その女の子はもう一度やさしく声をかけてくれた。ぼくより小さい女の子なのに、まるで
「……あ、それ」
女の子は、ぼくが手に持った葉っぱの船に気づくと、ちょっと驚いたみたいな、嬉しそうな笑顔になって続けた。
「それを拾ってきたの? それでここまで入ってこられたのね」
ぼくは動きだすきっかけを見つけて、あわてて頷いて答えた。
「うん、そう……そうなんだ。さっきこれを拾って、それで誰が流したのかなって気になって」
それを聞いた女の子は、さらに弾けるような笑顔で嬉しそうにぼくを見た。
「ありがとう! 誰かが拾ってくれるかなって思ってたけど、まさかここまで辿ってきてくれるなんて思わなかった」
女の子はそう言って両手を胸の前で合わせると伸ばした指を少しだけ交差させた。その仕草もなんだかとっても大人びて見えて、ぼくは大人の人に話すみたいな気持ちになって答えた。
「うん、そう。だれかが呼んでるような気がして。どうしても気になって小川を辿ってきちゃったんだ」
「普通に辿ってこられた?」
「ふつうに?」
ぼくが答えると、女の子は少し考えながら言葉を続けた。
「えーと、何かに邪魔されたり、押し戻されたりしなかった?」
「うーん?」
女の子が何を言ってるのか少し悩んだけど、すぐに思い当たった。
「うん、そう。そういえば小川の上に蔦の壁が垂れ込めてて、その先には進めないと思ったんだ。でももう一度よく見たらちょうどぼくが通れるくらいの隙間があったから、
うん、あのとき諦めなくてよかった。
「あとは小さな滝もあったけど、大人のクァトロくらいの高さの。でもそこも滝のすぐ横を登ってこられたから」
「……そう。すごいね。来てくれてありがとう」
ぼくはどうしてお礼を言われるのかさっぱりわからなかったけど、女の子がすごく嬉しそうだったから、素直に来てよかったなって思った。
「きみは一人でここにいるの?」
「ああ……うん。いま、ここには一人だよ」
「お母さんとか、大人の人がいなくて大丈夫?」
そう、女の子に見とれてすぐには思いつかなかったけど、ここは奥の森のさらに奥だ。こんな小さな女の子が一人でいて大丈夫なのかな。
「心配してくれてるのね、ありがとう。でも大丈夫。この湖は守られて……きちんと管理されてるから安全なの」
女の子は手のひらを上にあげて湖をぐるっと示しながら教えてくれた。
「だから、ちょっとここで一人で遊んでたの」
「そっか。安全ならいいや。……あ、そういえばこれ」
「うん?」
ぼくは手に持った葉っぱの船を少女の目の高さまで持ち上げて聞いた。
「これ、初めて見たんだ」
「ああ。これね、『
「え?」
女の子が言った言葉が聴き取れなくて、ぼくは聞き返した。
「竹の葉で作った船よ。川に流して遊ぶの」
「へえ。かなり下まできれいに浮かんで流れてきたよ」
「簡単に作れるのよ、教えてあげる」
そう言って女の子は近くの竹の葉っぱを小さな手で、えいっ、と引きちぎると、ぼくに竹の葉の船の作り方を教え始めた。
「そう、そこに反対のを通して……そうそう!」
「できた! もう覚えたよ。ほんとに簡単に船になるんだね」
ぼくは何度か教えてもらいながら、幾つも竹の葉の船を作った。あっという間にできてちゃうんだ。
ぼくたちは少しだけ歩いて小川のそばまで来ると、しゃがみこんで一緒に作った船を流した。女の子は片方の手でもう片方の手の袖を押さえながら、小さな細い指でひとつずつ丁寧に船を流れに乗せていく。ぼくは女の子の川上側にしゃがみこんで、その様子をぼんやり眺めてた。
「あ……こんなに流したら、ぼくみたいにいっぱい誰かが辿ってこないかな?」
ふと気になって女の子に聞いてみる。
「大丈夫、下の方までは流れていかないから」
「でもぼくは小川のかなり先で拾ったよ」
ぼくがそう言うと、流れていく竹の葉の船を見てた女の子は振り返ってじっとぼくを見つめた。
「……あなたはそこで何してたの?」
「ぼくは……ちょっと休憩してたんだ」
どうして休憩してたのかとか、そういう理由は言わないで、ただ休憩してたとだけ答えた。なんだか情けない気持ちが戻ってきそうで、聞かれたらどうやって話そう、と思いながら。でも女の子はそんなことには興味を示さなかった。
「しばらくそこにいた?」
「うん、四半刻くらいはそこにいたかな」
そしたら女の子は笑顔になって「だから届いたのね」と言った。
「どういうこと?」
だから届いた、の理由にちょっと興味が湧いてぼくは聞き返した。
「私ね、誰かに見つけてほしかったの。自分の世界の外の誰かと、繋がりがほしかったの。でもそれを誰にも見つかりたくなかったの」
……あれ? ちょっと変じゃない?
「見つけてほしかったの? 見つかりたくなかったの?」
「両方よ。誰にも見つからないまま、誰かに見つけてほしかったの」
「……見つからないまま?」
「そう」
「……見つけて?」
「うん、見つけてほしかったの」
……んんん?
女の子の言ってることがわからなくて、ぼくはちょっと混乱してきた。でも女の子は詳しく説明してくれないみたいだ。そういえば、女の子はまるで大人の人みたいに話すけど、どう見てもまだ小さな子どもだ。自分でもよくわかってないのかもしれない。女の子は手元に残った最後の一つを見つめてる。
「この『笹舟』はね、見つからないつもりで流してるの。でも誰かが見つけてくれたらいいな、とも思ってたの。だから……」
顔を上げて女の子が続けた。
「流れていったんじゃなくて、あなたが見つけてくれたの」
そう言ってぼくを見つめる女の子はとてもかわいいけど、言ってることは訳がわからなかった。
「竹林にいるところを見つけてくれたのがもしお爺さんだったら『かぐや姫』だったのにね」
また聴き取れない言葉が出てきた。ますます訳がわからない。でも小さい子たちはよく自分で作った適当な言葉を話したりしてる。だから女の子がいくら大人っぽく見えても、やっぱり子どもなんだなと思った。ぼくは訳がわからない話を終わらせたくて、別のことを話すことにした。
「きみはあの建物に住んでるの?」
振り向いて湖の向こう岸の建物を見る。そしたら女の子がその話題に乗ってくれた。
「まあね。あそこに住んでる」
「きれいな建物だよね。大きくてお城みたい」
「ここから見るとほんとにお城に見えるわ」
……あれ? お城に住んでる、きれいな服を着た女の子……?
「……きみってもしかして、貴族なの?」
「あら、お城に住んでるんならお姫さまじゃない?」
「ええっ!? お姫さまなの!?」
ぼくはびっくりして、しゃがんだ姿勢からそのまま尻餅をついた。
「ふふっ」
女の子は楽しそうに笑ったかと思うと、急に少し真顔になって、眉間にしわを寄せながら言った。
「あそこね。外から見るとお城みたいだけど、中は牢屋よ」
そう言ったあと、ぼくの膝をぽんぽんと叩くと「気にしないで、貴族なんかじゃないから」と軽く言葉を続けた。でもぼくは本当はどうなのかということが気になって、また動けなくなっちゃった。貴族なんて、ぼくの生活の中で関わりがあるなんて考えられない。考えたこともない。もしなにか機嫌を損ねたらとんでもないことになる。貴族に関わっちゃいけないって、いつも言われるんだ。さっきまで仲良く話してた女の子がなんだか急に怖い存在になった気がして、ぼくは尻餅をついたままどうすればいいかわからなくなってた。
そんなぼくの気持ちを知ってか知らずか、女の子は「おーい、戻ってこーい」と言いながらぼくの膝をぽんぽん叩き続けてる。でもふと別のことに気を取られて、急に眉をひそめた。
「ねえ、これどうしたの? 痛くない?」
そう言ってぼくの左右の足をまじまじと見てる。
「ちょっと血も出てるよ」
「え……わっ、ほんとだ」
そういえば小川を辿ってくるときに、下草とか藪の枝とかで足元がちくちくと痛かったんだっけ。女の子に言われて自分の足を見ると、太ももから下にたくさんの小さな引っかき傷ができてた。その中のいくつかは血がにじんでて、さっきまでは気づかなかったのに、見てるとなんだかちくちく痛み出してきた。
「痛くない?」
「……ちょっと痛い」
よく見ると足だけじゃなく、両手の肘の周りも少し引っかき傷ができてる。小川の脇に尻餅をついたままぼくが自分の手足を見てると、女の子が正面に膝立ちになって両手を差し伸べてきた。小さな女の子は膝立ちになっても、尻餅をついたぼくとそれほど変わらない。
「手を貸して」
そういって女の子が正面からぼくを見下ろす。少し真剣な目をした女の子にドキッとしながら、ぼくは手を差し出した。女の子がぼくの手をとる。アルマやエルマと手をつないでもなんとも思わないのに、こんな小さな女の子と手をつなぐことがこんなに気恥ずかしく感じるなんて。一体どうしちゃったんだろう。
「目を閉じて」
そう言って女の子が先に目を閉じる。少しだけその様子に見とれたあと、ぼくは言われるままに目を閉じた。つないだ手から女の子の温もりを感じる。
「体の内側に意識を集中して」
女の子が、大人が使うような言葉でぼくに語りかける。体の内側って、体のどこだろう? そう思ってるうちに、それは起こった。ふっと風が吹くような、あの感覚だ。
それは一瞬だけ女の子からぼくに吹き付けたような気がした。そしてそのあと、はじめはつないだ両手が、それから両腕が。肩が。そして背中がほんのり暖かくなった気がした。そうしていつの間にか体全体がぽかぽかとあったかくなって、いまは夏なのにそれが気持ち悪くなくて、ずっとその暖かさの中にいたいような、いままで感じたことのない心地よさがぼくを包み込んだ。
「はい、もういいわ」
どれくらい経ったんだろう。ほんの少しにも、ずっと長い時間にも感じたけど、ふっと暖かさが無くなって、湖を渡ってきたそよ風を髪に感じた。目を開けると、アルマみたいな、母さんみたいな、優しい顔をした女の子がぼくの手をとったままそこにいた。そして女の子とつないだぼくの両手と、太ももまでめくれ上がったゆるいズボンから覗くぼくの両足からは、無数にあった傷がぜんぶ無くなってた。
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